無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

国民無視

2010年04月05日 | Weblog
本当に気力が出なくなってきた。今日は4月初めに書いて、書きかけのままになっていた日記を載せる。
もう、何をいいたかったのか、も忘れてしまったため、中途半端な日記となった。



昼間働いている私は3月31日の党首討論はどうなったろう?と思いテレビをつけて、その報道振りに唖然とした。

鳩山氏と谷垣氏の声高のやりとりを少し映した後は、自民党・後藤田氏の「面白くないボクシングの試合を見ているようだった。お互いストレートを打ち合っているだけで、ジャブもフックもなし。見ている方はつまらなかった。」といった感想を流し、更に同じく自民党議員の「前回の谷垣さんより(攻撃が激しくて)面白かった」といったコメントを流し「どちらも(鳩山氏も谷垣氏も)土俵際に追い詰められた二人の戦いでした」と締めくくっていた。
どのテレビ局も似たり寄ったりの報道振りだ。(M:勿論、NHKも…。いやNHK報道はもっと鳩山政権批判がひどかった印象が残っている。平等な報道のフリをして話されるので余計ひどく感じるのだろう。)

国民は、この腐敗・堕落したテレビ報道にNO!(ノー!)の意思表示をしなければならないだろう。

その理由は大きく言って二つある。

一つは、ジャーナリスト精神・報道の精神を忘れ去ってしまっている点。

もう一つは、国民を洗脳し“愚民化”しようとしている点。


日本国民は「こんな報道でいいのだ」と思っているのだろうか。もう洗脳されて判断が麻痺してしまっているのか。


■報道機関(テレビ・ラジオ・新聞等)の報道は、国民が国政に関与するために重要な『判断材料を提供』し、国民の『知る権利に奉仕』するものである。(最高裁)

■ジャーナリストの立場は、国権(立法・行政・司法)の立場に立っているわけでもなければ、特殊利益の担い手である企業や業界団体の利益を擁護する立場に立っているのでもない。
言うまでもなく「国民の立場」に立っているのである。
「国民の立場」に立つというのは、「国民の基本的人権を守る」というのと同義語である。
この意味でジャーナリストは『国民の基本的人権の擁護者』という使命と役割を担っている。

■マスメディアは国民の立場に立って、長期化や集中によって起る権力の濫用や横暴や腐敗を批判し、国民に知らせ警告を発する、いわゆる『権力の監視者』であるべきなのだ。


今回の党首討論は全くやる意味の無いものだったので「つまらなかった」といった感想が国民の間から出るのは分かる。だがマスメディアは「声を荒げ、攻撃する谷口氏、いつものようにノラリクラリとかわす鳩山氏」といった自分の判断を国民に一方的に押し付ける報道はすべきではないのだ。
淡々と党首討論を流せばいいのだ。

ニュース枠の時間制限はあるだろうが、解決していない殺人事件の現場をセンセーショナルに「犯人はここから、そこの○○を通って、あちらの××方角に逃走したようです。道路に血痕が散らばっています。」と、その映像を映し出し、殺された人の告別式を流し身内の人の「絶対に許しません」との悲痛な叫びを流す。NHK始め報道番組は全てこのパターン化してしまっている。
こんな無意味な報道(国民の生活に関係ない報道)をするヒマがあったら、国民の生活に直接関係する「政府の政策」論争を流したほうが国民の為になる。


(余談)
昔は事件が起こった時に報道があり、あとは犯人が捕まった時・事件が解決した時に報道される程度であった。
それが今では毎日毎日同じような事を報道し告別式等まで追うようになってしまった。
子供が殺されたら悲しいに決まっている。誰でも同情する。自分の子供だったら犯人を殺してやりたいと思う。
人として親として当然の感情だ。
それを子供を殺されて泣き伏す母親にマイクを向け「(今の気持を)一言お願いします」「お子さんが殺されて悲しいでしょうね?犯人が憎いでしょうね?」等と質問している。私は、こんな“パパラッチ”のような報道陣に怒りを覚えたものだ。「今はそっとしておいてあげるのが“人の道”(人情)ではないか!」と。…余談終わり


(引用開始)
党首会談の自民党・谷垣氏や公明党・山口氏を絶賛する朝日新聞(2010 年4月1日ブログより)

まずは、「郵政決着―擦り切れる“首相の資質”」と題する社説から抜粋

鳩山総理に対しては、
①見当違いのリーダーシップ(社説は「(鳩山首相の言動は)見当違いのリーダーシップだと言わざるを得ない。」 で始まっている。)
②もはや「首相としての資質」が疑われるところまで来ている
③「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」という言葉をご存じない
④有権者は鼻白む
⑤首相の資質への期待が擦り切れかかっている
と、殆ど罵詈雑言言いたい放題。

言われる鳩山総理も情けないが、それなりに頑張って首相らしくなってきたという評価の方が多いのではありませんか?

一方、谷垣氏には、
①谷垣禎一自民党総裁が言う通り、もはや“首相としての資質”が疑われるところまで来ている
②谷垣氏の“首相の言葉”(が問題発生と混乱の原因である)は的を射た指摘である。
と、絶賛している。

これを補強する記事が二面と四面にある。

ひとつは、(二面)「時々刻々 郵政マネー再膨張」と題する記事。

M:これは略すが「民主党が郵政赤字の原因を作った」との記事内容

二つ目の記事は、(四面)「谷垣氏猛攻 守る首相」と題する記事。

昨日行われた党首討論の記事である。

この中で朝日は、谷垣氏がケネディの党首討論法を学んで討論の臨んだこと褒め、質問内容を工夫し、冒頭において首相元秘書の偽装献金問題で首相を動揺させた上で、政治とカネ問題に多くの時間は割かず、政権の弱みである普天間問題に絞って、首相にたたみかけていたことは、思わぬ健闘ぶりと紹介した。

約5段抜きの記事のうち、首相発言は1段未満。残り5段は谷垣氏と山口氏(公明)の攻めを紹介している。
首相発言の2倍も公明党首発言を紹介しているのも異例である。
山口氏が小沢氏に擦り寄ったが色よい返事を貰えなかったので、一転反抗に転じた。(M:こんな国民を観客席に座らせたままの、国民生活に関係ない報道振りは今のマスメディアの凋落の姿を表わしている。)

テレ朝に出た星編集員の発言と今日の社説はそっくりです。

日常の断片的な言葉に対してあれこれ批判するだけで、この国初の民主政治が「根本においてどうなるべきか」、「そのために今は何をすべきか」について一切論考しません。
あるのは「どうだ、おれの政局の読みは深いだろう」という考えを秘めた「唾棄すべき発言」ばかりです。
こういったマスメディアの「政局の読み」報道は、国民にとって「不快」この上ない。…無風老人解釈による引用終り

纏まりませんが、今日はここまで、またね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿