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ジョン・ハインツ上院議員記念歴史センター@ピッツバーグ

2021-04-16 | 博物館・資料館・テーマパーク

何度かお話ししている通り、ピッツバーグはあのハインツの発祥地です。
フットボールのスティーラーズのホームグラウンド、ハインツフィールド、
最初にここで起業したときのハインツ工場跡が周りにもあるわけですが、
このハインツヒストリーセンターは、会社のハインツではなく、
飛行機事故で若くして亡くなった共和党の上院議員、

ヘンリー・ジョン・ハインツ三世(1977−1991)

に因んだ名前となっています。

COVID-19の騒ぎの前、見学したときの写真をもとに、しばらくの間
この展示についてお話ししていこうと思います。

ハインツ歴史博物館に足を向けたのは、2019年の夏のある日のことでした。
ストリップ地区という?な名前の地域にありますが、そこにいくのに
ダウンタウンを通り抜けていくことになりました。

ピッツバーグには大きなユダヤ系のコミュニティがあるため、
ベーグルにハズレがあまりないと言う印象があります。

「アインシュタイン・ブラザーズ・ベーグルス」

というなかなかにキャッチーな店名のこのお店、
美味しいかどうかはわかりませんが、ロゴが可愛いので写真を撮りました。

ヒストリーセンターに到着。

ハインツの旧工場と同じく、総煉瓦造りの建物は築100年くらいだそうです。
ちなみにハインツ工場跡は、Heinz Loftという名前のアパートになっていて、
内部はちょっと住んでみたくなるほどおしゃれに改装されています。

ジョン・ハインツ上院議員ヒストリーセンターという総合名称のもと、
ここハインツ歴史センターの他、ペンシルベニアスポーツ博物館、
(わたしが前回行き損なった)フォートピット博物館、メドウクロフトロックにある
シェルターと歴史村、図書館などが包括されています。

さて、わたしがなぜここにきたかと言うと、通りすがりにこの看板を発見したからです。

「ベトナム戦争」。

第一次・第二次世界大戦の資料を展示する戦争博物館は、
アメリカで航空博物館を中心にいくつもみてきましたが、
ベトナム戦争だけに特化した展示が行われているのは初めて見ました。

お土産物ショップのガラスにはこんなディスプレイも。
ヘリコプターのシルエットが見えますが、ベトナム戦争といえばヘリコプターですよね。

しかし今日は建物エントランスに展示されている
車などをご紹介することにします。

広いエントランススペースには休憩用のテーブルや椅子があって、
何時間でも時間を潰すことができます。

奥に「ピッツバーグ」と行き先の書かれた車両が見えますが、
これはどうもかつてピッツバーグ市内を走っていた電車のようです。

これですね。
車体番号は現物が1724で写真が1711です。

世界中のほとんど全ての路面電車と同じく、1902年に始まった
ピッツバーグの路電は、車の量が増えるとともに廃止されていき、
1964年には全廃止となりました。

前で写真を撮っている人がいますが、おそらくこの人が生まれた頃には
路面電車はもう走っていなかったのではないでしょうか。

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コネストーガ(Conestoga)ワゴン

1784年、ジョージ・フレックとその家族はこのワゴンで
アレゲニー山脈を越えてペンシルバニア州西部にやってきました。

当時、ほとんどの家族は牛車に所有物を乗せ、歩いて移動を行いました。
コネストーガ幌馬車は、大量の貨物を輸送することができたので
一般的に使用されており、当時のトラクタートレーラーのようなものです。

「ペンシルバニア・ターンパイクのコネストーガ幌馬車」

ターンパイクという言葉は新しいものではなく、18世紀後半に出現した
道路の管理をするために通行料を取る有料道路のことを言います。

民間企業が管理を行なっていたことから運用が混乱を招き
廃止になっていましたが、第2次世界大戦後、高速自動車道に
「有料道路」という意味でこの言葉が復活したものです。

これは一眼見ればわかる、ハインツで使われていた輸送車ですね。

「テーブルのための良いもの」(Good things for the table)

というのが当時のコピーです。

1919年 ニューヨーク消防署の消防車

American LaFrance Fire Engine Company(ALF)は、消防車、救急車などの
緊急出動車に焦点を当てたアメリカの自動車メーカーです。

フランス系の「ラフランス」一族によって設立され、2014年まで創業していました。

創業は1832年、アメリカンラフランス消防車会社は米国で最も古い消防車メーカーの1つで、
1907年には最初の電動消防車を扱っています。

フォード デラックスセダン 1936年

ペンシルバニア州で製作されたステンレス鋼ボディの光り輝く仕上げ。
これはステンレス鋼本来の素材である証です。

製造されてから」85年が経過し、走行距離は20万マイル以上ですが、
ごらんのようにボディはまだ新品のように輝いているのが驚異的です。

この車は地元企業のアレゲニースチールとフォード社によって設計されたもので、
ステンレス鋼の実用的な使用法とともに宣伝にもなっています。

デトロイトで組み立てられたあと、車はNY、フィラデルフィア、クリーブランド、
シカゴ、デトロイトなどの地区に派遣されて、そこでデモ運転を通して
ステンレス鋼の価値とその能力についてアピールを行いました。

ステンレス鋼への関心と興味が高まるだけでなく、この金属の耐久性、
摩耗、そして腐食に対する耐性を宣伝するのがその目的です。

ステンレス鋼ボディはそうでないものに比べ明らかに長持ちします。

車は1947年まで広告塔としての役割を務め、その後引退しました。

左がこの1936年フォード、真ん中が1967年リンカーンコンチネンタル
そして右が1960年サンダーバードです。

これは2〜30年新しい車(当時にして)と比べてもこの艶は遜色なし、
ということをアピールするために一緒に写されたものだと思われます。

バンタム偵察車 BRC 40 アメリカンバンタム自動車会社製 1941

実はペンシルバニア西部は「ジープ発祥の地」なんだそうです。
アメリカが第二次世界大戦に参加する19カ月前の1940年、アメリカ陸軍は
オートバイの代わりとなる偵察車の入札を要求しました。

需品科は全米の135の自動車メーカーに入札セットを送信しましたが、
ほとんどの企業はこの厳しい期限と厳格な仕様を満たすことは不可能であるとして辞退。

しかし、そんな中ペンシルバニア州バトラーのアメリカン・バンタム・カンパニー
オハイオ州のウィリス・オーバーランド社だけがこの入札に応じ、前者が受注を受けました。

わずか49日の期限内にアメリカン・バンタム社はプロトタイプを素早く手作業で製作し、
第二次世界大戦の勝利に寄与するための有益な車両を納品することに成功しました。

しかし、陸軍は、この会社には迫りくる戦争のために大量のジープを製造できない、
と判断したため、製造の契約はフォードと競争相手のウィリス・オーバーランドに行き、
バンタム社にはジープトレーラーを作るための「慰めの契約」が申し訳程度に与えられました。

いいのかこれ。

とはいえ、第二次世界大戦の間、SUVに続いてウィリス・オーバーランドによって
生産された民間用ジープと、今日わたしたちの高速道路を混雑させている(笑)
四輪駆動車は、ここペンシルバニア州西部で生産されたバンタムジープが元になっています。

第二次世界大戦の間、バンタムジープのプロトタイプを元に、
60万台のジープが大量生産されました。

1948年、ウィリス・オーバーランドは、現在のSUVSの前身である、
四輪駆動の63馬力のジープステーションワゴンを発表しました。

20口径 ロッドマン砲 1864年

1861年から1865年の間に、ピッツバーグのフォートピット鋳造所は、
2000基以上の大砲と、数千発の砲丸と爆弾を製造しました。

しかし、鋳造所が製造したものの中で、トーマス・J・ロッドマン少佐
20インチ砲の規模に匹敵するものはありませんでした。

砲身だけでも役117,000ポンド(約53トン)の重さがあり、
200ポンド(90kg 強)のマンモス火薬を装填すると、
1,080ポンド(490kg)の鉄球を4マイル(6.5km)飛ばすことができました。

Thomas J. Rodman トーマス・ジェファーソン・ロッドマン

1850年代、ロッドマン少佐はアレゲニーアーセナル(武器庫)の司令を務めていましたが、
このとき、コアから組み上げた水を使用して金型内で冷却することにより、
中空鋳造の「コロンビヤード」(大型大砲)の新しいプロセスを開拓しました。

この革新は、南北戦争以前に頻繁に発生した致命的なこれらの大型砲の自爆を防ぎました。

10インチ、15インチの口径による多数のロッドマン砲が製造されましたが、
このような巨大な20インチ砲は1864年2月まで鋳造されませんでした。

80トンの溶鉄と4ピースの鋳型が必要で、冷却に1週間かかったと言います。

政府がこのためにかけた費用は約3万3,000ドルで、
ニューヨークを見下ろすフォートハミルトンに設置されました。

ロッドマン砲は沿岸防衛のための兵器として設計されました。
リンカーン政権は、一発で船を沈めることができるスーパー砲を望んでいたのです。

ロッドマン砲はロードしてから照準を合わせるのに10分近くかかりましたが、
一度ヒットすればその破壊力は比類のない強烈な効果を生みました。

重量はそれぞれ約7,000ポンド(3トン)の2本のスチールレールにかかっています。

この写真は、1876年、「100年記念博」という展覧会で展示されたロッドマン砲であり、
ここで見ることができるものと同一になります。

右側に座っているのはフォートピット協会の責任者だったジョセフ・ケイという人です。

エントランスロビーの一角にはおしゃれな雰囲気の売店があります。

「世界一いい人」ミスターロジャース・ネイバーフッドコーナーもあり。

これは併設のお土産ショップのミスターロジャースコーナー。

しかし、今までロジャースのグッズを持っているorつけている
ピッツバーガーにお目にかかったことはありません。

いくら好きでもグッズでアピールするような対象ではないってことでおk?

ちなみに、ミスターロジャースの映画を当ブログでも紹介したことがありますが、
昨今トム・ハンクスの良からぬ噂を聞き及び、よりによって”こういう”人物が
”ああいう人”を演じるのはブラックジョークだなと思ってしまったのはここだけの話。

噂ですけどね?

わたしがもし買うならこっちかな。
ニコラ・テスラグッズ。

でも、もしあなたがYinz(=ピッツバーグの”おまえら”の意)なら、
間違いなくパイレーツスティーラーズのグッズだよね。

さて、というわけでようやく本丸の展示に進んでいくわけですが、この部分の壁に
大きくウェスティングハウスのマークが掲げられていました。

ハインツヒストリーミュージアムのコレクションにはウェスティングハウス関係
(彼もまたピッツバーグに縁の深い人物だったので)のものがあります。

このことを調べていたら、ウェスティングハウスのタイムカプセルなるものが
設置されたという記事を見つけました。

The Westinghouse Time Capsle

宛先は5000年後、カプセルの中に科学、宗教、哲学、工学、芸術に関する
マイクロフィルムテキストのリールのほか、歯ブラシ、電気かみそり、
お金、野球など、40以上の一般的な使用品などが入っているそうです。

 

さて、それでは次回からベトナム戦争についての展示をご紹介していくことにします。
どうぞお付き合いください。

 

続く。