月の瓶詰~ブログ版~

こぼれゆく時の欠片を瓶詰に。

舞台「No.9 -不滅の旋律-」、音楽とモノガタリと。

2019-01-27 16:48:05 | モノガタリ
かつて野沢尚さんのことを小説家タイプと表現したのは、
三谷幸喜さんだったろうか。(例によって出典が思い出せない…。)



↑クリアファイル、コーヒー豆はきっちり60粒


舞台、「No.9 -不滅の旋律-」。

天才であるがゆえの孤独。
天才を愛してしまったがゆえの孤独。

ベートーヴェンとその周囲の人々の愛憎が、ピアノ尽くしで描かれた作品である。
(小道具もピアノなら、音楽も生演奏のピアノ!)


劇中、第九(歓喜の歌)が印象的な形で二回登場する。

第一幕ラスト、国境をも軽々と越えていく、才能のきらめきとして。
第二幕ラスト、人や社会や時代、すべてが奏で合い、響き合った結果の渦として。

いずれも、感情を経ずして心が直接震え、涙がこぼれた。
これが音楽、芸術というものなのか…。

前者は、作者の頭の中にある完璧な世界を、過不足なく写しとったもの。
後者は、その時その時の奏者や聴衆によって、少しずつ形を変えていくもの。
形なき"美なるもの"だけを残して、永久に変わり続けるもの…。

主人公にとっての音楽の変容は、
"天才"からただの人間へと戻っていく(目が覚めてしまう)過程を経るのだが、
一方の音楽がもう一方の音楽に劣っているという訳ではないと思う。
優劣ではなく、きっと二つは別のもので…。


ふと、これは中島かずきさんにとっての物語観ではなかろうかとも感じた。

書き上げた段階で完結している小説とは異なるもの。
誰かによって語りなおされ、観客が入れ替わるたび、永遠に変わり続けるもの…。

そこに、"新感線の座付き作家"の誇りを見たような気もして。


拝見したのは、割れんばかりの拍手が鳴りやまぬ大千秋楽。
4階席(あれはほぼ5階…)の隅の隅まで超満員、
演者と観客とのエネルギーが横溢して、実によい作品だった。

稲垣さんって、舞台に映えるいい声をお持ちなのだなあ…。


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