この写真いいですよね。 また使わせてもらいました。
他界してもう何年になりますかね。 最近BSで寅さん映画が結構放映されております。
実は私も寅さんのファンの一人で、48作全部観ているんですよ。 名作ですよね。
最近、付き人であった篠原靖冶さんの著 『 生きるの 精いっぱい 』という本を読んでみた。
「シノ シノ」と呼ばれ可愛がられた篠原さん。 宿舎の風呂にはいつも二人だけで入っていたとのエピソードも。
渥美さんは26歳の時肺を切除、背中と胸が手術痕で大きくえぐられていて、他の人に見られるのを極度に嫌っていたそうです。 誰もいないかをシノさんが確認に行き、見すましてから入っていたようです。
その頃C型肝炎を患っていたシノさんが渥美さんに思いっ切ってその悩みを話した時、『実は俺も肝臓が悪いんだよな』と打ち明けられたそうです。 その時もガンとは一切言わずに。
最終48作目をご覧の方は「 覇気のない やつれた 寅さん 」の印象を持たれたと思います。
胃薬だといって抗がん剤を飲みながら、壮絶な撮影を続けていたようです。
( 遺作「寅次郎紅の花」ロケ地にて~左は気遣うシノさん・寅さん辛そうですね )
その時の奄美大島ロケでも、現地に着くといつものことながら大フィーバーになるのですが、いつもと違いなぜか渥美さんは手も振らず、返事も返せなかったいう。
集まった人達からはこんな声がシノさんの耳に入ったという。
『 渥美さん ぜんぜん挨拶してくれないね 』 『 寅さん なんだか ご機嫌悪いね 』
恐ろしい事に 病とは人をこんな風にまでしてしまうのですね。
シノさんの前ではいつも『 ああ嫌だ 嫌だ 死ぬのっていうのは嫌だね 怖いね 』と一年半もの間、渥美さんのひとりごとを何度も聞いたことがある、と記してあった。
それと、渥美さんは仕事に入ったら、家族のことは周囲に一切話したことはなかったようです。
でもとっても家族思いの渥美さんだったようですよ。 妻と一男一女。
妻(正子さん)とは年の差17歳。 仕事の無い時はいつも二人で映画や芝居を観にいったり、散歩もふたりで深夜によくしていたようです。
妻は若い時からクリスチャン。無神論者の渥美さんは亡くなる直前にクリスチャンの洗礼をうけていたとのこと。
渥美さんは尾崎放哉にかなり心酔していたようです。
(山の山頭火・海の放哉といわれた漂泊の俳人)
小豆島で墓参りもしており、『 できるかどうかわかんないけど 死ぬまで一度 尾崎放哉の役をやってみたいんだよ 』そう言っていたそうです。
早坂暁さんが脚本まで書いてくれたそうですが、ついに演ずることなく往ってしまいました。
渥美さんの放哉役、、観てみたかったなあ! 残念でなりません。
放哉の有名な句 『 咳をしても ひとり 』。
渥美さんの心が そこにあったのかなあ そんな気がしました。