初めて「ぜんざい」作りました。お楽しみ会などで缶詰の餡で作ったことはあるけど、小豆を煮る所からは初めて!
クックパッド見ながらどうにか出来ました。健康気にして砂糖を少し控えてみたら、やはり物足りなさあり。やはりぜんざいはガッツリ甘いのがいいね。
米粉と小麦粉それぞれの団子を作ってみたけど、やっぱり小麦粉のねっとり感がいいな!明日はごてっとしたぜんざいになってるかな⁉️
初めて「ぜんざい」作りました。お楽しみ会などで缶詰の餡で作ったことはあるけど、小豆を煮る所からは初めて!
クックパッド見ながらどうにか出来ました。健康気にして砂糖を少し控えてみたら、やはり物足りなさあり。やはりぜんざいはガッツリ甘いのがいいね。
米粉と小麦粉それぞれの団子を作ってみたけど、やっぱり小麦粉のねっとり感がいいな!明日はごてっとしたぜんざいになってるかな⁉️
一年半ぶりの投稿です。
と言うのも、この春38年の教職生活を終えました。とりあえず日々の暮らしを記録してみようかなといつもの軽い気持ちで。時間だけはたっぷりあると思っていたけど、実際はかなり忙しなく過ぎていくのが驚きでした。室内外の掃除や洗濯、愛犬の散歩。手際が悪いからか、ここまでで昼過ぎ!もたもたしてるうちに陽が傾き出してくる。
そんなこんなを忘れないうちにって感じです。
今、散歩道は麦の青葉が波打って見とれてしまいます。
エジプトへ行ってきた。カイロの街とギザとサッカーラ、ダハシュール
階段ピラミッド、屈折ピラミッド、赤のピラミッド、クフ王の大回廊、ウナス王のピラミッドテキスト……どっぷり浸ってきました。
日陰は幾分涼しいけど、日陰が無い。特にクフ王のピラミッド内部は狭くて擦れ違えないから、中腰で一気に上るので蒸し暑いはきついはで大変!大回廊は思ったより狭い気がした。ピラミッドは再生機能付きのお墓。でも、考古学博物館のミイラたちは興味半分の人たち(私達)にジロジロ見られてと気の毒な気がする。おちおち寝てられないかな?
ウナス王のピラミッドテキストの色と天の星は良かった。写真NGだったけど係員がマネーくれればOK(バクシーシ:喜捨とは違うので引っかかりはあったけど)って言うんで少しあげて撮らせてもらった。ちなみに同行する観光警察も要求してきたのにはびっくり!でも警察にはあげない!
22日(金)
嘉島町のかって同僚だった先生の自宅が崩壊したことを新聞で知って、お見舞いと片付けに行った。自宅を改装して障害児の放課後預かりをされていたが、自宅は完全に1階が崩壊して手が付けられない状態になってしまっていた。こうした時だからこそ早く再開して子どもたちの居場所を作りたいと、近くの親戚の家へ引っ越しの途中だった。そこで荷物運びや片付けの手伝いをした。建物はしっかりしていたが、敷地の至る所で液状化が起きて、敷地と道路などに大きな段差ができていた。水が出ないことは本当に大変なことだ。一日も早い日常化を目指して次へ進んでいこうとしている姿に感動した。学校はいつ再開するか未定なのが歯がゆい。
23日(土)
各家庭に5月9日までの休校延長や休み中の家庭訪問や通学路確認の連絡を全家庭にとった。県外に避難したり、車中泊の生徒も多い。避難所でボランティアをしている生徒もいた。
24日(日)
グループホームに入所している母に会いに行く。実家の墓にお参りに行くと墓誌が倒れかかっていた。自宅近くの墓は軒並み倒れていたので心配していたが一安心。自宅の水道は出るようになったが、蛇口からは泥水が出ている。飲料水が乏しくなっていたので岳間まで水を汲みに行く。水があることは本当にありがたい。ニナたちも久しぶりに余震の感じられない場所で楽しそう。
25日(月)~28日(木)
生徒の家庭訪問、久しぶりに生徒に会えると元気が出る。生徒たちが同士で遊ぶことは少ないようだが、その分ラインで情報交換していて、ラインのやりとりでのトラブルも多くなっている。
29日(金)
地区の納屋が崩壊しているので、片付けのボランティアに行った。20人ほどで取りかかると半日で更地にすることができた。牧場用のローダーが大活躍。
19日(火)
生徒の避難先が第二高校だとわかったので会いに行ったが、すれ違いで会えず。昼間は自宅で片付けをしている様子。差しあたり生徒宅への支援はしなくてよいようなので、学校に待機となる。阿蘇方面の先生たちも自宅は無事だったが水が出ないのと交通が遮断され孤立しているとの連絡があった。授業の教材を作っておこうと取りかかるが、なかなか集中できない。結局一日いて2教科2枚のプリントしかできなかった。今何をすべきなのかよくわからない。
帰宅して家の外壁の剥離があるので雨に備えて応急処置をした。
20日(水)
学校では特別教室や圃場等の整理をした。帰宅後ロフトに上がってみたすさまじい状態だった。どこへ行ってもこんな状況ばかりでなんだか片付ける気力が出ない。とりあえず今しなくてもいいかと自分を納得させてドアを閉めた。
21日(木)
ニナたちは相変わらず地震が来る直前に身構えて教えてくれるが、震源が近いのでコンマ2秒の差で人間にも「ドン」という音の後にやってくる揺れが届く。あの「ドン」という音はなんだろう?それとそれに続く「ごぉー」という地鳴りなかなか慣れないし、いつも揺れているかのような感覚になってしまう(地震酔い!?)
午後は年休を取りニナたちをつれて立田山へ散歩に出かけた。歩いていると揺れも気にならないし、それはニナたちも一緒みたいですこぶる元気に山を歩く。ついつい2時間近く歩いてしまう。新緑の中ここはいつもと変わらない空気に包まれる。平常がいかに大切か今気づく。
もう少し早く記録をまとめておけばよかった。日記を地震の後書いていなくて、メールやラインの記録をもとに書き足しているが17日(日)の記録/記憶がない・・・
16日(土)深夜1:25の本震から引き続きの大きな余震が続き、ニナたちがおびえてストレスがたまっているので、七城の河川敷まで散歩に連れ出した。ニナたちは川の中へ一目散!泳がせるつもりはなかったけど水道は午前中で復旧していたのでまあいいか。ニナたちはヘトヘトになるまで泳いで大満足。水道からは泥水が出ていたので、その日のシャンプーはあきらめて、私は泥水の風呂に入った。ガンジスの水みたい。
その他の時間は生徒の安否確認。携帯がつながらない所もあったが、生徒間のラインが大活躍全員無事!
17日(日)空白の日
18日(月)出勤。建物の破損箇所確認。廊下の盛り上がり。壁の剥離。壁面のひび。1トンはある工作機械が動いていたり、ボール盤が倒れていたりするのを見ると授業中でなくてよかった。生徒の情報を照らし合わせて、状況の共通確認。生徒とその家族のけがはなかった。職員の被災状況は様々。特に阿蘇方面の先生は道路が寸断して出勤できない状況。出勤できた先生たちで先日方つけたところを再度片付け。大きな余震を想定して壊れないように片付けた。新聞に以前同勤していた先生の自宅が倒壊し「1階からお父さんを無事助けだした」の記事を見つけた。どんどん各地域の情報が入ってきて驚くばかり・・・
熊本地震の前震はお風呂に入ってるときで、浴槽の中央にたつ三角波にただ揺られていた。揺れが収まってから、急いで衣服を身につけて外に出た。電気は消えていなかったけど、余震が怖かったのでその日は車のシートを倒して車中泊。
翌日出勤すると職員室は足の踏み場もないくらいに書類が散乱していた。とりあえず書類を近くの机にに片付けて通路を確保した。各家庭へ安否確認を入れて全員が無事だったのでので一安心。校舎を見回り破損箇所を確認したが大きな破損はなかった。教室の中は職員室同様だったので整理をした。その後、家庭科室の食器が散乱していると言うことで応援に行った。食器類がかなり割れていた。残った食器を床に平置きにして終了。家の整理がすんでいないので定時に退勤。
帰宅後本棚の本を元に戻したりしながらその日は就寝。
本震襲来
最初の揺れで目は覚めたが、余震だからすぐやむだろうと様子を見ていたらとてつもない揺れが長く続く。激しい揺れの中でスマホの地震警報が鳴り響き余計に慌てさせる。とりあえず外に出て周りの様子をうかがう。ユメタウンの方でショートするような火花を見た。余震も激しいので部屋に戻る気もしない。今夜も車中泊。近所の家族も車を田んぼの中に車を止めて何軒も車中泊組。時々エンジンがかかるところを見るとエアコンを入れたり消したりしているようす。
翌朝、壁が動いたので壁紙が壁板に沿って、至るところで破けたり、珪藻土に筋が入ったりしている。玄関のタイルが割れている。外壁は一部剥離があった。幸い屋根には問題がなかった。生徒への安否確認をしたが、つながらないところが2軒あったが後でつながり、全員が無事だった。
地区の役員をしているため担当地区(22所帯)を見回った。神社は社殿は無事だったが、昨年の台風で倒壊して再建した灯籠以外は鳥居からみんな倒れてしまった。隣接するお寺は壁の剥離や瓦が多く落ちていた。ブロック塀の損壊が2カ所、瓦が落ちたところは7軒大きな損壊はなかった。
学校再開のめどは立たない。
団体行動を主眼にした宿泊学習をしてきました。
夜中にトイレに行くと男子便器の周りに飛び散らした跡が………
誰か失敗した人が片付けるかなと思っていたら、明くる朝もそのままだったので、男子生徒を集めて誰か覚えがあるものはいないか尋ねました。
私の考えとしては、朝までに気づいていた生徒はたくさんいたので、全員で後始末するにはどうしたらいいかな?誰がしたという犯人捜しになったり、自分ではないから片付けないと言う生徒がいたら・・・団体での行動を学習しているのだから全員で片付けるという感じで持って行こうかなと思っていました。
案の定誰も自分ですとは言いださなくて、ちょっとした沈黙・・・私が口を開こうとしたときA君が「寝ぼけていて、引っかけたことも気づかなかったんじゃないかな!?」というと「気づかないことあるよね」と2・3人から声が上がり、「じゃどうする?」と聞くと「全員で片付けます」とB君が言って男子全員でサッと片付けに行きました。
自分でしたことは自分で始末すると言うことばかり考えていた私を超えた生徒たちの言葉と行動でした。これが宿泊学習で私が一番うれしかったことです。