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1942年8月7日ラバウル 台南空

2010-12-13 | 海軍

このブログに来られる方なら、どなたでも一度は見たことがあるに違いない写真です。
この日連合軍の大部隊がガダルカナル島ルンガに上陸、近くにあるツラギの守備隊は全滅。
ラビ攻撃を予定していた台南空の一八機の零戦は、
急遽陸攻隊の掩護につくため行き先をガダルカナル上空に変更します。
そして、御存じのとおり坂井三郎一飛曹(当時)はドーントレスの銃撃により頭部と目を負傷。
ただ一機で千キロの距離を帰ってきて、ラクナイ飛行場に降り立ったところです。


今日は、改めてこの日の台南空について書いてみようと思います。

この日の行動調書からご覧下さい。

昭和17年8月7日 ツラギ敵艦船攻撃 陸攻隊掩護
(第1次)


【1中隊】
1(11)小隊 消耗機銃弾2700発  被害         効果、記事
総指揮  1番機 中島 正        無  
     2番機 西沢広義         無         グラマン戦闘機X6撃墜
     3番機 吉村啓作         無         グラマンfcX3撃墜、不確実2

2(12)小隊 消耗機銃弾2700発
小隊長1番機 高塚寅一         空中火災大破  グラマンfcX3撃墜、不確実1  
    2番機 山下貞雄          被弾X4      グラマンfcX3撃墜、不確実1       
    3番機 松木 進           無         グラマンfcX3撃墜、不確実1
                                小隊(グラマンfcX2撃墜、不確実1、協同撃墜1 )

【2中隊】
1(21)小隊 消耗機銃弾3110発              
指揮  1番機 河合四郎         無           グラマンfcX1撃墜
     2番機 吉田素綱         行方不明        空白
     3番機 山崎市朗平        無           グラマンfcX1撃墜、  
                                      協同撃墜1
2(22)小隊 消耗機銃弾2210発
小隊長 1番機 大木芳男         脚不良引き返す
     2番機 徳重宣男          被弾X4       グラマンfcX3撃墜、不確実1、双発中型機一撃墜
     3番機 西浦國江          行方不明

【3中隊】
1(31)小隊 消耗機銃弾2700発
指揮  1番機 笹井醇一        無            グラマンfcX2撃墜、不確実1、協同撃墜1
                                     SBC艦爆1撃墜
      2番機 太田敏男       無            グラマンfcX2撃墜、協同撃墜2
      3番機 遠藤枌秋       無            グラマンfcX1撃墜、SBC艦爆2撃墜

2(32)小隊 消耗機銃弾2700発
小隊長  1番機 坂井三郎       被弾X3         グラマンfcX1協同撃墜、SBC艦爆2撃墜       
      2番機 柿本圓次        無            グラマンfcX1撃墜、SBC艦爆1撃墜
      3番機 羽藤一志        無            グラマンfcX2撃墜、
                                         協同撃墜2

0230 合計 43機
fcX30、fbX5、中型X1、不確実X6、編隊戦果X1

以上の18機です。
そのうち、ベテランの吉田元綱一飛曹、西浦國江二飛曹が未帰還。
やはりベテランの高塚飛曹長は機が大破したにもかかわらず武運強く生還したようです。

この日、従軍画家の林唯一氏が、指揮所で帰ってくる零戦隊の士官搭乗員を目撃して
その様子を書き遺してくれています。

少し長くなりますが、その様子です。

指揮所の階段を駆け上がってきたのは××飛行長(中島正少佐)である。
飛行帽、飛行服と、かきむしるように脱ぎ捨てて、
「いや、今日は墜した墜した、何ぼ落したかしれん」
と、その細い髭を伸ばした、痩躯の飛行長は、躰とは別人のような元気な高声で、
「散々叩きつけて、もう居なくなったと思って引っ返すと、
また後から食い下がって来やがってのう、何ぼ位墜したかい」
と言って、後から入ってきたK大尉(河合四郎)に訊く。
K大尉は、腕に分隊長の印をつけた飛行服を脱ぎながら微笑していた。
若い艶々しい顔をしていた。
従兵がコップに冷たいものを注いで持ってきた。

「勘定していられなかったが、二十五六機でしょう」
「おいおい、あんなに墜してそれっぽッちかい」
「それくらいでしょう。僕は六機墜した」



ここで驚くのが、自分が撃墜したと思っている敵機の数と公式記録の違いです。

直後に本人が「六機」と言っているにもかかわらず、
行動調書によると、河合大尉の記録はこの日の攻撃で確実一機、協同撃墜一機です。

敵機の行方を最後まで確かめなければそれは記録にならないので、
しばしば自分が撃墜したという数と記録の間に齟齬が生じるのは当然のことだったのでしょう。

さて、続きです。

二人は冷たいものを、一息に飲み乾した。
司令も、副長も、頷きながら聞いていた。S中尉(笹井醇一)がはいってきた。
みんな、この部隊の至宝である。


笹井中尉登場。
上官がしばしその日の空戦について話を弾ませ、誰かが笹井中尉に
「攻撃機の方はどうだった」と尋ねます。
「うまくいったようです。
断雲の間からしか見えませんでしたが、
敵の艦船がひどく煙をあげているのを見ました」


しかし、このときの笹井中尉は、愛する部下の坂井先任が帰ってきていないので
気が気ではなかったはずです。
勿論軍人ですから、そのようなことを部外者もいるところで口にするようなことは
なかったと思われますが。


戦果も大でしたが、台南空はこのときすでに搭乗員二人が行方不明になっています。
その三人目になるかと思われた坂井先任が帰ってきて基地中が大騒ぎになりました。
 写真は報告をすると云い張り、助けを借りずに歩く坂井一飛曹です。


 この写真について今日は少しこだわってみましょう。

まず、一番左側、この絵では手しか見えていませんが、
白い防暑帽、防暑服の壮年の男性がいます。
これは、おそらく今から報告を受けようとしていた齊藤司令に間違いないと思います。

このときに被っていた飛行帽とゴーグルは、坂井さんが死の直前寄付をした、
アメリカ、テキサス州のニミッツ博物館に、笹井中尉が坂井氏帰国の際渡したバックルと
寄り添うように展示されています。
そこに添えられた本日画像写真の説明に
「怪我と疲労で気を失う直前、報告することを言い張った」時の写真、とあります。

坂井先任の右横を歩くのが笹井醇一中尉
左側で心配そうに坂井さんを見ているのが太田敏夫兵曹
太田兵曹が大事そうに抱えたものは、かれが日本ニュースに写っていたときに
小脇に抱えていたのと同じような紙ばさみです。
坂井さんが何か持っているので、代わりに持ってあげているのでしょうか。

笹井中尉の陰に隠れている人影は、おそらく背の高さから、
西沢廣義一飛曹だと思われます。
坂井さん自身の記憶で「太田と西澤に両側を支えられて歩いた」という記述があります。

そして、笹井中尉の後方、体格の良い搭乗員がいますね。
かれは、残っているいくつかの写真から、福森大三兵曹ではないかと思われます。
いつもひょうきんで、台南空のムードメーカー的存在であったと言われた福森兵曹も、
このときばかりは心配そうな表情を隠しません。

そして、その右、横顔を向けている飛行帽の搭乗員は、上原定夫兵曹ではないでしょうか。
あくまでも他の写真からの推測ですが、この日上原兵曹はこの搭乗割に入っておらず、
だから搭乗服を着ていないという説明がつきます。
かれはこの頃までずっとマラリアで伏せっており、回復したところだったそうです。

福森兵曹がフル装備なのは、彼らがガダルに行っている間に邀撃要員として待機しており、
事実基地に飛来したB-17を追撃した搭乗員がいたということなので、
そこに入っていたのかもしれません。

それにしても、上原兵曹が大事そうに手に持っているものは何でしょうか。

持っているといえば、坂井先任も手にしているものがあります。
脇に抱えているのは分厚い本のようなもの。
そして、手には何故かどう見ても双眼鏡にしか見えないものを持っています。
この状況でどうしても自分で持たなくてはいけなかったのでしょか。

さて、フル装備の搭乗服であれば、今日の搭乗割に入っていて
一緒に飛んだ搭乗員かもしれない、という予想が成り立ちます。

そのうえで、太田敏夫のすぐ左、一人置いて大股で歩いている搭乗員、
この二人が坂井一飛曹の列機であった、
羽藤一志三飛曹と、柿本圓次二飛曹かもしれない、と思ってみたりします。
(太田さんの左の搭乗員は、写真から見ると、吉村啓作三飛曹に似ている気もしますが)

特に左端の、どうやら坂井さんより小柄な搭乗員、
機を降りてからかれはどうやら飛行手袋すら取らないままです。
自分たちが帰投してから2時間、太田兵曹始め何人もの搭乗員が、
暑いラバウルでフル装備のままでいたというのは、
かれらがいかに帰らない坂井機や吉田機を心配していたかということでもあるのでしょう。

この搭乗員、眉根を寄せた表情といい、
小さい体で思いっきり大股に歩いて坂井さんの横に追いつこうとしている様子といい、
自分を救ったあと行方不明になってしまった坂井機を見つけられぬまま帰ってきてしまい、
おそらく責任感に身を苛んでいたに違いない羽藤一志三飛曹であるというのは
確実のような気がしますが、いかがでしょうか。




参考:防衛庁所蔵 台南航空隊行動調書
   「爆下に描く」 林唯一 中公文庫
   日本海軍戦闘機隊 本の森センター編 コアラブックス発売・復刻上製版
   歴史街道 2010年7月号「零戦とラバウル航空隊」より





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