ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「むらさめ」乗艦〜平成27年度観艦式予行

2015-10-14 | 自衛隊

さて、観艦式予行の初日です。
横須賀の某ホテルで全く睡眠不足のまま朝を迎えたわたしは、
5時半にホテルを後にして吉倉岸壁に向かいました。
6時の開門前にはなんとか前にたどりついていたいということで
頑張ったつもりですが、世の中には上には上がいて、 すでに
何十人単位の開門を待つ列ができているのには驚きました。



6時きっかりに列が動き出し、この先で手荷物検査を受けます。
ここまではすべての艦に乗る人も同じです。



岸壁で自分の乗る艦の前のテントに並び、乗船時間が来るまで待ちます。



ちょうど朝日が登りだしました。
今日は絶好の観艦式日和になるという天気予報が出ています。



岸壁手前の「きりしま」での作業。
昨日の夕方も同じ人たちが作業していたなあ。



これは「きりしま」の岸壁向かいに泊まっていた艦の作業。
皆青い作業服を着用して仕事をしていますが、この後全員が
正服にシャキーン!と着替えて臨みます。
今日は観艦式。予行とはいえ彼らにとっては「晴れの日」でもあるのです。

乗艦の時間はフネによって微妙に違います。
これは岸壁の位置によって出る順番が全く違うからで、たとえば「くらま」などは
一番後に出て一番先に帰ってくる、という役得があります。
わたしの乗る「むらさめ」は先導艦ですが、出航の順番は早いというわけでもありません。
「むらさめ」の外側に停泊している受閲艦部隊の旗艦である「あたご」の方が先です。

時間になると、テントの下の係が、差し出した乗艦券のミシン目に
わざわざ金定規を当てて三枚におろし(笑)、そのうち一枚を
透明のホルダーに入れて首にかけてを退艦時に返却するように指示されました。

前回まではなかったやり方で、これと自衛隊側が回収した名前を書く欄を
あとで照合して、海に落ちた人がいなかったか、まだ艦内に潜んでいないか(笑)
チェックするのです。

今回オークションで売ったチケットははねられるとか、団体関係で貰った人は
本人でないと乗れない、譲渡禁止など、チェックが厳しいという噂があったようですが、

現場を見るかぎり、定規でチケットを切り離すのが精一杯のこの状況で、
本人照合など出来ようはずがありません。


無料のチケットを売りさばく人がいれば、それを万単位のお金を出してでも
買おうとする人がいるというのは、それはそれで問題ですが、
これも「誰が流しているかわからない」、つまり追求できないところが流している

可能性もあるので、防衛省としても手のつけようがないのかもしれません。



さて、時間が来たのでわたしは艦内に乗り込み、脇目も振らずに食堂のある
甲板下の通路を突っ切って格納庫に突入しました。
どうしてそうしたかというと、カンです(笑)

「むらさめ」は後ろ甲板が「あたご」に乗艦する人の通路になっているので、
直接甲板に行くことを禁じられているとわかった瞬間、最終的に
甲板へのアクセスは格納庫から行われるはずだと予想したのでした。



しかし、そのような判断をしたのはわたしだけだったらしく、
乗員ばかりが林立する格納庫に一人ふらっと迷い込んだ人みたいになりました。
不安になっていると、乗組員が

「待っておられたら出港後ここが開いて甲板にいけますから」

と教えてくれ、わたしは初めて自分の判断が正しかったのだと知りました。
安心して最前列に携帯の小さな椅子を出して座り、眺めを楽しみます。



先に出航する外側の「あたご」には、甲板にパイプ椅子がありますが、
「むらさめ」には何もありません。
格納庫に来た人には毛布が配られ、これをシートにして甲板に座ることになります。
小さな椅子持ってきてよかった〜!



甲板の人の出入りがなくなり、音楽隊が整列しました。
外に向かって「錨をあげて」をまず演奏したのは米海軍に向けてでしょうか。





まるでマクラメ編みのような民芸色漂うロープの収納カゴ。
これは、艦と艦のあいだの防眩物をつなぐロープであろうと思われます。



そのうち0800の自衛艦旗掲揚が行われました。
彼らには毎朝のルーチンではありますが、掲揚を目の前で見られるだけでも、
我々一般人にとっては、このような自衛隊行事に参加した甲斐があったというものです。

始まった途端、となりのおじさんが写真を撮るために立ち上がりましたが、
次の瞬間後ろから「立たないで!」と叱責されていました。
一番前なんだから立つなよ、と思うのですが、ちょうど目の高さに制止ロープがあり、
カメラを構えにくかったので何も考えず立ってしまったようです。

ふと気づくと格納庫スペースは人がいっぱいになっていました。

しかし、こういうイベントに参加するたびに思うのですが、とくに超上級機種の
カメラを持ってくる初老の男性というのは、どうして皆ことごとく
周りに対して最初から喧嘩腰というか、傲慢無礼なのでしょうか。

まあ、100万もするようなレンズを(退職金で買ったりして)持ってしまうと、

それを活かさねば=いい場所と取らなければ=邪魔するな=文句あるのか 

という流れで、気の短いお年寄りは、すぐカッとなって人に絡んでしまうのでしょうかね。
この「文句あるのか」を、今回もわたしは朝っぱらからリアルで目撃したのですが、
よくまあいい年こいて、こんなヤクザみたいな態度を取れるものだと思います。

そんなことを言ったが最後、1日が台無しになるから自制しよう、とは思わないんだろうな。
老い先が短いと、自分を抑える時間すら勿体無いのかもしれません。


外側に停泊していた「あたご」が出航していきます。
横須賀音楽隊が行進曲「軍艦」を演奏する中、滑らかに、意外な速さで
あっというまに「あたご」の艦体は離れて行きました。



こういうときには帽触れはしません。



その後、「むらさめ」の出航まで、横須賀音楽隊が数曲演奏を行いました。
幸運にも本艦には音楽隊が同乗していましたが、どうやらすべてのフネが
楽隊付きというわけではなく、たとえば本艦が出航してしまった後、
岸壁に残った「きりしま」は、テープによる「軍艦」で出航することになったようです。

三年前の「ひゅうが」には陸自音楽隊が乗り込んでいましたが、今回「いずも」には
音楽隊の同乗はなく、コンサートなどもなかったようです。
最初のことなのであのときの「ひゅうが」のようなエンターテイメントは望めないのでしょう。

「いずも」が一般客を載せるのは初日だけで、本番には防衛大学校の学生が乗るそうです。



指揮していたのは横須賀音楽隊の隊長ではないと思います。
一番左のフルートの女性が、「ポセイドンの涙」の女性隊員だったかも・・。

「宇宙戦艦ヤマト」などの海自の公式ソング?のほか、
「セントルイス・ブルース」などのジャズを演奏して気分は盛り上がります。



出航作業が始まりました。
「きりしま」との間の防眩物を繋ぐロープを引き上げているのですが、





こんな感じで、引っ張ってロープを床に置いたらもう一度舷に戻り、
引っ張って・・・・を繰り返します。

これもきっと海軍時代からのやり方なのでしょう。



そうやって引き上げたロープは回収されあっという間に姿を消しました。



当艦の出航支援をするタグボートが近づいてきました。



今度は「きりさめ」の乗員が舷側に立って見送ってくれます。



「軍艦」を演奏する横須賀音楽隊。



帽触れはしませんが、この三佐は「きりしま」に向かって手を振っていました。
彼の視線の先は艦橋デッキでしょうか。



「きりしま」でもロープの片付けが始まっています。
作業場所から移動させられ、ひとところでてんこ盛りになっている見学者(笑)



見ている間に岸壁が遠ざかっていきます。
一仕事終えた風の三佐殿でした。

岸壁を挟んで向かいには「てるづき」が停泊していました。



米海軍基地前を通り過ぎます。
まず「マスティン」。
観艦式本番で会おうね〜!。



この日一般公開されていたというロナルド・レーガン。
わかりにくいですが、満艦飾を施しています。
ここを見ている方の中にもこの日RRを見に行った人おられますよね?

あくまでも う わ さ ですが、観艦式本番の時に、RRが
駿河湾を航行していてうっかりみんなに見つかってしまう可能性があるそうです。

真偽も出処も不明ですが、これ本当だったらすごいなあ。

 




さて、出港後前に張られていたロープが外されると、皆走り出しました。 
前列に座っていたのにもかかわらず、狭い甲板で何人にも追い越されましたが、
それでもなんとか左舷角近くのグッドポジションを取り、荷物を置いて、
前甲板はどうなっているのか見に行くと、ごらんのありさま。

あめ型の駆逐艦は甲板の傾斜が結構あるので、前はあまり人気がありません。



VLSの前は座るとちょうど背もたれになって(笑)楽かもしれません。
わたしは小さな携帯用の椅子を持って行きましたが、これには小さな背もたれがあります。
これがあるのとないのでは疲れ方が段違いなのです。

さて、この辺で、艦橋に上がってみることにしました。



「むらさめ」は春雨型「村雨」の1代目からかぞえると4代目にあたります。
就役したのが1996年のことなので、もう20年目を目の前にしたベテラン艦です。



艦橋に上がってみると、驚くことにここにもたくさんの人が!
出航の時に艦橋にいるというのもいいかもしれないですね。
ただ、このときに「むらさめ」の券をあげた方(ちなみに初対面)が

「艦橋は・・・・・雰囲気がなんか殺伐としてましてね」

と嘆かわしそうに言っていました。 
こちらは上級カメラ派ではなく、とにかくグッドポジションから見たい!派?




確かに言っている意味はわかります。
わたしなら、こんな狭いところに押しかけては隊員の作業の邪魔にならないかと
気を遣ってしまって、とてもデッキなどに出ることなどできませんが、
当たり前みたいに陣取って、そこに1日いる気満々なおじさんたちが・・・。



意外なところにある休憩室。
ここは普段乗員が一服するところだと思うのですが、
ここを住処と決めてじっとしている人もいました。




問題はこういうの。
まだこのおじさんたちは海士くんの邪魔にならないように座ってるからいいですが、
彼の視界の邪魔になっても不思議でないところに、堂々と頭を出して
海を見ているおじさんがいたのには驚きました。

「あれ、邪魔じゃないんでしょうか」

「邪魔ですよ。隊員は何も言えないから言わないだけで」



「むらさめ」の時鐘発見。



信号旗が実に美しく収納されています。
前に立っている一等海士は信号係でしょうか。



艦橋にお邪魔しました。
ずらりと周りを人に囲まれての作業です。
「いせ」のときにはどこにいても良かったのですが、本日「むらさめ」は先導艦、
つまり、観艦式のタイムキーパー的役割なので思いっきりプレッシャーのはず。
そのせいか、前方には入れないようにロープが張ってありました。



後ろ側の高いところにはモニターがあります。
ボタンでカメラを切り替えることができ、さらには
今やっているように、カメラの角度を変えて見ることもできます。



電卓で計算し、三角の定規を海図に当ててはメモに何事か書き込む。
こんな作業をずっと続けていた3等海尉。
もしかしたら水交社であった遠洋航海壮行会でお会いしてますか?



なぜか隣を「とね」が。
「とね」は観閲付属部隊(観閲部隊に付属する部隊。ってそのままですが)
の前から三番目です。

観閲付属部隊は、観閲部隊と並行して航行し、その真ん中を受閲艦艇部隊が
通過することを観艦式の基本とします。

だからなんでこのときに「とね」が横にいたのか謎なのですが、
ちょうど合流したところだったのかもしれません。



「うらが」も見えてきました。
「うらが」は掃海母艦ですが、今回は観閲部隊です。
大きいからここからみてもあまり混雑もなく、楽そうですね。



「うらが」の後ろに付属部隊の「くろべ」が。
このとき、何があったのか艦隊が全部大きく蛇行しました。

 

 

上空をたくさんのSH-60が警戒のためにブンブンと飛び回っています。



陣形は常に同じではなく、何分か経過すると、周りの様子がガラッと変わっています。
最初は2隻くらいしか見えていなかったのが、ふと気づくと後方がこんなことに。

チケットをあげたNさんは毎回必ずと言っていいほど全回参加の
「観艦式の達人」とでも言うべき人だったのですが、そのNさんが

「もうすぐ旗艦と富士山が一緒に見えますよ」

と呼ぶので右舷に行ってみると・・・、



おおおおおおお!ありがたや〜(拝んでる)

ちょうど富士山はこの前日に初冠雪がありました。
なんと、観艦式のために、てっぺんだけとはいえ雪化粧してくれたのです。
もしこれがなければ、シルエットだけの富士山になり、画竜点睛を欠いたに違いありません。

 

今年も予行から幸先良いわい。ってわたしは爺さんですか。


続く。