ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

トラ!トラ!トラ!~黄色い複葉機

2010-08-17 | 海軍
淵田少佐や米軍軍楽隊をモノクロで描いたのですが、この映画はれっきとしたカラー映画です。特に人物のアップはカラーだと難しいんですよね。
今日は飛行機ですので色を付けました。
この黄色い複葉機が今日の話題です。


この映画について書くのも三回目となりました。
いやあ、こんなにネタ満載の映画とは知りませんでしたわ。
Pearl Harbor never diesってこのことですか。


真珠湾攻撃に参加した人名を見ていると、その他の戦記に登場する名前がずらずらと出てきます。

たとえば、岡嶋清熊大尉。土方大尉の戦闘三〇三の隊長です。
「飛龍」の攻撃隊指揮官として参加してます。
「雷撃の神様」といわれた村田重治少佐。
やはり艦爆の豪傑、親分と呼ばれた高橋赫一少佐。
それから、加賀から制空隊長として、志賀淑雄大尉(当時)が出撃しています。

その志賀大尉(終戦時少佐)の話です。

志賀少佐は源田大佐率いる本土防空部隊、三四三航空隊の飛行長として終戦を迎えます。
進駐してきた米軍士官の尋問で「源田大佐はどこだ?」と志賀少佐は尋ねられます。

「彼は今行方不明だ。何故探す?」
「彼は真珠湾に行った」
「真珠湾なら俺も行ったよ」
それを聴いた途端、その士官は

”I've found my boy!"

(見つけたぞ!の意。My boyはアメリカ人にありがちな表現で、志賀少佐が少年のようだったという意味ではありません)と言って志賀少佐の肩を掴んだそうです。

アメリカ当局は、勝利するやいなや真珠湾についての総括を開始し、記録をまとめ上げるために日本側からの証言者を血眼になって探していたのです。

国力において日本をはるかに凌駕するアメリカといえども、この真珠湾における「航空戦の重用」という、その後の大戦の流れを方向づける先制攻撃をしてのけた日本に内心驚嘆していたこと、すなわちこの攻撃をアメリカがいかに軍事上の痛恨事だと思っていたということが分かります。

蛇足にすぎない私見ですが、私はこの一事や明治維新に見られる、日本人の「あるとき突然ブレイク・スルーをしてのける」能力が、戦後日本の奇跡の発展の一助になったと確信しています。
おそらく「真珠湾」を知っている彼らはそのことを「奇跡」とも思わなかったのではないでしょうか。
そもそも日本人の潜在能力を脅威と捉えたからこそ、日本を挑発し「最初の一発を撃たせ」出る杭を合法的に叩きつぶしたかった、と言うのが当時の列強の真意だと私は思います。



志賀少佐の話を続けます。

この映画について書いた一番最初の記事で、暁の出撃シーンについて書きましたが、志賀大尉はこのとき一番に飛び上りたくて、(自分の艦加賀のではなく)旗艦赤城の発艦信号機が上がるのを待ち構えていたそうです。
しかし、先を越されてしまい、二番になってしまったそうです。
一番に飛び上がったのは赤城の板谷茂少佐でした。

東野英二郎扮する南雲中将が見送ったのはこの板谷機だったわけです。

このとき、真珠湾攻撃に参加した攻撃隊のうち、特殊潜航艇の9軍神を含め64人が戦死し
ています。
しかし誤解を恐れずに言えば、それは軍人として本望の死というものではなかったでしょうか。
志賀大尉は出撃して朝日をバックに堂々の大編隊を見たときの感慨をこう残しています。

「日本全軍が一つの槍となり、その剣先のさらに先頭が自分であるというのは、まさに『男子の本懐ここにあり』と感じた」

映画では田村高廣の演じる淵田少佐が「見てみい、旭日旗や」と昇る朝日を指して言います。
この日の太陽が吉兆に思えた、という記述は淵田少佐自身の伝記によるものです。




さて、今日画像の黄色い複葉機ですが、映画では飛行機操縦学校の練習機で、前に生徒、後ろに先生(太ったおばちゃん)が乗っています。

おばちゃん先生、機嫌良く指導をしていたところ、日本軍の編隊をを頭上に認め顔色を変え「私が操縦するわ」と言うやひらりと機体を翻して逃げるのですが、それを三人の搭乗員が上から

(-_-(-_-(-_-)「・・・」

という感じで見送ります。

なかなかユーモラスなシーンで、きっと映画館では笑いが漏れたのだと思われますが、実際はそうではありませんでした。

志賀少佐はパールハーバーに到着したとき、この黄色い複葉機を見ています。
「あ、民間機だ。誰も墜とさなければいいけどな」
と思ったのですが、その飛行機は、その後「加賀」の山本旭一飛曹が撃墜してしまったのだそうです。

志賀大尉が、「大東亜戦争の発艦一番乗りをせん」と扼腕して待っていたように、山本一飛曹もまた、撃墜一号を記録せん、と張り切っていたのでしょう。

この山本一飛曹は民間機を撃墜したということで懲罰とまではいかないものの、志賀大尉から叱責を受けたとのことです。

この場面は明らかに志賀少佐が戦後記述したことからの描写だと思われますが、撃墜してしまったということを映像にしなかったのは日本側製作者かアメリカ人総監督か、果たしてどちらだったのでしょうか。
 
真珠湾攻撃におけるアメリカの民間人の犠牲者は57人。
(ちなみに軍関係者は2,345人)

そのうちの二人(志賀少佐は遊覧機と言っていますが、映画の「飛行学校」を取るとしたらおそらく二人でしょう)が、このうちに含まれていたということになります。



参考:零戦最後の証言 神立尚紀著 光人社


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