

祖母も母も凄絶な人生を送った。
しかし、わたしには、なにもない
「わたし」こと赤朽葉瞳子(あかくちば・とうこ)の祖母、万葉(まんよう)は、
“辺境の人”と呼ばれる漂泊の民サンカの人間だ。
彼女はまだ子どもの頃、のちに嫁ぐことになる製鉄工場の職工の家の近くに置き去りにされた。
少女時代に出会った、製鉄工場の社長夫人、赤朽葉タツに
「あなたはわたしの息子と結婚する」と言われ、事実、そのとおりになった。
万葉は正直な人だけれど、嘘か真実か分からないような人生を送った。
それは激しく燃えるようで、常に怒りと悲しみが漂っている。
万葉の子は四人。夫が女中と作ったひとりを含めて、五人を育てる。
子どもたちの名は年齢の順に、長男、泪(なみだ)、長女、毛毬(けまり)、
妾の子、百夜(ももよ)、次女、鞄(かばん)、次男、孤独(こどく)。
百夜以外はタツの命名だ。名前が運命を決めるのではないのだからとのこと。
万葉の物語の続きは、毛毬を中心に据えて引き継がれる。
毛毬は不良だった。「女の子」ではなく「スケ」だ。
やがてはレディースを締めるようになるし、
当時の不良ブームに乗った雑誌の取材を受けることもあった。
毛毬には親友がいた。蝶子、通称チョーコという。
しかし何年も一緒にいられなかった。「時」がふたりを引き裂く。
毛毬は毛毬のままであったが、チョーコは毛毬の知らない蝶子になってしまった。
そして変わってしまった蝶子は死ぬ。まだ十代だった。
蝶子の死を機に、毛毬は少女漫画家になる。超のつく売れっ子になる。
不良の青春を描いた作品で、社会現象になった。
毛毬は追い立てられるように自分の青春を漫画にする。
兄の泪が夭逝した為、赤朽葉家の跡取りとなった毛毬は、婿を取り、娘の「わたし」、瞳子を生む。
しかし、多忙の漫画家は、瞳子がまだ小さいうちに過労で亡くなってしまう。
祖母の万葉がその劇的な人生を終えるとき、謎がひとつ残された。
「ようこそ、ビューティフルワールドへ。」


この物語の「空気」は、読んで数頁で頭の中に広がるけれども、わたしがそれを表現するのは難しい。
――田舎の大きな工場と社宅、坂の上の社長の屋敷、漂う血の匂いみたいな鉄の匂い。
これがわたしの受けたイメージだ。舞台はこんな感じ。
「赤朽葉」とは色の名前で、朱色に似ていて、朱色より赤味が薄い。 ■
調べてみたら、このような色だった。
赤というより橙。流れ出る血というより、滲み出る血の色。
赤朽葉家の屋敷はこの色をしている。
なんと眩しい色だろうか。
紅葉に埋もれ、夕焼け空の下では辺りを真っ赤に染めるだろうし、
雪が降ればくっきりと映える。さぞきれいだろう。
わたしたちは万葉の物語で異世界に飛び、毛毬の物語で非日常を垣間見、
瞳子の番になって幻想を掻き消され、現実に引き戻される。
瞳子が見つめ、語るのは過去だけれど、生きているのは現在の現実だ。
ほかのふたりに比べると、貧相といえるほどに地味だ。
そういえば、瞳子の顔の描写がどうであったか、よく覚えていない。
名前の由来になったように、目が大きくて、あとは――? 母似か父似か、祖母似か?
しかし瞳子が、「赤朽葉家の物語」を『赤朽葉家の伝説』にするのだ。
読者の想像を、本の表紙の赤が彩る。
(わたしにいわせれば、表紙の赤は、赤朽葉より紅 (くれない) に近いのだが)
真っ赤な世界というのは、空に流した血の色のようで、背筋の凍る思いをするではないか。
わたしの住む町の空は、米海軍の基地から照らす光かなにかで、
夕刻、空は不思議な赤に染まる。それは思わず息を呑み、
そっと壊さないように吐き出さなければならない気にさせられる美しさだ。
あらゆる音が自分には関係のない遠くから聞こえ、
「この空を見ているのはわたしひとりだ」という気持ちにさせられる。
赤には、ひとを否応なしに惹きつける魔力がある。
今から五十年前の日本はこうであったのだろうか?
虚構と現実がわたしの中で渦巻く。
たった五十年前の自国をなにも知らない自分に驚く。これはどこ?
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