無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

日本国民よ、マスメディアによる催眠状態から目覚めよ!

2011年02月02日 | Weblog
今日こそは、総論的な話にしようと思っていたのだが、1月29日付け日刊ゲンダイを見て気が変わった。

私は当時、重要な証言があるのに(証人もいるのに)何故、検察は小沢を逮捕・起訴しなかったのか、と疑問に思っていた。

テレビ・新聞の報道で国民の多くもそう思ったのだろう、検察を審査する選ばれた国民11は(こんなに証人が揃っているのに検察は何故小沢を不起訴にしたのか)「起訴して裁判で白黒をつけろ」と検察を非難した。「それが国民目線だ」「それが善良な市民感覚だ」と。

テレビ・新聞の報道で「確かな証人も複数いる」はずなのに何故、検察は小沢を逮捕・起訴しないのか!

検察が小沢を不起訴にした時点でテレビ・新聞は小沢に対し、やれ政倫審だ国会での証人喚問だと騒ぐのではなく、これら証人・目撃者を国会に呼んで証人喚問し、更には検察を国会に呼んで確かな証人もいるのに何故小沢を逮捕・起訴しなかったのか問い質すべきなのだ。にも拘わらず何故それをやらないのだろう?と私は疑問に思っていた。

テレビ・新聞は目撃者・証人を追って言質を取ることもやっていない。何故だ!

理由は簡単だ。「検察に逆らうことはマスメディアの最大タブーの一つ」だから、テレビ・新聞の追求は決して検察には向かないからだ。

この話しは置いておいて、話を続ける。

今回の「小沢の政治とカネ」騒動のポイントである水谷建設元会長水谷功氏の証言「小沢の秘書、石川に'04年10月5000万円、翌年'05年4月に小沢の秘書大久保氏に5000万円渡した」(計1億円の裏金)に始まっている。

テレビ・新聞はこのうち、石川氏に渡った5000万円が世田谷の土地購入資金4億円に使われたのではないか、と騒ぎ立てた。

昨年'10年1月27日、TBSが“大スクープ”を放映した。

'04年10月15日にホテルのロビーで石川議員が紙袋に入った5000万円を受取っている場面を目撃した男性が証言したと、渡す現場をCG再現して流した。

ところが、この衝撃報道を後追いした大マスコミは無し。TBSもこの大スクープを翌日から引っ込めてしまった。

M:戦後間もない頃の文部省作成教科書に「大きく報道し、後で小さく取り消しても国民には大きく報道した事が残ってしまう」といったことを「権力者・マスコミが国民を騙す方法」の一つに挙げていたが、「大久保秘書が『請求書』まで送りつけていた」「大久保秘書が犯行を認める供述を始めた」と言った、後から小さく取り消す方法の他に、一瞬センセーショナルに報道しておいて後はそのままにしておくという更に悪質な報道の仕方がある。大量に垂れ流されるそういった報道で、私も、どれが真実でどれが偽りの報道なのか、ネットで調べないと分別出来ない状態となった。

石川氏と大久保氏に5000万円づつ渡したと獄中で証言した水谷元会長は刑期を終えて出所している。

何故、テレビ・新聞の記者達は取材で押しかけて検察リーク(水谷証言)の裏をとらないのか?
分かっている。それは、検察が恐いからだ。そんなことをしたら「司法記者クラブ」から東京新聞の様に締め出されてしまうからだ。

記者クラブに入れない三流紙「日刊ゲンダイ」は、その水谷元会長を「直撃取材」した。それが2月2日付で記事になっている。

要約する。

記者裏金疑惑、証言内容は本当だったのか?

水谷氏分からない。知らないよ。

記者'04年と'05年の2回、石川・大久保両秘書に水谷建設がカネを渡した、と報じられています。

水谷氏石川、大久保なんて会った事もない。石川被告の顔は報道でクローズアップされて知っているが、それまで石川の「イ」の字も知らなかった。

記者テレビ・大新聞では、これまで水谷氏が検事に『カネを渡したことを証言』した等報じられてきた。これは誤報ということですか?

水谷氏何がどうなのか。訳がわからない。

記者テレビ・新聞の記者は、証言の裏付け取材に来なかったのですか?

水谷氏何人かは来たけど…。「こんな話、聞いたことがありますか?」と訊くので「聞いたことがある」とは答えたが…。

記者“証言”の否定会見はしないのですか?

水谷氏: (そんなことは)どうでもいい。私には分からない。あなた方(テレビ・新聞等のマスコミ報道の事)は私のことを勝手に書いて…。

これで、検察が不起訴にした理由が分かろうというものだ。証拠としての「証言の信憑性」どころか、デタラメな話ではないか!

テレビ報道の中には「大久保秘書と懇意だった大阪の建設会社社長が水谷会長を紹介」といったものもあったが、その水谷氏が大久保秘書を知らない、といっているのだ。もう刑期を終えているのだから別に否認する必要も無いのに、である。
水谷氏の話が本当なら、これらの話は全部デタラメだった、ということだ。

石川氏がホテルで金を受取るのを目撃したという(水谷建設に近い)建設業の会長も日刊ゲンダイの記者の取材に対し、

「(目撃した日が)'04年10月15日だったとはTBSに一言も言っていない」
「正直に言うと、人から聞いた話も入っている」
「ああいう番組になるとは知らなかった」


と最後までノラリクラリの要領を得ない返事だったという。その程度の「目撃談」であって、証人(証拠)としての信憑性に著しく欠けている。

更に大久保秘書に金を渡したとする大阪の会社社長の話も、その会社は水谷建設からの仕事が多く、水谷元会長から頼まれたら断れない立場の人間の“証言”であり、信憑性に乏しい。

日刊ゲンダイは次の様に言う。

繰り返すが「1億円ヤミ献金」は小沢疑惑の核心だ。
検察は自信があるなら堂々と立件すればいい。
水谷建設側の“証言”だけを材料に小沢疑惑(政治とカネ)を引き延ばし、国会や政治を混乱させるのは汚いやり方だ。


この辺で、人様のブログをツギハギして貼りつけておく。(自分で考えると疲れるので、手抜き!)

大手マスコミとは一体何者なのだろうか。(M:“ともだち”の仲間・手先)
小沢氏の「政治とカネ」疑惑に関して(「小沢氏の政治資金に関する問題で」とマスコミは統一して報道しているがそれを)検証している記事は皆無である。更に実体のないことが次第に証明されつつある「政治とカネ」なる疑惑であるにも拘らず、「確実に疑惑(裏金)は存在するもの」との前提に立って記事を書き対談・論評をしている。



1月31日のテレビでは、小沢一郎に対する検察審査会の議決による起訴について、そのコメンテーター(元検察出身の弁護士達)の言葉が判で押したように同じである事に驚いた。
曰く、「小沢一郎は有罪になるでしょう」、「難しいけれど有罪の確立は非常に高いと思う」、等々で統一的と思える見解を全員が述べていた。
断っておくが彼らは民間の弁護士の資格で述べているのである。
それが全員、同じ結論を言っている事に驚くし、(“ともだち”の企てた)予定通りなのかと納得もしてしまう。

要するに今朝のテレ朝のスーパーモーニングで大澤というヤメ検が最後にポロっと洩らしたように、裁判までには時間がかかるでしょう、という一言で全てが計画的である事を露呈している。


小沢氏の裁判は結論(判決)を出さないまま今度の選挙まで引き摺れば良いだけである。

何回も書いた戦前の検察・マスコミファッショ「帝人事件」を思い出してほしい。


帝人事件とは、1934年の帝人株の買い戻しに絡んだ贈収賄事件のことで、当時文部大臣だった鳩山一郎氏は議会で関連を追及され「明鏡止水の心境」と述べたところ、マスメディアの手によって「辞任の意思表示だ」と報道されたため、嫌気がさして辞任してしまった。

(注)明鏡止水(めいきょうしすい)とは、一点の曇りもない鏡や静止している水のように、よこしまな心がなく明るく澄みきった心境、のことで、鳩山文部大臣(当時)は「私は一点のやましいこともしていない」といったのにマスメディアの手によって「辞任の意思表明」と曲解報道され辞任に追い込まれたのだ。

この事件の逮捕者の拘留期間は200日に及び、拷問による自白の強要もあったという。
確かに検察の取り調べは過酷であり「検察ファッショ」という言葉も生まれた。

当時を振り返って河井信太郎氏は、掛物によく描かれている水の中の日影を猿が藤蔓につかまってしゃくろうとしている画になぞらえて「影も形もないものを一生懸命にすくい上げようとしているのが検察の基本姿勢であって、その検察には抗うことができなかった。」と言っている。

検察は、捜査段階からまったくデタラメなリーク情報をマスコミに流し続け、それによって鳩山文部大臣をはじめとし、遂に斎藤内閣自体まで崩壊に追いやった。
つまり、閣僚や大蔵省幹部・財界人ら政財界の大物16人が検察により逮捕・起訴されたこの事件により、国民の政府批判が高まり、同年(1934年)7月斎藤内閣は総辞職に追い込まれてしまったのだ。

ところが、そんな大事に発展したこの事件は3年後(1937年)には起訴された全員が裁判で無罪になった。

その時の裁判長は判決に異例のコメントをつけた。

「全く犯罪の事実が存在しない」「この事件は検察が作り上げた“空中楼閣”だ。」というもの。

つまり、この事件は全て検察(M:マスコミ)のデッチアゲだ、との司法の判決だったのだ。

しかし全員が無罪になったときは“時、既に遅し”で、政党政治は転覆され、その後、検事総長が総理大臣になる等、日本は軍国主義へと突き進んでいった。…帝人事件の解説引用終り

今回の「小沢の政治とカネ」事件をネットで調べれば調べるほど、戦前の帝人事件と同じで、どこに「犯罪」が存在するのか分からない、検察とマスコミが作り上げた“空中楼閣”であることが明らかになってくる。

しかし、“ともだち”にとって後からバレようが、そんな事はどうでも良いことなのだ。単に次の選挙(解散総選挙か次回の総選挙)まで結論(裁判)を引き延ばして政権交代した民主党をぶっ潰せば「予定通りに企画は大成功!」となるのである。

もう少し、小沢事件についてブログを借りて言及しておく。

本来、検察審査会の2回目の議決によって速やかに起訴手続きに入らなければならないのに、なんで3ヶ月もかかったのか、そして裁判までなぜ時間がかかる必要があるのか。誰も納得できる説明をしていない。これは明らかに時間をかける事で世論操作を目論んでいるとしか思えない。ヤメ検達の口裏を合わせたかのような小沢一郎有罪発言には、明らかにマスコミを利用した世論操作の意図が透けて見える。

(テレビ・新聞批判)

検察リーク情報が破綻した都度大手マスコミは訂正記事を書いてきたか!
報道機関としては、大きく報じた以上に、間違いであった場合は、「その報道は間違いだった」と大きく報じる義務がある。

総選挙前、次期総理大臣候補だった小沢代表を代表辞任に追いやった事件、大久保秘書が逮捕・起訴された大事件「西松献金疑惑」なるものは検察が公訴事由から取り下げた。つまり西松献金疑惑は存在しなかったということだ。

「西松事件」はすでに存在していない。検察は仕方なく訴因変更を行い、裁判所は不当にもこれを認めている


M:マスコミは「西松建設疑惑は既に存在しない」「裁判所は不当にも検察の『西松建設事件で大久保秘書を逮捕したのは、無かった事にして下さい』との申し立てを認めた」という事実を国民にキチンと報道しているか。


次に水谷建設の1億円収賄疑惑は拘留中だった元社長の口から出まかせであったことが濃厚となり、石川氏の起訴事由から省かれている。そのことも疑惑を書き立てた以上に大きく報じられただろうか。そうであれば国民は小沢氏の元秘書諸氏の逮捕の根拠は、他の政治家事務所なら二本線を引いて数字を正し訂正印をつけば済まされているほどのことで、小沢氏の場合だけ元秘書が三人も逮捕され、小沢氏までも起訴されようとしている、飛んでもない不公平な検察と検審会の権力行使であると断じざるを得ない。

しかもここに到って小沢氏の政治資金規正法による収支報告書04年分と05年分とには訂正すべき個所すらないことが明らかになっている。

検察は二月から始まるとされている石川氏の公判をどのようにして維持するつもりなのか、その前に裁判所は訴状を取り上げるのだろうか。公訴棄却が相当と思われるが、小沢氏を裁判により政治家としての行動を制限するのが検察と司法当局の狙いであったとするなら、延々と裁判を長引かせるつもりだろうか。それこそ醜悪な司法当局だと非難しなければならない。

小沢氏に疑惑とすべき事実は何もない、というのがこれまで事件の経過と明らかになった事実から判定する限りの結論だ。
4億円の疑惑は何もなかったし、ましてや期ズレも疑惑ではなく、期ズレこそが正しい会計処理だと判明している。



「水谷建設事件」における石川衆院議員元秘書についても虚偽記載と言う事実の認定は検事の誘導があった事を録音したICレコーダー(書類化)の証拠採用が決定されており、小沢一郎氏への起訴議決になった原因が消滅する自体になっている。

テレビでは出演者全員が「小沢一郎は有罪」と発言している。この異常さ!

しかも裁判も始まっていないのに、推定無罪と言う原則を無視して「弁護士と言う資格」を持っている人達が、何故、一様に「有罪」発言するのか。ここにもマスコミの異常性を見る事が出来る。

検察と裁判官は明らかに裏で画策し、裁判を意図的に遅らせる事でマスコミを使い、世論操作で小沢一郎の政界からの排除を目論んでいる事が見えてくる。
彼らは裁判での有罪、無罪は関係なく、単に官僚組織に対する目の上のたんこぶを何がなんでも排除したいのだ。

例え一審で無罪が出ても、屁理屈を付けて控訴がなされて裁判を延々と長引かせる事が今から予想できる。

この国の司法制度がいかに腐っているのか、これから次々に明らかにされるだろう、しっかりと見ている必要がある。
 


私が言いたいのは、目覚めた国民であっても「小沢は裁判で確実に無罪になる」と何もしないで安心していてはいけないという事。

昔、地裁・高裁で国民の人権を無視した判決が出ても訴人は「最高裁がある」と上告して最高裁で憲法に照らした「基本的人権・生存権」擁護の逆転判決が出されることが度々あった。

今は逆である。半世紀以上続いた一党支配が司法まで及んでしまった。
即ち、政権政党の総裁≒内閣総理大臣が最高裁判事を任命する人事権を持っている為、司法が行政に支配されてしまっているのだ。

政府の行為に対し「違憲判決」をした裁判官は、左遷されたり、自殺に追い込まれたりした。最近の違憲判決も既に退任が決まっていてその退任直前に「裁判官の良心」に従った判決であった。

権力に迎合する・従う裁判所の例は「高知白バイ事件」で顕著に顕われている。最高裁まで上告したが門前払いとなり無実の罪が確定してしまった事件である。

小沢氏の例でも、検察の訴因変更受理、小沢氏の検察審査会の強制起訴議決無効申し立ての却下、等々、裁判所も国民が思っているような「正義の司法機関」ではないのだ。

東京高裁での逆転敗訴に見られる様に裁判所は上に行けば行くほど“ともだち”の支配下にあると考えるべきなのだ。

だから今から「検察・マスコミ糾弾」の世論を盛り上げておかないと裁判所も国民は大人しいから「小沢有罪判決」を出しても検察同様非難されることは無いだろう。マスコミが「演出して」裁判所を守ってくれる…、と思ってしまう。

こうして海外から「日本の新しい夜明け」と評された政権交代=無血市民革命はジエンドとなる。(M:もっとも私は参院選で既に「終わった」と思っていたが…)

まとまらない。でも今日はここまでとする。またね。