最近読書熱再発で何とも読みまくりな今日この頃。
集英社文庫より1987年に発刊されたこの作品は、島田荘司先生の作品のなかでは珍しくユーモアミステリに分類される作品であり、当時、社会派全勢だった時代に御手洗清物から社会派傾向にある吉敷竹史物にパワーバランスが傾いていった時期にあります。
勿論その後、御手洗物はミステリー界にそびえ立つ有名作品となり今日に至り、吉敷竹史物も社会派の体裁を取りながらも、しっかりと幻想的な謎と論理的な解決で多くのファンを持つ物になりました。
実際、ミステリファンで島田先生を知らない人はいないでしょうし、自分にとっても重要な部分を占める作家です。
この頃の島田荘司先生は本格、社会派、ユーモア、エッセイとその方向性が多岐に渡り、なんだか模索しているようにも思えますが、しっかり本格ミステリの旗手として
存在感を示すようになります。
同時期に書かれた同じくユーモアミステリの「開け勝鬨橋」は自分も大好きな作品です。
ちなみにジジイがポルシェのって悪党を懲らしめる話です。
あらすじ――
TV会社の下請けで、映像製作スタジオに勤める隈能美堂巧は上司の軽石三太郎の企画で横須賀沖にある猿島に同じ事務所のスタッフと共にやって来た。
事の発端はやらせ番組でTV局内外で問題となっているディレクターの三太郎が、いままでの製作スタイルの問題でまさにクビになろうかという状況の打破の為に一発逆転の企画を打ち立てたところから始まる。
『エメラルドグリーンの海に浮かぶ東京湾の秘境、全島猿が群れ遊ぶ孤島に、かつての日本軍の怨念か、謎の幽霊屋敷を発見!』
いままでのやらせスタイルのなんら変わりの無いその企画の為にやって来た一行は、巧の友人の別荘で撮影を開始する。
しかし、季節はずれの台風のせいで陸に帰ることができなくなっただけではなく、密室での殺人事件が発生する。
しかも衆人環視の状況の中、その遺体は忽然と姿を消してしまったのだ――そして…
ユーモアという部分を除いてしまったらべたべたの密室物です。
だからこそトリックの重要性が問題となるのですが、古くから使われるようなトリックやアンフェアなトリック等、いまいちトリックとしての魅力が欠けていて、さらに論理的解決もいささか消化不良気味でした。
ユーモアの部分では1980年代といったバブル突入前夜の特殊な高揚感やTV業界の浮かれた軽さが表現できていますが、自分もけっこうユーモアミステリ…というかバカミスを読んでいるものですから、ユーモア小説としての魅力もあまり感じませんでした。
まぁトリック自体は結果若干煮え切らない形でしたが、その不可能状況は鉄壁物ですし、時々笑えるところも有りました。探偵役だと思っていた人が最初から最後まで道化…とか…
が、あくまで時々であり、作品の持つ独特の空気が、21世紀のこの時代にはやはり合っていないと感じるほか有りません。
まぁ合奏の部分など、島田先生の持ち味は多少出ていたのですがね…
何でこうなってしまったのでしょう…あとがきで島田先生は若干書かされた的な表現を用いていますので、ナントモハヤ…
「開け勝鬨橋」はあんなに面白かったのに…
ユーモアミステリでありながら、本格的な部分もある小説ですが、逆にそのどちらも不十分に感じます。
文体がユーモアなだけではユーモアミステリにはなりえません。
そこらへんは鳥飼否宇先生あたりの作品クオリティが凄まじいです。
やっぱトリックも「ばかじゃないの?」と思うようなものが自分は好きなんでしょうね。
やはり島田荘司先生にはユーモアは向いていないのでしょう。
幻想的で、摩訶不思議な謎を論理的な方法で解決し、独特の後味を残す…
そういった魅力が一番だと思いました。
たぶん有る意味実験的な作品だったのでしょうし。
おまけですが、本書の書評を書かれているの前回書いた岡嶋二人でした。意外と島田先生と仲が良い様子…まぁ井上夢人先生のほうでしょうが…
そういや…自分尾blogでは島田先生の作品がこれと「切り裂きジャック100年の孤独」しかないってのは問題でしょう…
やってみるかな…御手洗シリーズの感想… とんでもなく長くなりそうですがね…
大体は持ってるんで…
次はやっとこさ「容疑者Xの献身」です。
因みに「ドグラマグラ」半分読んであきらめました・・・ホントに頭がおかしくなりそうでした…
作中よりインパクトのあった場面――
「いかん、何としても履かせるんだ!」
鹿田氏が叫んだ。
「ズボンを脱がせるとパンツまで脱いでしまうぞ!」
ボクらはまっ青になって刑事の体を押さえつけた。