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『ダークナイト』~ジム・ゴードンという人

2008-10-24 17:49:03 | バットマン、ダークナイト


「大丈夫ではない時、最愛の人に『大丈夫だ』と言ったことはあるか?」

この悲痛な言葉は、『ダークナイト』に於いてはハーヴィー・デントのものだ。
一方、ブルース・ウェインはかつて、そういう「大丈夫だ」の言葉を受け取る側にいたことがある。
『バットマン ビギンズ』でその言葉を口にしたのは、ブルースの父トーマス・ウェインだった。路上強盗の銃弾に倒れ、死に瀕しながらも、最後の時まで彼は幼い一人息子にそう語りかけた。

その直後、また同じ言葉をブルースに伝えた人物がいる。しかし、その人が倒れることはなかった。幾度となく危機に遭遇しても、ゴッサムに蔓延する悪徳の中でも、彼は常に変わらぬ存在としてそこにいる。
言うまでもなくジム・ゴードン警部補、のちの市警本部長その人である。

まだバットマン・デビュー前のブルース・ウェインが、ゴードンこそバットマンの協力者に相応しい人物と見込んだのは、汚職警官だらけのゴッサム市警察にあって数少ない良心的な警察官だったから、という理由も勿論あるだろう。
しかし、目の前で両親を殺され、恐怖と不安に震えていた少年にとって、優しく「大丈夫だ」と声をかけてくれた人のことは、そのとき受けた傷と同じほど深く、心に刻まれていたのではないだろうか。
バットマンの仮面の陰でもブルースはずっと、ゴッサムの良心の象徴であり「優しい父親」でもあるゴードンに、「大丈夫だ」と言い続けてほしかったのかも知れない。

『ダークナイト』最後の山場で、ゴードンはまた「大丈夫だ」と言う。今度は彼自身の息子に向けて。
その後のバットマンの咄嗟の行動は、そこにかつての自分たち父子の姿を見出したがゆえのことではなかったか。更に深読みすれば、「父」が「息子」に告げる言葉を「嘘」にしないためだったのではないか、とさえ思える。

『ダークナイト』後半でゴードンは市警本部長に抜擢され、名実ともにゴッサムの「正義」側の代表者の一人となる。
しかしながら、この映画及び前作に於いて彼が体現するものは、決して「正義」ではないと、私は考える。もちろん彼はそれを成すべき立場に在るが、その根本にあるのは妥協を許さぬ信念ではなく、より曖昧な「人としての良心」であろう。
ゴードンが行おうとする「正義」は、バットマン=ブルースのように強迫観念的ではないし、デントのように硬直したものでもない。本人が「私は理想主義者じゃない」と言う通り、ただ人として恥ずべきことには手を染めず、自らの良心に従い、職分の範囲で「より良い」道を選択して行くだけだ。そのためなら(多分に「巻き込まれた」感はあるものの)怪しい自警市民とも手を組むし、少々の悪事には目もつぶる。それは妥協ではなく、手の届く範囲で理想を実現しようとする人間の誠実さである。独裁者でもない限り、一気に正義を行なう有効な方法などある訳がないのだから。

しかし、彼のそのスタンスや選択が、結局はハーヴィー・デントの悲劇の一因となってしまった。このジレンマに対するノーランの描き方の容赦なさも、『ダークナイト』が「息苦しい作品」と言われる理由の一つかも知れないが、本当に「エンターテインメント大作」でよくぞここまで、と思う。

しかしそれでも、そういう弱さも含めて、ゴードンの人間的な優しさ、誠実さこそが、バットマン=ブルースにとっては救いとなっているのだと思う。
そして、ゴードン自身にとっての救いは、実は(本人は与り知らぬことながら)二艘のフェリーの乗客たちの行動によって示されている。
そこにあるのが圧倒的な悪であれささやかな悪事であれ、それを前にしたときに「それだけはしたくない」と言明すること。消極的かつ受動的で、それ自体が弱さを内包する曖昧なものかも知れないが、それでもそう言い続けること。ゴードンが体現する、人の良心や善性とはそういうものだ。
だからこそ、『バットマン ビギンズ』でも『ダークナイト』でも、物語の要(かなめ)となり、ラストを締めくくるのはゴードンでなくてはならなかった。極端な悪にも正義にも走ることのない「人間」の代表として。

それにしても、キャスティングの巧みさに定評あるクリストファー・ノーラン監督だが、このゴードン役にゲイリー・オールドマンという配役も実に絶妙だったと思う。
何しろ、過去さんざん悪党や怖いテロリストや悪徳警官やサイコパスなどを演じて来た俳優さんである。10年前なら、彼がジョーカー役でも誰も驚かなかっただろう。実際『バットマン ビギンズ』で、ブルース少年に声を掛ける警官を見た時には、「ブルース逃げて逃げてー!」と思った人も少なからず存在したらしい。その直後、彼の役名が「ゴードン」であることを知って驚く原作読者や、過去の映画、アニメのファンもいたとか。
しかし、悪役の得意な人は善人役を演じても本当に善良な人になり切れるというテーゼ(?)を、彼も証明することとなった。細部まで神経が行き届いているけれどわざとらしくない演技の上手さは言わずもがな。
また、クリスチャン・ベイルその人が、少年時代から「好きな俳優」「目標とする俳優」として挙げていたのが彼、ゲイリー・オールドマンの名だったいうことから考えても、本当に見事なキャスティングだった。

☆当ブログの映画『ダークナイト』レビュー・雑感一覧。☆
ついに公開!『ダークナイト』
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2 コメント

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Unknown (通りすがり)
2008-12-12 03:46:37
前作「ビギンズ」はテレビ放送時、オリンピックの開会式とちょうどぶつかっていて、式の合間にちょこちょこ見たくらいだったんで「大丈夫だ」という言葉の対比にまったく気がつきませんでした。
しかし、だとすればダークナイトのラスト、トゥーフェイスに飛びかかるバットマンの姿が非常に感慨深くなりますねぇ
現在ダークナイトのDVDを繰り返し見ているのですが、この話を聞いてビギンズのDVDも買っちゃいそうです(笑)
It's okay. (Qまたはレイチェル)
2008-12-31 21:19:00
コメントありがとうございます。
ブルースとゴードンさんの初めての出会いは、違う局で二度あったテレビ放映、どちらでもカットの憂き目にあいました
あれがあるからこそ、ブルース=バットマンがゴードンに寄せる絶対の信頼の理由がわかると思うので、『ビギンズ』も是非どうぞ(もうご覧になったでしょうか)。

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