ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

大和の四六糎砲

2011-01-11 | 海軍
     
     

先日うちに来た戦艦大和設計図の主砲部分です。

こうなってみてあらためて大和について書かれた出版物の多さに目を見張る思いなのですが、
それこそメカを研究しつくしたもの、辞典形式でトリビアの泉風のもの、3G映像のCD付きのもの、
小説、ドキュメンタリー、そしてSF仕立てのもの・・・。
(宇宙戦艦ヤマト、観に行かれました?)

したがって、わたしが思いつくようなことなど、きっとどこかで誰かに検討されているものと思われますし、
それこそ研究している方にとっては笑止の意見が含まれていることを最初にお断りしておきます。

それにしても、大和とはつまり「負けいくさ」だったわけです。
この悲劇をこれほどドラマとして、そして象徴として愛する、というのは
よく言われるように日本人の「もののあわれ」「滅びの美学」好きなのでしょうか。
たとえばホーネットや、バンカーヒルについてアメリカ人が微に入り細に入り、
形を変えあらゆる角度から語っているという話は聞いたことがないのです。


さて、戦艦大和は世界最大の四六糎砲を九門装備していました。
本日画像は主砲の部分を、上面と側面、同じ部分を並べています。
今更説明するまでもありませんが、艦橋の前甲板に六門、後甲板に三門です。


戦艦大和は昭和一二年、国家予算の三パーセントを投入して造られた帝国海軍の最終兵器でした。
秘密主義の旧帝国海軍の徹底した「鉄のカーテン」に隠されたまま建造され、そして、その能力のほとんどを使うことなく海に沈んでしまった悲劇の艦船(ふね)大和。

日本の別名であるこの名を持った大和が、大鑑巨砲主義の終焉の、
そしてあの戦争における日本という国そのものを象徴し、いまだに人々を惹きつけるのはなぜなのでしょうか。


口径四六センチの艦砲を持つのは、この世でただひとつ大和だけでした。

日露戦争でバルチック艦隊に日本海軍が勝利して以降、アメリカは早々に日本を仮想敵国としてその準備を進め、戦艦、空母を急造します。
しかし、それらの持つ主砲は最大で40,6センチ砲。

その射程距離38キロに対し、大和の46センチ砲の持つ射程距離は41,4キロ。
東京駅から撃てば横浜、戸塚に着弾する距離です。
戦後、当時のアメリカ海軍建造部が
「このクラスの主砲を撃つことができ、かつ、戦艦として航行可能であるという艦船はアメリカでは建造不可能」
と一致した意見を出しています。

これは国力では負けていても、造船技術では勝っていた、と言うことです。
零戦や紫電改に見られるように、戦後日本人が技術立国として世界のトップに立つ萌芽は
もうすでにこの時点であらゆる部門に見えていたわけです。

しかしこれもまた現代の日本という国の抱える大きな欠点に思われるのですが、
末端の技術者が優秀でどんなものでも与えられた課題をたちどころに解決し、
さらにいつの間にかオリジナリティまで加えて完璧なものを作ってしまうのに対し、
それを生かすための執行権力を持つ機関―当時は軍といい、現在は政府―
に決定的に「時代を見通す目」が欠けており、
司令部は面子と八方破れの精神論からその技術の粋を使い捨てすることしかできなかったのです。


日露戦争でバルチック艦隊に勝利した連合艦隊司令部はなまじの勝利が災いして
大鑑巨砲主義の呪縛から解き放たれないままに行く末を見誤ったともいえるでしょう。


さらに真珠湾攻撃(アメリカ側は事前に攻撃を知っていた、と言う説も踏まえたうえで)によって、
攻撃を受けた当のアメリカが航空戦争の幕開けを予想し
この後空母をそれこそ一週間にひとつの割で急造することになるのにもかかわらず、
この先見の明ともいえる航空部隊の攻撃の結果を受けていながら
ちょうどその前日の12月7日主砲の試射を実地、開戦当日試験を終了し、就役してしまった大和。

そこには軍縮会議の講和期限の間造船を禁じられていた造船技術者たちが、
その技術の粋をここぞと大和、武蔵に注ぎ込む「技術屋の執念」が覗えます。
それは・・・・


男のロマン?


こんな甘いことを書くと、四方八方から46センチ砲が飛んできそうなのですが、
飛行機屋の小園安名大佐が、中尉時代から
「これからは航空戦の時代です。大和の建設はやめるべきです」
と上に直訴していたと言う話を読むと
「航空屋には分かっていたのに・・・」
と思わずにはいられません。




さて、その山本司令が―当時すでに連合艦隊司令長官であった―大和に乗艦して
「主砲を見せろ」
と言ったらなんと、
「何人たりとも見せるなと言われております」
と追い返されてしまったというのです。
これはいつの段階のことかは書かれていませんでしたが

「俺を誰だと思ってるんだ!」

と、こういう場合くらいは言っても許されるような気がします。
山本長官でダメなら、誰なら見てもよかったんでしょうか。

と言うくらい海軍の秘密主義は徹底していました。

この山本長官も早くから大鑑巨砲主義に見切りをつけ、航空機の時代を作った本人ですから、
大和は建設にすら反対、そんな金があれば航空機を、という主張でした。
「君たちは一生懸命やっているが、いずれ近いうち失職するぜ」
と造船技術者に言ったり、
「大和も、床の間の飾りくらいにはなるだろう」
と皮肉っていたということです。

ともあれこの徹底した秘密主義ゆえ、46センチ砲は46センチ砲とではなく

九四式四〇センチ砲

と言う名前で呼ばれていたのだそうです。
いくらそう呼ぶように言われても、毎日それにまたがって掃除するわけですから、
少なくとも大和乗員は知っていたと思われますが。

あまり秘密にし過ぎて、艦隊で行動するときに作戦の立てようがなく、
したがって折角の巨砲も宝の持ち腐れで終わってしまったという説があります。





大和の戦果というのは、そんなこんなで全く元を取れないまま、四十六センチ砲は三度火を噴きましたが、
それによって相手に与えた損害はほとんどなかったと言われます。

ガンビア・ベイにそれが当たり、沈没したとする説もありますが、
先日「駆逐艦藤波のこと」という記事で書いたように、
実際にガンビアベイの沈没の原因になったのは重巡利根と今日では確定されており、
「当たって欲しい」「当たったはず」という精神作用が、防御煙幕や至近弾を火災と誤認させた、
と利根の艦長は手厳しく断じています。
このときガンビアベイの漂流者に向かって大和の砲兵が感情的になってか副砲を撃ったのを上が慌てて止めた、
という話が伝わっています。




しかし。
大和建造が日本海軍の「日本海海戦よもう一度」という大鑑巨砲主義であったか、ロマンであったかはともかく、
それを歴史を知る後世の人間が「先が見えていなかった」と言うのは実に卑怯なことに違いありません。


ですから「もしあの時海軍が大和建造をしなければ」
と言う仮定はまったく意味をなさないのですが、たった一つ、此処で個人的な
「もし」
を問わせていただけるのなら。

「もし、大和の46センチ砲を少なくとも国内で明言していたら
 
艦隊の戦い方が作戦を立てる上でもう少し有利になっていなかったか?」

「もし、大和の46センチ砲を、世界に向かって公開していたら

1940年当時で英米も持ち得ない兵器を持っているということは
  開戦前交渉の段階で核保有にも似た抑止力にならなかったか?」



大和がこれほどの秘密裡に建造された理由は
「相手に同じようなものを造られたら困る」
と言うことに尽きたようですが、現実は(後から分かったことですが)
アメリカにも、勿論イギリスにも建造は不可能だったわけですから。

先ほどの話ではありませんが、現在、「技術一流、政治三流」と言われる日本国が
決定的に国際的な駆け引き、そして戦略に弱いというその原型が、すでにここにも見られるような気がするのです。









最新の画像もっと見る

1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
大和と日米海軍 (AKHNS)
2011-04-16 14:47:39
突然の書き込み、失礼致します。
エントリー拝読させていただきました。やはり彼女は魅力的ですね。今でも虜になる人が後を絶たないというだけでも影響力の絶大さを感じられます。

唐突ながら大変恐縮ではあるのですが、私の恋人でもある彼女について少々お伝えさせて頂きたい旨があり、僭越ながら書きこまさせて頂こうと存じます。


>国家予算の三パーセントを投入して造られた帝国海軍の最終兵器でした

この年度の予算案(③計画)では大和・武蔵に割くリソースは28%と大きなものなのですが、空母二隻(翔鶴・瑞鶴)と航空隊整備費の航空予算が26%とほぼ同額となります。

絶対額に目が行きがちですが、これに先立つ②計画において、既に高速空母二隻(飛龍・蒼龍)を整備する予算が成立していること、そして改⑤計画まで戦艦建造が無く、予算に組み込まれていても優先度が低かったことを考えますとを考えますと、むしろ重点は航空機戦力ではなかったかと考えます。

http://www.nicozon.net/watch/sm8489580
この動画の14分あたりで③計画全額の円グラフが、それ以降は昭和10年頃からの邀撃ドクトリン変化の様子が見られます。


>日露戦争でバルチック艦隊に勝利した連合艦隊司令部はなまじの勝利が災いして
>大鑑巨砲主義の呪縛から解き放たれないままに行く末を見誤ったともいえるでしょう。

これも相違があるかと・・・。
条約上、対米戦力で劣勢を覆すのが難しい帝国海軍は、より費用対効果の安い戦力へと、かなり早い段階から傾斜します。

当初は水雷戦隊による夜間水雷飽和攻撃だったのですが、航空機の発達と母艦航空戦力の拡充、基地航空戦力の充実などから、むしろ戦艦は敵主力を拘束し、他の味方戦力の突破を補佐するような役割が期待されていた節があります。

http://www.warbirds.jp/truth/torpedo3.html
こちらのサイトの30章以降が参考になるでしょう。

http://www.warbirds.jp/ansqn/logs-prev/B001/B0002828.html
こちらのお答えも的を得ていると思います。

http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/200403/05.pdf#search='戦間期における海軍航空戦力の発展' 
-山本五十六と軍事革新-
論文もあるので、ご参考までに。


>攻撃を受けた当のアメリカが航空戦争の幕開けを予想し
>この後空母をそれこそ一週間にひとつの割で急造することになるのにもかかわらず

アメリカは必ずしも、航空機を最優先の兵力整備対象と考えたわけではないかと。

http://stanza-citta.com/bun/2009/06/05/373
http://stanza-citta.com/bun/2009/06/07/379
「帝国海軍と違い、アメリカ海軍は大戦終結後も、戦艦>>空母だったんですよ」ということを分かりやすく説いてくれるブログです。


>実際にガンビアベイの沈没の原因になったのは重巡利根と今日では確定されており

大和の戦闘詳報を見ると、確かに「結論を付け得ざるも」と保留していますが、咄嗟砲戦の電測(レーダー)射撃は極めて良好と記されています。
実際、初弾か次弾で夾叉を達成している(と言う事は当たってるのと数字的には同じと言って良いかと考えます)ようなので(しかも金剛も同様の結果ですので)、やや慎重になられても宜しいのではと愚考する次第です。

参考:http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000433.html
http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000306.html


>大和の砲兵が感情的になってか副砲を撃った

ここは「男たちの大和」によれば機銃だったかと。


>もし、大和の46センチ砲を少なくとも国内で明言していたら
>艦隊の戦い方が作戦を立てる上でもう少し有利になっていなかったか?

大和型は確かに強靭(と言いますかバケモノじみた)な攻防能力を持っていますが、その運用は、あくまで世界最強級の既存の6隻(+4隻)の戦艦群に加わり、集団としての能力をプラスするものです。
第一艦隊は今までの戦力に新たな面子が加わって、更に強力な打撃力となりますが、要はそれだけで、大和は新しい戦力単位でも何でもなく何隻かの中の強力な戦艦であり、そしてそれで十分だったわけです。

そして、帝国海軍は上に少々書かせていただいた通り、戦艦をむしろ捨てる方向に舵を切っていたのですから、大きく戦い方が変化することはないでしょう。


>もし、大和の46センチ砲を、世界に向かって公開していたら
>1940年当時で英米も持ち得ない兵器を持っているということは
>開戦前交渉の段階で核保有にも似た抑止力にならなかったか

先にもご紹介させていただいたブログ様のエントリーですが、
http://stanza-citta.com/bun/2009/05/05/358
アメリカの戦艦建造は(アメリカ側の建艦計画を受けて)、拡大した帝国海軍の増強計画に対抗するためという側面もたしかにあるのですが、それにしても多すぎます。
(1938年段階でアメリカの失業率は19%ですので、「箱物」は雇用拡大という面からは大変ありがたいのです。)

ガダルカナルで第三戦隊と渡り合った、ワシントン・サウスダコタの竣工時期を考えると(ワシントン1941年。ダコタ42年。これに完熟訓練期間が必要です。)、41年冬に竣工する大和を持って外交の材料にするには厳しいかと考えます。

また、米英は41年に対枢軸要領であるレインボ-5を策定しており、その概略は、
「まずドイツを総攻撃し、日本は押さえておく程度に牽制する。ドイツ撃破の後総力を上げて太平洋に侵攻、日本側を撃破する」というものでした(そして、真珠湾以後は完全に目算が狂います)。

この対日戦の最終局面時、アメリカ海軍(日本海軍ではなく)は40年近く計画していた、「戦艦による艦隊決戦」を日本側と行うとしています。

先方はこのような腹積もりでしたので、アメリカとしては、「強い戦艦があるらしいが、大西洋から持ってくる戦艦と合わせて数で何とかできる」といった考えに落ち着くのではと考えます。


やや批判的な書き込みに、長々と書き込みまして、大変失礼致しました。
大和は魅力的ですが、「だから大艦巨砲」的な誤解が生じるのはまずいと感じたゆえ、書きこませていただいた次第です。

乱筆乱文お詫び致します。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。