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平成25年度防衛大学校卒業式~帽子投げ

2014-03-31 | 自衛隊

防大生のご子息をお持ちの読者の方から、
「ニコニコ動画で防大の卒業式が放送されます」
という「親ばか情報」をいただきました。
何でも、式の当日夜にほとんどノーカットで流されるとのこと。
ちょうどうちにいてパソコンに向かっていることもできたので、

最初から最後まで時々写真を撮りながら見ました。



その方の当初のお話によると、去年起こった防大生の不祥事のため、
卒業式の帽子投げは自粛されるのではないかという噂もあったようです。

防大の恒例となっているこの帽子無げ(hat toss)、元はと言えば1912年、

アメリカの海軍兵学校の卒業式で始まった慣習です。
もちろん「もうこの帽子は必要ない」という意味が込められているわけですが、
わたしが思うに、最初は数人のお調子者がつい開放感から帽子を投げたところ、

乗りのいいアメリカ人の習性で全員がいえーい!と追随し、それからというもの
それを見ていた在校生が自分のときにもやるようになり・・、
という流れでいつの間にか定着した行事ではないでしょうか。

(あくまでも状況証拠による推理ですので本当のところを知っている方、
ぜひ教えていただきたく存じます)

一見お行儀の悪いこの慣習、勿論のこと戦前の海軍兵学校では行われませんでしたが、
この、それまでの厳粛な式典から一転してブレイクする、
いわば「ハレ」と「ケ」の対比を見るような演出がある意味日本人の感性にマッチしたのか、
防衛大学校のみならず一般の大学においても行われています。


わたしがこの一般の大学で帽子投げが行われているのを知ったのは最近で、
親族がとある学校での卒業式で帽子投げを目撃したという話を聞いたのです。

この一般大学で卒業生が投げるのは学帽、つまり卒業式のときにガウンとともに着用する、
いわゆる「アカデミックドレス」の四角い帽子です。

話が寄り道しますが、このアカデミックドレスでの卒業を行っているのは
日本ではキリスト教系の大学からはじまり、現在は国立私立問わず何校かあります。

最も早かったのが早稲田大学。
早稲田では1913年(大正2年)に制定され、大隈重信がそれを着て行進をしています。
面白いのは、アナポリスで帽子投げが始まったのとほとんど同じ年であることで、
勿論この頃の早稲田には帽子を投げるなどという文化はありません。

現在アカデミックドレスを着用するのはこの早稲田を始め、最近導入した
東大、阪大、東工大、千葉大などの国立大と、いくつかの私大です。

わたしの親族のひとりは卒業生ではありませんがアカデミックドレスを着る立場で、
式典の最後に皆が帽子投げをするのを眺めていたそうですが、わたしが

「どうして角帽投げないの?」

と聞くと、

「学生と違って、もし投げたら自分で拾いにいかないといけないから」

という返事でした。

それにしてもいつから学帽まで投げることになったのでしょうか。
アナポリスや防衛大の帽子投げは

「もうこの帽子とはお別れだ」

という象徴的な意味があります。
実際、防大生は帽子を投げてそこから走り去ったあと、各自が任官する陸海空の
新しい制服に身を包み、あらためて受閲をおこなうわけですから、
ストーリーとして?非常に理にかなっています。


しかし、この「学帽投げ」は・・・。

まず間違いなく防大の帽子投げから波及したものだと思いますが、
何らかの意味があるとしたらそれは「開放感」というくらいのものでしょうか。

決して非難するわけではありませんが、大隈重信が知ったらきっと怒ると思います。


さて、話を防大に戻します。
この象徴的な行事である帽子投げの実地が危ぶまれるとまで噂になったのは
防衛大学校で去年起きた不祥事が原因でした。
この不祥事とは・・・・・、


2013年9月、防衛大学校の学生5名が、実際はけがをしていないのに入院したなどと偽り

保険会社から保険金を騙し取ったとして詐欺容疑で書類送検された事件。

書類送検された5名は調べに対し「任官した先輩から教えてもらった」と述べたところから
組織的かつ継続的な犯行が行われているものとみて事件の徹底究明に乗り出した。
書類送検された5名は9月27日付で退校処分となったが、
学校側は学生の将来性を考慮するとして、氏名を公表しなかった

先述の発言を受けて同校では卒業を控えた4学年を優先的に調査してきたが、
部内の治安維持を任務とする警務隊が2014年3月、新たに4年生5名を書類送検したことを
防衛省が発表したことから、同校はこの5名全員を退校処分とし、退校者は10名となった。

この5名の中に、先に退校処分された学生と同部屋で起居していた学生がいたことから
手口を共有していたと見られる。
なお、同校では今回の事件発覚以前にも同様の手口で退校処分を受けている者がいることから
長期間にわたりこの手法が継続しているものと見て再発防止のための調査委員会を設置、
調査を継続するとともに今後は刑法上の公訴時効(7年)に満たない卒業生に対しても
捜査を拡大することを検討している。

その一方で事案を部内で短期に終息させようとする制服組と、
部外警察への引き渡しを含め徹底的な究明を図る背広組との対立が明らかとなっている。(wiki)


ご存じない方のためにwikiから引用するとこのような事件です。
事件が報じられたとき、案の定「心ある市民団体」(という名の左翼)らしき人たちが

「防大生を見れば詐欺師と思え」


などという酷い言葉で防大生全員が事件にかかわっていたかのようにこの事件を論じ、
野党もそれみたことかと鬼の首を取ったように国会でこのことを糾弾したそうですが、
ただでさえ鵜の目鷹の目で揚げ足を取ろうとする「反対派」に萎縮しがちな防衛省が、
こんな事件を起こした防大に対して、真意はともかく、当事者ならずとも
綱紀粛正を戒めているというポーズを世間に対して示そうとするのは当然で、
「帽子投げ禁止」
などという噂もそこから出て来たのかと思われます。


今年たまたま放映があることを教えていただいたのですが、このようなことがあった年度の卒業式、

防衛大臣、総理大臣、そして防大校長がどのように今年の式に臨むのか、
それらに対する興味もあってこの放送を見てみることにしました。



儀仗隊入場。



暗い講堂内の映像を、さらにニコニコ動画で放映されているものを
普通のカメラで撮った写真なので画像は無茶苦茶です。
ご存知のようにニコニコ動画はコメントが出るのですが、
今回はそれも写しておきました。

総理大臣臨席、栄誉礼に続いて国歌斉唱。
ちなみに国歌斉唱では、コメント欄でも皆が歌っていました(笑)

この後、卒業証書授与があったのですが、昔の「恩賜の短剣」はなくなり、
どうやら最初に呼ばれる「代表」が主席なのかなと思われました。

見ているといきなり画面にはラヴェルの「ボレロ」がかぶせられました。

「なぜボレロ」

とコメント欄では皆が不思議がっていましたが、実際はヘンデルの
「見よ勇者は帰る」(勝利を讃える歌)がずっと演奏されていたはずです。

ここのところはかつての海軍兵学校と全く変わっていないということですね。



そして卒業生の答辞。
この学生が「クラスヘッド」でしょうか。 

「我々の在学中、一部の心無い学生の振る舞いにより、
防衛大学校の威信が傷つけられる事案が生起しました。

我々58期生はこの状況を踏まえ、今一度原点に立ち返り、
防衛大学校学生としての理想像追求に努力して参りました」

と、いう一文が入り、やはりその問題についての姿勢を明らかにしていました。

「帽子投げ禁止」

などという懲罰などではなく、学生の自主的な反省と自戒を見せることで
事件への姿勢を表に示したもの、とわたしは解釈しました。

しかしながら、後にも述べますが、この日の模様を報道したメディアの関心は
全くそんなことには無く、朝日新聞を筆頭とした新聞は、ただひたすら
安倍首相の訓示の中に集団的自衛権の改正につながる「核心的な」言辞を
それこそ砂金を探し出すような熱心さで抜き書きすることに腐心しており、
はっきりいって「不祥事」などどうでもよかったのではないかと思われました。

こういった防大側の「反省の姿勢」は、わたしのように最初から最後まで
この式典を意図的に注視している人間にしか伝わらなかったということになります。
(新聞が全く触れないのですからね)


つまり、「防大生を見れば詐欺師と思え」などと言っている人たちは
おそらく防大の卒業式を最初から最後まで見ることなどまずないでしょうし、
帽子投げをしている映像だけをどこかで見つけては

「全く反省の色がない」

などと憎々しげに決めつけるのが関の山なのではないでしょうか。
こういう持論の人たちにとって、自分に都合の悪い事実は存在しないのです。

因みに、ちょうどこれを書いていた28日、
横浜地検が、詐欺容疑で書類送検されていた21歳~23歳の元学生の男性10人を
起訴猶予処分としたというニュースが入ってきました。
地検は理由を明らかにしていないということで、またしても左な人たちがこれに噛み付き
大騒ぎしないかが注目されますね。





さて、このあと、陸海空要員の代表が幹部候補生として宣誓し、

一人ずつ安倍総理と握手を交わしました。
このときに、幹部候補生は任官するということでしょうか。

このときに宣誓されたのは勿論
「自衛隊の服務の宣誓」です。


私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、
日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、
人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、
強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、
身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。


服務の宣誓は自衛隊法で

次の宣誓文を記載した宣誓書に署名押印して服務の宣誓を行わなければならない


と第39条ー第42条に決められています。



陸空海幕僚長からそれぞれの要員に賞状が与えられます。



そして、学生の代表が何事かを宣誓した後、



いきなり帽子無げ。
映像ではなく字幕をお楽しみ下さい。

















とにかく帽子投げが廃止にならなくて良かったです。

わたしは事前に、廃止にするしないはあえて発表せず、その場の「のり」で

当然のようにやってしまうのではないかと予想していましたが、やはりその通りでした。
「一部の心ない学生のために」一生に一度の行事に水を差せば、
命じた方も命じられた方も後味が悪いだけですからね。

さんざん挨拶でもそのことについて言及したので、
それ以上の責任を罪も無い学生たちに押し付けるのはいかがなものかと思います。 



帽子はどうなるのかとコメント欄では騒然となっていましたが、
どうやら後輩が拾って回収するようです。
あとでそれぞれの持ち主のところに返還されますのでご安心下さい。

明日は、この日の安倍総理始め各来賓の挨拶を中心にお送りします。




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7 Comments

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Unknown (さくら)
2014-03-31 20:37:16
お久し振りでございます、エリス中尉。
社会人とはこういうものかと、毎日噛み締めているさくらです。
久方ぶりにブログを拝見して、ほっこりしております。

防衛大の卒業式、私も動画でほんの少しですが拝見しておりました。
実はこの中に、元恋人がいたりして、心境はいささか複雑でございましたが(笑)

そして中尉は自衛艦授与式に行かれたのですね!
ゆっくり記事を楽しませて頂きます。
お久しぶりです (エリス中尉)
2014-03-31 23:03:42
さくらさん、お久しぶりです。
お仕事大変そうですね。
でも「楽ではない」お仕事を選ばれたのはいかにも芯の強そうなさくらさんらしいと思ってしまいました。

やはりそうですか。
以前の防大関係エントリへのコメントからそうではないかと思っていましたが・・・。
まだそう時期が経っていないのならまだまだ複雑な気持ちでしょうけれど、
過ぎた恋は大抵時間が経てば辛くも悲しくもない、ただの思い出に変わります。(体験談)
いい思い出かどうかはその内容と終わり方で大きく違ってきますが・・。
式あれこれ (エリス中尉)
2014-04-01 00:18:07
出席された方から解説が入っておりますので当エントリへの補足としてここに書かせて頂きます。
まず、卒業証書授与の順番について。

学生は式場に陸上要員(中央)、海上要員(奥、右手)、航空要員(手前、左手)
と席を占め、授与もこの順番で行われるそうです。

夫々の要員の中は、理工学部各学科(11科)順、人文社会学部各学科(3科)順。
各学科の中は名簿順、名簿はアイウエオ順。ということでトップは首席ではなく、
先頭学科の名簿トップのようです。

答辞はクラスヘッドが行ったのかと文中書いたのですが、後期学生長(航空要員)なのだそうです。
因みに前期の学生長は海上要員、中期は陸上要員が慣例ということです。
つまり、卒業式には常に後期の学生長である航空要員が答辞を読むということになり、
10月の中央観閲式、開校祭のときは陸上要員の学生長が指揮官を務めるということになります。

学位記授与ですが、確認は取れていないものの、その方の見たところ、
各学位の首席が代表で授与されているようです。

防大での成績は、学科、訓練、服務を総合して判断されると思うので、
学位記は単純に学科(ただし学位は複数学科ごと)の成績になると思う、とのことでした。

これは兵学校出もそうだったのでしょうね。
学科だけではなく、全ての総合なので、1番2番の違いは非常に曖昧というか
「絶対的な差」ではなかったと思われます。
学科優秀でもたとえば電信が駄目とか(!)運動がイマイチだと首位になれない。
そう考えると兵学校のクラスヘッドはまるでスーパーマンのようなオールマイティだった、
ということかもしれません。
帽子投げと卒業ダンスパーティ (エリス中尉)
2014-04-01 00:41:52
今回の不祥事で、防大の自粛ムードはかなり深刻だったようです。
続いて出席された方からの報告を改変してお届けします。

実は事態は外野の予想を遥かに上回るもので、帽子投げどころか卒業式自体が、
噂の域超えて本当に実施できないかもしれない、というレベルだったそうです。
卒業ダンスパーティーはその状況を受け、学生の判断(多分、期生会長=期の同窓会長、実行委員長)によって中止になりました。
それから下級生による歓送会も取りやめになったそうです。

ダンスパーティ中止で一番がっかりしたのは、学生たちよりもこのためにもしかしたら
わざわざドレスを誂えて準備していた女性たちだったかもしれませんね。

その後、学校長名で卒業式の招待状が学生たちの実家に届けられたので、
父兄たちはそこで卒業式が実施されること、観閲式が実施されることを知ったようです。

しかしながら帽子投げが行われるかどうかはその段階ではわからなかった、ということです。

式次第が進み、首相、防衛大臣が退場された後にステージ左前列にいた国会議員の退場がありました。
しかし、代議士たちはステージから降りたあと、向きを変えて
客席側に向かって上がって来たのだそうです。
一人ならず、何人も。

そこで、その方は
「なるほど、先生方も帽子投げを見たいんだ!!帽子投げは実施されるんだ!!」
と思い、帽子投げが行われることを確信したということです。

その中には小泉議員、宇都議員などの顔もあったそうで、出席したほとんどの議員が
通路にびっしり並んで立ったまま帽子投げを待っていたということです。

そして、後期学生長だった候補生が解散の号令をかけるため中央に進む前に、
以下のようなアナウンスが二度流れました。
「候補生が、正面両側出口に殺到します!!。危険ですから立ち入らないようにお願いします」

普通はありえないアナウンスですが、あの様子を見たら納得できます。
というか、候補生たちが毎年毎年よく一人の怪我もなく無事に退出できるものだと感心します。
Unknown (森のくま)
2014-04-01 23:24:31
こんばんわ、エリス中尉

以前は防大のダンスパーティは防医大の高等看護学院の女子学生との出会いの場となっていました。
もちろんアカシア会から知り合いを通して
社交ダンス部のある大学のダンス部女子もきますが、
高等看護は身元も確かなので、生徒は狙ってますねw
看護学生の殆どが幹部自衛官と結婚しますし。
今後は防医大看護学科の女子学生に移行していくと思いますが、
続けて欲しいですね。

帽子投げに関しては、米軍は帽子は自前なのに対し、
防大は官品(税金)なので、破損の恐れがある帽子投げに
いい顔をしない人も内部にいます。
「官品を粗末に扱っている」と映るようです。
実際に踏まれ壊れてるって事もありますし…
第3者から見る分には良いのですが、内部の意見として
もう少し品よく出来ないものか・・・という意見もあります。

帽子投げは何時から? (Coral)
2014-04-04 21:45:08
エリス中尉

調べたいことがあって、以前読んだ防大OBの方が書かれた本を取り出しめくっていましたら、帽子投げについて
以下のようなことが書かれていました。

アメリカのウエストポイントを真似て、卒業式に帽子投げが始まったのは、13期生(昭和45年)からだった(要略)

ついでにもう少し始めるにあたり経緯を書いてあればうれしかったのですけれど、残念ながらこれしかありません。

森のくまさんのコメントですと、官品の扱い、品位上でご意見もあるようですが、今と違い自衛隊、防大に最も風当たりの
強い時期から始められていますから、その辺のことは十分検討されて問題ないと判断され始められたのかと推測します。

また以後半世紀近く続けられている(ご承知のように2011年は自粛されました)のですから、やはり中止、変更するほどの理由はない、また若干の問題があったとしてもそれに勝る続ける理由が存在するということなのでしょう。

因みに「官品を粗末に扱っている」と映る、というご意見ですが、そう見えても仕方がないかも知れないとは思いますが、
投げられる帽子は4年間使用した帽子ですからおそらく耐用期限満了でしょう。だとすると仮に踏まれて壊れたとしても
弁償するとか修理するとか実務上の問題も発生していないのではないかと推測します。

以上、帽子投げに関する雑学と推測のお話でした。

使用期間終了 (エリス中尉)
2014-04-04 22:59:46
昭和45年ですか。
13期生がそれを行うことに決めたのにはどんなきっかけがあったんでしょうね。
防大のような組織で始めるからには突発的なアクシデントではなく、
何らかの会議なり上の承認を取り付けるなどの経過を経たはずだとは思いますが。

2011年の自粛というのは勿論震災を受けてですね。
例年通りだとすると、卒業式が行われたのは大災害のわずか10日後くらいだったはずですから
それも当然かもしれません。
卒業式そのものが行われない可能性もそれこそあったのではなかったでしょうか。

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