19日(火)
生徒の避難先が第二高校だとわかったので会いに行ったが、すれ違いで会えず。昼間は自宅で片付けをしている様子。差しあたり生徒宅への支援はしなくてよいようなので、学校に待機となる。阿蘇方面の先生たちも自宅は無事だったが水が出ないのと交通が遮断され孤立しているとの連絡があった。授業の教材を作っておこうと取りかかるが、なかなか集中できない。結局一日いて2教科2枚のプリントしかできなかった。今何をすべきなのかよくわからない。
帰宅して家の外壁の剥離があるので雨に備えて応急処置をした。
20日(水)
学校では特別教室や圃場等の整理をした。帰宅後ロフトに上がってみたすさまじい状態だった。どこへ行ってもこんな状況ばかりでなんだか片付ける気力が出ない。とりあえず今しなくてもいいかと自分を納得させてドアを閉めた。
21日(木)
ニナたちは相変わらず地震が来る直前に身構えて教えてくれるが、震源が近いのでコンマ2秒の差で人間にも「ドン」という音の後にやってくる揺れが届く。あの「ドン」という音はなんだろう?それとそれに続く「ごぉー」という地鳴りなかなか慣れないし、いつも揺れているかのような感覚になってしまう(地震酔い!?)
午後は年休を取りニナたちをつれて立田山へ散歩に出かけた。歩いていると揺れも気にならないし、それはニナたちも一緒みたいですこぶる元気に山を歩く。ついつい2時間近く歩いてしまう。新緑の中ここはいつもと変わらない空気に包まれる。平常がいかに大切か今気づく。