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横須賀出航~海軍兵学校67期の遠洋航海

2015-03-08 | 海軍

昭和14年度に行われた海軍兵学校67期の卒業後遠洋航海について、続きです。
67期の卒業式は7月25日でした。
海軍省少尉候補生を命ぜられた248名のうち242名は練習艦隊に直ちに配乗。
教官、後輩、家族にロングサインで見送られて即日江田内を出航、
近海航海の途についたのでした。

各寄港地に入港すると必ず真っ先に「水路見学」があります。
寄港地行事はともかくもそれが終わった後に初めて行われます。

前回厳しさを増していた国際情勢について少しお話ししましたが、
アメリカとの関係をいうと、支那事変以来英国とともに関係は悪化しており、
遠洋航海出航翌日の7月26日に、突如日米通商航海条約の破棄を通告してきました。

アメリカ本土への寄港取りやめにより1ヶ月航海が短縮になったのは
英仏のドイツへの宣戦布告以上にこちらの原因が主だったかもしれません。

ヒットラーのドイツは前年の昭和13年にオーストリアを併合し、
ズデーデンに進駐したのに加え、その後強引にチェコ全土も併合、
さらにダンツィッヒに及び、ポーランド回廊問題の解決を迫ったため、
ポーランドはイギリスとの間に安全保障条約を結んでドイツの圧力に抵抗します。

ドイツはイタリアと同盟を結び、かつてこの三国で防衛協定を結んだ
日本に対して同盟を迫り、陸軍はこれを強硬に推進せんとしましたが、
三国同盟は対米戦争に通ずると見る海軍首脳はこれに反対したため、
平沼首相は70回余にわたる5相会議においてもこれを決定することはできませんでした。 

このような内外の情勢は発表されていたもの以外詳しく知る由もなかったのですが、
それでも状況の変化はひしひしと一層海の守りが重要となったことを告げ、
67期少尉候補生たちはそれぞれが心に一種の覚悟を決めつつ練習航海に出発したのでした。



横須賀から遠洋航海艦隊が出港しました。

海軍大臣、軍事参議官など、要路の顕官の盛大な見送りを受けての出航でした。
この遠洋航海は前にも書きましたが、石炭専焼艦による最後の航海となっただけでなく、
帝国海軍最後の外国練習航海となったのです。


ところで冒頭の写真で不思議なのは、こちら側の水兵さん軍団が冬の第1種軍装なのに、
出港する
艦上で「帽振れ」をしている一団が夏服を着ているということです。
写真はどちらか片方の艦上から撮られたと思っていたのですが、もしかしたらこちらは岸で、
この写真はカメラマンによって撮られ、あとから配られたものなのかもしれません。


そしてこの上の写真ですが、大きめのボートに候補生らしき一団が乗っているようです。
「八雲」「磐手」は沖合に投錨していて、今から乗り移るということでしょうか。

そして横須賀に詳しい方がおられたら教えていただきたいのですが、この出港ドック、
山の位置から見て現在の米軍基地の、「ジョージ・ワシントン」が停泊している岸壁ではないでしょうか?

本練習艦隊には「磐手」「八雲」の他になんと給炭艦「知床」を随行していました。
燃料を積むための艦を連れて行ったというわけです。
しかしそれでも横須賀では「八雲」「磐手」の上甲板にさえ所狭しと石炭が搭載されました。


 

出港から二日後、艦隊は完全に外洋に出ました。
「磐手」(か『八雲』)の艦体に怒涛の波が叩きつけられます。
最初の航海は最大3,500浬航程のホノルルが目的地です。

「磐手」と「八雲」は姉妹艦で、日露戦争で活躍した排水量9800トン、
20センチ主砲4門の装甲巡洋艦です。
この写真にもその20センチ砲が少しだけ写っています。
速力は大変遅く、巡航速度は平常時速10キロくらいだったそうです。


それにしてもこれは貴重な写真ですね。
「八雲」(か『磐手』)の艦橋から砲塔を見ているわけですが、
砲塔の下に壁にピッタリ張り付いている作業服の乗組員(見張員?)が、
いかにもこわごわといった感じなのがこの距離からでもわかります。

外洋の揺れで候補生たちは皆居室で船酔いのため倒れてしまって、
「ガス室状態』(by『いせ』乗組員)になっていたかも、と思ったらやっぱり(笑)
67期の一人が戦後書いた追想記には、

「今まで経験しなかった大きなうねりを伴う荒天に、船酔いも相当発生した」

とあります。

何しろ明治時代の旧式艦なので、往々にして候補生たちは、配乗の際には
これで遠洋航海に出るのかとかすかな失望を隠せなかったそうですが、
必ず監事はそんな彼らに向かって、

「新鋭艦でも旧艦でも原理は同じである。本艦のことがわかればどの艦でも通用する」

と言うのが常でした。
どの旧軍艦もそうですが、「八雲」「磐手」の艦内はどこもかしこも手入れが行き届き、
老艦であっても真鍮などはピカピカに磨き上げられていたそうです。 






そういえば台風シーズンだったんですね。
怒涛の原因は海が低気圧で荒れていたからでしょう。
前を航行するのは「磐手」。
途中で司令官が「磐手」に座乗し旗艦が交代となりました。




低気圧が去った後の艦上で作業をする乗組員たち。
何をしているかはわかりませぬが、皆がデリックでラインを引っ張っています。

水兵たちの向こうにズボンの裾をまくりあげた士官が見えますが、

これが噂の「甲板士官」。(当ブログ「甲板士官のお仕事」参照)
上着が短いところを見ると、彼は候補生甲板士官のようです。

「甲板士官のお仕事」エントリを作成した時には、イマイチ士官のコスチュームというものを
わかっていなかったため、「作業服」をカーキ色で描いてしまっていますが、
これは白の間違いだと思っていただいて結構です。
基本的に候補生甲板士官は、軍装のズボンをまくりあげただけで作業していたようですね。

さて、兵科候補生の練習艦隊実習で最も鍛えられるのは天測とこの当直勤務です。
当直勤務は「副直士官勤務」ともいい、この二つは初級士官として必須の要件。
練習航海を通じて絶え間なく繰り返し演練指導されているうちに、
シーマンシップとともにある程度身についてくるものです。

このほか、甲板士官、内火艇指揮、分隊士事務・・・・。
航行中停泊中を問わず、先輩のガンルーム士官がつきっきりで指導してくれます。

この辺は海上自衛隊の練習艦隊に引き継がれていると思いますが如何。

越山候補生のアルバムもそうですが、練習艦隊の記録や遺された写真にたとえ
寄港地の行事が大部分を占めていたとしても、実習最大の項目は

「天測と当直」

がメインで、それを習得するのが目的でもあったのです。


ところでボートの上の方にごちゃごちゃと掛けられているのはなに?

まるでこれでは洗濯物・・・・・・、

 

と思ったらお洗濯の様子もちゃんと写しておいてくれています。
海軍軍人にとって洗濯は海軍に入った時から普通に任務の一つで、
兵学校の学生も自分のものは自分で、手洗いしていました。

今の江田島の幹部学校の校舎の屋上には、昔洗濯物干し場があって、

ここでは下級生は上級生に色々と「修正」されるポイントでもあったとか。
兵学校卒業生は、あの洗濯干し場を何かの機会に見ると、何とも言えない当時の
圧迫された下級生時代を思い出し、胸が苦しくなったものだそうです。 



写真はいきなり11月に飛んでいます。
このあと艦隊は出港して二週間後の10月20日にハワイに到着し滞在した後、
またおよそ2週間かけて太平洋航路を帰途に就くのですが、写真に書いている
「明治節」というのは11月3日で、これは太平洋上で何か式典を行った時のものでしょう。
「明治節」はご存知のように現在は「文化の日」となっています。

ちゃんと正装したところ(といってもいつもと同じ二種軍装ですが)を
艦尾の軍艦旗と一緒に撮った写真。

アルバムの主の越山候補生がシャッターを押したらしく、本人は写っていません。

10月の出港に夏の第2種軍装を着ていたのは遠洋航海は気候的に「夏」なので
第1種では暑い、ということだったのだろうと思われます。
彼らの帰国は12月であったので、第1種軍服と海軍マント、人によっては通常礼装まで、
これらを皆遠洋航海に持っていかなくてはいけなかったわけですが、ただでさえ
居住性に難のある明治時代の軍艦にこれはさぞ大変だったかと・・・。


そういえば小官が5月に晴海埠頭から見送った海上自衛隊の2014年度練習艦隊ですが、

そのとき純白の第1種夏服で出航していった彼らが、10月の帰国には冬服の第1種礼装で
「かしま」のタラップを降りてきたものです。
それを見て、「航海の荷物に冬服も持って行ったのか、大変だなあ」と思ったのですが、
考えたら全航海を通じてほとんど制服しか着ないわけだし、「かしま」は「八雲」「磐手」に比べると
居住性も東◯◯ンとマンダリンオリエンタルくらいの差で良かったはずなので、
きっと心配するほどのことはなかったに違いありません。


 さて、というところで今日最後の写真は、アルバムの主である越山澄尭少尉候補生。
正帽をちょっとラフに被って、このころの防暑服だった肩章つきの半袖半ズボンを着用。
そしてなんとサングラスをしているわけですが、
旧軍軍人のサングラス姿というのは、飛行隊員以外で初めて見たような気がします。

キャプションに「シケた後の間抜け面」とあります。 

少なくとも写真を見る我々には間抜けには見えないのですが、これはおそらく
ご本人が、散々海の時化で艦が翻弄され、グロッキーになっていたため、
サングラスの後ろはげっそりした顔であると自覚していたのかもしれません。

これがこのアルバムにあった唯一の一人での航海中の写真なのですが、
ご本人のコメントとはうらはらに、越山候補生、なかなかナイスではないですか。


さて次回、兵学校67期卒少尉候補生たちの遠洋航海シリーズ、
「ハワイ上陸編」に続く。