ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「人間魚雷出撃す」

2012-07-16 | 映画

戦後、人間魚雷回天をテーマにした映画はいくつかあります。

人間魚雷回天(1955)、
人間魚雷あゝ回天特別攻撃隊(1968)、
出口のない海(2006)、

そしてこの映画人間魚雷出撃す(1956)

回天そのものがテーマで無くとも、その中にエピソードとして回天がでてくるものは、
海軍兵学校物語 あゝ江田島(1959)
真夏のオリオン(2009)
ローレライ(2005)


この映画に付いて調べたのですが、ウィキペディアにも載っていませんし、
あらゆる映画サイトでも感想を寄せている人がひとりもいません。
戦争映画の中でも無名といっていい情報の無さかもしれません。

しかし、この出演者の顔ぶれを見よ。
冒頭画像以外にも、長門浩之演じる今西一曹の結核を患う弟役に、実際の弟である津川雅彦。




冒頭、森雄之演じる伊58潜水艦長がワシントンの軍事法廷(戦犯裁判ではない)で、
原子爆弾を日本に移送した後のインディアナポリスを撃沈したことについて説明しますが、
二世通訳という設定の超のつく美青年が岡田真澄だったりします。



余談ですが、この長門、津川の兄弟は「弟が美青年で兄が並みだったから」という理由で、
実の母親が徹底的に弟を贔屓して育てたため、長らく不仲であったそうです。
老境に入ってから仲直りをしたそうですが、この映画の頃は不仲真っ最中のはず。
「実際の兄弟に兄弟を演じさせる!」という話題を、制作側が狙ったんでしょうが。


気づいたのですが、後の潜水艦映画では「艦長」という言葉を発音する際、
一般の発音のように「かん」にアクセントを置いているものもあるのですが、
実際の潜水艦乗りたちは、現在残る実写映像(伊10のものなど)を見ると、
「ちょう」のほうにアクセントを置く独特の発音で「艦長」と言っています。
この映画では、先任将校(天草四郎)、航海長(西村晃)始め、全員がこの発音をしています。


この映画は、一見、「出口の無い海」のようにただ戦争の被害者としてのみ回天を描くことに
腐心しているようには見えません。

出撃した伊58。
艦長橋爪少佐(実際の伊58艦長は橋本以行・もとつら)の率いるこの潜水艦には、
黒崎中尉(石原)、柿田少尉(葉山良二)、久波上曹(杉幸彦)、今西一曹(長門)
という四人の回天隊員が乗っています。
このうち二人の士官は予備学生、そして二人の下士官は予科練出身という設定。



柿田少尉が、伊潜艦上にありながらも、慶応出身の軍医長に

「我々予備学生がどんなに苦しみ、どんなに戦って逝ったかを見届けてもらいます」


と言ったり、同じ慶応出身の黒崎中尉は、軍医長にだけこう述懐してみせます。

「今の日本はこんなことで救われるのでしょうか」

「学生時代にスポーツをやってたんですけど、こういうことは戦いの邪道だと思うんですよ。
しかし、もう、しなければならないと思うようになりました・・・しなければね」

伊潜の乗組員は、航海長の西村晃を始め、水雷長の安部徹などが、
(「乙女のゐる基地」で二枚目中尉を演じていた。ぎりぎり往年の雰囲気を残している)、
どんがめ乗りらしい腹の据わった感じと共に、豪胆にも見える明るさを持ち、
冷静かつ大胆な指揮官である橋爪艦長の下、乗員一丸となって任務に全力を尽くします。

その中でこの学徒出身の予備士官は「回天そのものへの疑問」を隠すことなくその表情に表わし、
なかでもこの軍医は、予備士官たちをうち眺めては、
その眼に同情とも共感とも言えぬ苦悩の光を浮かべたりします。



戦いの合間に「アンダンテ・カンタービレ」などとかけてみたり・・。(お約束)

戦いに疑問を持たない者たちと、持つ者(学徒)という構図の中で、この軍医長は、あたかも
予備学生の苦悩を唯一知り同情を寄せる傍観者、という位置づけです。

しかし、こういった描き方からは、実際の回天隊員が「何のために回天に乗ったのか」
と言う部分が欠けたまま、ただ、仕方が無いから伊潜に乗りこんでいるという印象が拭えません。

今連載中の漫画、佐藤秀峰氏の「特攻の島」では、乗り込んだ回天の不具合で出撃できない、
という場面がありますが、実際の回天戦でも、例えば菊水隊参加の伊36潜ですが、
搭載していた4基のうち3基が発進できなかった、という実例がありました。

このように、回天そのものが完成された状態で実戦に投入されたわけではなく、むしろ、
訓練と実戦の繰り返しのうちに改良が構築されていった、という経緯があります。
死を覚悟して出撃したのにもかかわらず、基が発進しなかったため生還を余儀なくされた隊員が
精神的に追い詰められるような事例もあったと思われます。

この映画でも、黒崎予備中尉は三度にわたる出撃に基の不具合で帰還した、という設定です。
訓練の失敗はもちろん、基の故障すら本人のせいにされ
「スクリューが回らなかったら手で回して突っ込め!」
と無茶苦茶な精神論をぶつ参謀がいて笑わせてくれます。

基の故障のため出撃できない、という状態になったとき、
黒崎中尉と今西一曹は、何度も「無駄死にさせたくない」という艦長を訪れては、
「二人で無事な一基に乗せて突撃させてくれ」と懇願します。
そして参謀の暴言ではありませんが、二基とも電源故障であることがわかったら、今度は
「手動で動かせるから出撃させてくれ」と必死で頼み込むのです。


回天の意義も、特攻に赴くことの意味も、つまりは何も納得していないらしい隊員が、
なぜここまで出撃を要望するのかということについては、あくまでも、
「上層部から何が何でも帰ってくるなと言われたから」と説明しているようなものです。
『我々の気持ち(生きて帰ったら何を言われるかわからない)も考えてください』
この台詞からは、いやいや出撃して仕方なく死んでいった、という心境しか見えてきません。


しかしこういった描き方は、さらっと観ただけでは、インディアナポリスを(回天ではなく)
水雷で沈めた伊58の潜水艦の戦いぶり、米駆逐艦からの激しい反撃と、それに耐える
潜水艦乗りたちの苦闘、などという「見どころ」に隠れて、その本音が見逃されがちです。


わたくしエリス中尉が個人的に日本映画史上5本の指に入る美男だと評価する森雄之の、
意外と無骨な潜水艦長としての演技。



ことに敵の爆雷を受けそれが爆発するまでの間の、潜望鏡を囲んだ、
伊潜上層部の面々の緊張した表情の素晴らしさ。



そして、インディアナポリスを轟沈せしめたときに、それまでの緊張に支配されていた艦内が
一転、「万歳」 の叫びで満たされる瞬間。



実際に潜水艦乗員であった槇幸氏の回顧本によると、本当にこのようであったようですし、
前述の伊10潜における戦闘も、こんな大げさではないにせよ緊張感はこのようなものでした。
誰か実際の元どんがめ乗りが指導にあたったのかもしれません。
因みに、資料は

「伊58帰投せり」橋本以行
「鉄の棺」斎藤寛
「人間魚雷生還す」横田実

などの、実際の潜水艦乗りによって、戦後書かれた本から取られています。

こうしたシーンが、実に丁寧な迫真のものであるだけに、
肝心の回天搭乗員の描き方に、なにか割り切れないものを感じずにはいられません。


回天特攻について戦後の世間は「非人間的な特攻兵器で、隊員たちは心ならずも
こういった『鉄の棺』に無理やり乗せられていやいや死んでいった」としか語らないが、
実際回天で出撃していく若者たちは、全く悲観や絶望などしていなかった。

こういう元回天隊員の証言を以前このブログで紹介したことがあります。

平和な世の中の論理では、この兵器が残酷で容認できないように見えるのは当然ですが、
ある隊員(兵学校卒)は、まるで「プロジェクトX」のように、隊員と整備員が一体となって、
訓練と、それに次ぐ反省、議論を重ね、成功に向けて努力を積み重ねる日々だったと語っています。
死は確かにおそろしいが、それを上回るのが「国を守りたい」という気持ちであった、というのが
かれらの、開発途上における気概であったことが判ります。

勿論、その立場や、任命の時期によっても、様々な考えを持つ者がいました。
戦後、特に予備士官出身の隊員には、回天像を恨みつらみから意図的に歪曲し、
あえて虚構を本当にあったことのように書いている人間などもいるようです。

しかし「国のために戦った」という事実を否定し、そういった声を無かったものにしようとする一派は
むしろこちらの「内部告発」を歓迎しました。
そういった「小さな修正」が、回天の「非人道」だけを史実として残していくことになったのです。

戦後の平和な社会は回天を非人道兵器としか評しませんが、乗っていた本人たちと、
そしてなにより敵だったアメリカ軍は「非常に有効な兵器だった」と認めているわけです。

実際の回天が敵に与えた心理的恐怖は大変なものだったと言われます。
見えない敵が(しかも人間が操縦して)海中をこちらに向かってくる。
戦後、アメリカ軍が本当に怖かったのは回天だけだった、という米軍関係者もいます。


しかしながら、乗せられるものの人権とか、人道非人道といった平和時の倫理はさておいて、
この有効な兵器は、決して有効な使われ方をしたとは言えなかったようです。
何より、黒木大尉、仁科中尉二人の若い士官よる「現場から生まれた兵器」であった回天に対して、
海軍上層部の理解があまりなかった、というのが主な原因のようですが、こんな話があります。

ある回天の作戦参謀は戦後、回天の本をたくさん書きました。
しかし、自分のの責任や失敗に就いては一切触れず、さらに
「戦争中、回天を見たことが無い」などと平気でいっていたそうです。
つまり、壮行式に出席して遠くから眺めただけの回天を、戦後得々と語っていたのです。

戦後、靖国神社の遊就館に展示されている回天を前に、この参謀がかつての下士官搭乗員を前に
「どんな兵器か見たこともなかった」と言い放ったので、それに怒った元搭乗員たちが、
回天にこの元参謀を押し込み、上からハッチをバタンと閉めてしまったという事件です。
あくまでも噂ですが。

戦後、回天の非人道ぶりを強調するために
「ハッチを閉めたら外からボルトでハッチを固定されて泣いても叫んでも出してもらえなかった」
などという悪質なデマが、テレビの番組などを通して出回ったそうですが、
元搭乗員たちは、そのままハッチををボルトで固定してやりたかったに違いありません。


確かに回天、桜花、そして特攻そのものが何度も言うように、
平和な世から見ると非人道そのものでしかない兵器ですが、これも何度も言うように、
当時そこに生きていた当事者の気持ちは、その時代の雰囲気、状況、
そう言うものごとの中にあって初めて理解できるわけです。
そもそも、同じものを語るにしても、あまりに前提が違うのです。

「私たちは可哀そうな人でもなんでもない。
当時は国のために命を捧げることに大いなる価値があった。
今の若者たちも、もしあの時代に生きていれば、我々と同じ心境になったはずだと思う」

実際の特攻の生存者は、異口同音にこう語ります。
それを思うと、この映画での回天搭乗員の描き方は、「当事者の気持ちを全く伝えていない」
ということになるのかもしれません。

他の部分が、非常に硬質で、かつ実際の戦いを再現しようという努力が随所に見られるだけに、
実にもったいないというか、残念に思われる映画でした。

でも、取りあえず個人的に石原裕次郎はかわいかった。(おい)

そして、なぜこの映画があまり評価されないのか。
考えてみたのですが、問題があるとすればこの題。
「人間魚雷出撃す」
これがそもそも地味すぎてよくないと思うんですけど・・。
サスペンスシリーズ風に、

「伊58潜帰投す~インディアナポリスを撃沈した潜水艦、
そこに乗り込んだ回天搭乗員たちの
戦い!美男艦長の下した苦渋の決断とは?
もし撃沈がもう少し早かったら広島と長崎の悲劇は防げたのか?
そして、どんがめ乗りたちの戦いぶりとは!息詰まる潜水艦戦闘シーン!
髪の毛の生え際から目が離せない西村晃と、元イケメン安部徹、両脇役の名演技!」


ってのはどうでしょう。









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7 Comments

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死について (しん)
2012-07-16 17:22:20
(`´)ゞエリス中尉殿、お久しぶりです。業務が少したてこんだ為、コメントできませんでした。今回の回天の映画についての講評、真に納得できる次第です。もったいない特攻隊員の心理描写。想像ですが、戦後間もない作品なので、誤った戦争を総合的に批判する材料となったのでは、と考えます。学徒兵の心理状況が、いかに苦しかったかについては、再三、中尉殿がコメントされていますね。私は、若い頃、ロッククライマーの末席を汚しておりました。二十歳から結婚するまでの6年間、国内の名壁をいくつか攀じ登りました。本番前の練習時の経験ですが、人間の身体は、真に正直で、死の危険を感じた途端、掌に発汗し、両足が震えだします。通称「ミシンを踏む」と言います。自我の中では、克服できている筈の危険リスクを、身体は克服できていないのです。練習中であっても。真に、情けない話ですが・・・。特攻とは全く次元の違った話です。方やお国の為の強制された死、方や自ら好んで、遊びに行った結果の死。ただ、生理的に受け入れ難いのが、人間の本能である死の恐怖。ただ少し救われるのは、二十歳前後の若者中心であった為、まだ、個人的に守るべきモノが少なかったのでは、と想像致します。私のクライマー人生も、結婚と同時に、終止符が打たれました。「人間魚雷出撃す」ぜひ、見てみたいです。 (`´)ゞ
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ロッククライミング (エリス中尉)
2012-07-17 02:16:28
もう少し先の話になりますが「聴けわだつみの声」と言う映画の感想において、軍隊内の学歴ヒエラルキーについての考察をアップします。
このことをまとめたときにも感じましたが、予備士官、学徒兵の戦争に対する考えは一般の兵や兵学校、陸士出身者とは全くベクトルを異にするものです。
しかし、だからといって一様に予備士官の戦いの意味が、国体や大義の上に無い、というものでもない(わけがない)と思うのですが、映画などは学徒を「疑問を持つ者」「否応なく駆り出された者」と表現したがりますよね。
この映画がそうであるように。
むしろ予備士官出身の監督、松林宗恵や、脚本家、須崎勝彌氏らの方が、このあたりは実際のところを分かって描いているように思われます。

ロッククライミングのお話、とても興味深く拝見しました。
スカイダイビングやバンジージャンプ、世の中にはどうしてわざわざあんなことをする人間がいるのか、と言われますが、あれは陳腐な言い方をすれば「死の深淵を覗きみたい」という願望なんでしょうね。
いつも命のぎりぎりで戦っているイーサン・ハント(MI3)の休日の趣味がロッククライミング、というのは、まあわからないでもないですが、怖いことはジェットコースターですらお断り、というエリス中尉には、なかなか理解しにくい趣味傾向です。
ただ、そういう「ぎりぎりの瞬間」を知るのと知らないのでは、肝の据わり方とか自分の生命に対する処し方、ひいては命に対する考え方そのものが微妙に違ってくる気がします。
思いついたのですが、大津のいじめ事件も、いじめたとされるメンバー全員に大峡谷の上からバンジージャンプさせるとか、命綱なしでロッククライミングとかやらせてみてはどうでしょうかね。
ついでに、あれを看過していた先生とか、教育委員会の面々、あの校長先生にも(笑)
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MI 3 (しん)
2012-07-17 15:18:04
(`´)ゞエリス中尉殿、こんにちは。コメントありがとうございます。MI 3は、劇場ロードショウで鑑賞致しました。あの、出だしのシーンですね。有り得ないロック(フリー)クライミングを鑑賞時、気付いたら、両手の手の平が、滝の様に汗をかいておりました。今でも、想像するだけで発汗します。ただ、岩登りは、「死の深淵をのぞいてみる」というような、高尚なものではありません。総称としての登山の一カテゴリーです。安全装備を装着して、十分な訓練後取り組む為、死亡率はたいへん低いです。登山で亡くなる方の多くは、不十分な装備での疲労凍死や、落石、雪崩、落雷等の事故です。ただ、岩登りで先頭で登る場合、命綱(ドイツ語ではザイルといいます)の最上部の支点(ハーケンに通したカラビナに通したザイルの位置)から、離れている距離の二倍の距離を落下する為、打ち所が悪いと、ちょっと危ないです。下では、パートナーが、ザイルを確保しており、彼とはまさしく運命共同体です。先頭が落下して、支点としているハーケンが全て抜けた場合、二人一緒に、一番下まで落下してお陀仏。予備士官、学徒兵らの気持ち、知覧の記念館の写真から受ける印象は、後顧の憂い無く、子供が遠足にでも出かけるような笑顔です。なぜ、あそこまでふっきれたのか、不思議でなりません。一方、職業軍人で特攻に激しく反対した飛行長や部隊長(少佐クラス)もたくさん居て、部下を特攻から救ったそうですね。特にエースの岩本徹三少尉は戦闘機搭乗員の立場から「死んでは戦争は負けだ。戦闘機乗りは何度も戦って相手を多く落すのが仕事だ。一回の体当たりで死んでたまるか。俺は否だ。」と特攻拒否を公言して憚らなかったそうですね。指揮官としても究極の選択です。それでも、「お国の為に死んでこい」と出撃命令(一応志願)、死に直面した時の特攻隊員の気持ち、今でも想像できません。 (`´)ゞ

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岩本徹三と特攻 (エリス中尉)
2012-07-18 06:46:54
岩本中尉(戦後昇進)は「特攻作戦が知らされたとたん、隊の士気が目に見えて下がった」と書いていますね。
いくら命を捧げるという覚悟で戦っていても、それは生きる希望があってのことで、それが断たれたとき、並みの人間であれば誰しもこのような絶望におちいるのでしょう。
いかにあのような時代であっても、そういう教育を受けてきたとしても、きっと誰だってそうです。
写真にのこる彼らの表情にそういった屈託が全くないことを、後世の人間は(日本人だけでなく世界中の人間が)感動と、驚きと、不思議を以て見、また少しでも彼らの心境に近付きたいと願うからこそ、いまだに「特攻」は人々の心をひきつけるのでしょう。
特攻に反対し、上層部にさからってでも部隊から特攻を出すことを反対した指揮官は何人かいたようですね。
そんな人々がいたことも決して忘れてはいけないと思います。

ロッククライミング・・・・、まあ、高尚というより「なぜそのようなことに時間を費やすか」という問題でしょうね。
危なくはないけど「ミシンを踏む」みたいな状態になるかもしれない可能性のあることをあえてするのは、なぜ?みたいな。
答えはやはり「そこに岩があるから」ということになるのでしょうけれど。
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特攻に反対した指揮官たち (しん)
2012-07-18 11:42:21
(`´)ゞエリス中尉殿、こんばんは。全く同感です。命を的にして、長年戦ってきた戦闘機操縦員は、そのことに誇りを持ち、お国や家族に対する役立ち感は、男子の本懐、だったと考えます。佐官級の指揮官達も、その様にして生き残ってきたので、岩本さんの心境だったと考えます。なのに、お国は、そんな彼らに対して「最後に腹を切ってお国に捧げよ」は、ないでしょ~<(`^´)>と思うんですよね。特に海軍は、開戦当初から、消耗戦になれば勝ち目無し、と踏んでいたので、指揮官にもなれば、そのくらい理解できたと考えます。我々が「特攻」を語る時は、ほぼ、知覧からの沖縄戦、終戦直前を念頭に置いていますが、実際はレイテ沖海戦1944年中から、始まっていたんですね。この頃の特攻は、優秀なパイロットを失いながらも、戦果甚大だったと思います。ただ、知覧の頃は…。岩登りへの取り組みについて、あえて言うならば、危険地帯を脱して、安全地帯に戻った時の解放感が、天にも昇るような気持ちで、中毒になっていた、という事でしょう。極度の緊張からの解放は、戦闘機乗りにとっては、毎日の事だったのだと想像します。彼らも中毒になっていた可能性があります (`´)ゞ
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監督は古川卓巳ですが (さすらい日乗)
2018-10-12 08:29:28
監督は古川卓巳で、『太陽の季節』を監督した人ですが、これの方がはるかに良い映画です。
彼は従軍したことがあり、他に戦争映画の『沖縄の民』も、いい映画でした。
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久々に再見 (ウェップス)
2021-01-29 15:40:24
 アマプラで久しぶりに再見し「中尉に勧める価値あるな」など思いながらタイトルをググったらいきなりこれがヒットしました。もう見とるんかーい(=゚ω゚)ノ (いや私もこの記事読んでるはずです)

 昔見た時はアラばかりが目についた記憶がある本作ですが、改めて見ると考証もセットもかなり本格的だと見直しました。
 戦後世代の若い石原たちが芝居臭いのに対して、西村や安部といった軍隊経験者が飄々と演じる士官室の雰囲気は大変リアルなものに感じました。
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