無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

新政権つぶし…その2(政治とカネ)

2010年04月28日 | Weblog
国民目線からみて絶対に許されない

これは検察審査会11人が全員一致で民主党小沢幹事長を「起訴相当」とした理由である。

検察審査会は国民(有権者)の中からクジ引きで選ばれ、11名で構成されるそうだ。

マスメディアによる国民洗脳・マインドコントロールはここまで進んでいたのか、と愕然とした。

まさに「主権者の自殺行為」(植草氏の言葉借用)である。

有権者の中からクジ引きで決められた素人集団・検察審査会の11人は、検察が意図的に作った調書を見せられて、そこに書かれてる内容と、これまでにマスコミが垂れ流して来た「検察リークの嘘ニュース」による先入観だけで判断し、首記の意見になったのだ。(この言葉はきっこさんから借用)

マスメディアによる“小沢=悪”のスリコミと検察側調書により、首記のような「政局を左右する結論」を深く考えずに感情の赴くままに表わしたのだ。

もう一度、今度の政権交代の意義からおさらいして話を進める。(これも植草氏の4月25日ブログを引用)


米・官・業(財)の日本政治支配の三大勢力は、マスメディア・利権政治屋と結託して日本政治を支配し続けてきた。

この構造にくさびを打ち込んだのが昨年8月30日の総選挙を通じて実現した政権交代である。

米国・官僚・大資本が支配する日本政治を根本から刷新することが求められている。

「対米隷属からの脱却」

「官僚主権構造から国民主権構造への転換」

「政治権力と大資本の癒着解消」


この三つが政権交代によって実現しなければならない課題である。


米・官・業(財)は、従来の利権構造を維持するためにマスメディア・利権政治家を使って、自分達の日本支配を死に物狂いで維持しようとしている。

日本政治刷新を阻止するための最重要攻撃目標が小沢一郎氏なのである。



「起訴相当」の話に戻る。

検察審査会による「起訴相当」の議決は大きな力によって誘導されたものであると考えられる。

政治資金収支報告書には短期の「資金繰り」を記載しないでもよいとの慣例が存在していた。

石川知裕衆議院議員などが起訴されたことは、こうした過去の慣例を踏まえれば、不当なものであると言わざるを得ない。

それにもかかわらず、米国・官僚・大資本の広報部隊を務めるマスメディアは、1年以上の長期にわたり小沢一郎氏のイメージを傷つけるネガティブ・キャンペーンを展開し続けてきた。
このなかで、一般国民が小沢氏に対する歪んだイメージを刷り込まれたことは否定しようがない。


検察審査会の決定を過大評価することは許されない。

イメージだけで無実の人間を血祭りにすることは、中世ヨーロッパの魔女狩りに類似した非合理的な対応である。…引用中断


この「起訴相当」の結果は先が見えている。ある勢力の筋書き通りとなるのだ。

きっこさんが指摘するように「起訴相当」→「検察は新たな証拠を見つけられずにまた不起訴」→「2回目の検察審査会でも起訴相当」→「強制的に起訴」→「事件性を立証できるだけの証拠もないのに無意味な裁判が始まる」→「長い時間と莫大な税金が無駄に使われた挙句に結局は立証できずに無罪」という流れになる。

しかし、ある勢力から見たら、これで充分なのである。

以前書いたように、検察(検察審査会)の行為により世間で騒がれることによって、時の内閣が総辞職に追い込めれることになったからだ。

ここに書いた通りである。

(一部掲載しておく)

…その検察権力の露骨な暴走によって引き起こされたのが、昭和9年の「帝人事件」(帝人株売買をめぐる贈収賄事件)です。

検察は…独善的な正義を振りかざして突っ走った。

その姿は今の検察と重なって見えます。

実は、この大規模な政界汚職はでっち上げでした。

そして、その裏には総理の座をうかがう平沼騏一郎(検事総長)の野望があったといわれています。

結局、帝人事件で起訴された政治家ら16人は3年後の東京地裁の判決で全員無罪。

裁判所は「事件は検察が作り上げた空中楼閣だ」と断定しました。

しかし、この間に当時の斉藤実内閣は総辞職に追い込まれた。

検察が、捜査権の恣意的な行使で時の内閣を倒したのです。

この時「検察ファッショ」という言葉が生まれました。

そして昭和14年、平沼騏一郎(検事総長)は念願の首相に就任したのです。…以上、引用終り

今回も、同じことが起ころうとしている。歴史は繰り返す。

起訴・裁判・有罪無罪の判決などに関係なく「起訴相当」は、世論バッシングを起こし、今度の参院選により国民主導政権は崩壊し、元の利権複合体による国民奴隷化政治に後戻りする方向へ日本を誘導する結果となる。

これがマスメディアによってマインドコントロールされ、意図的に作られた検察の調書を見た11名の国民により作りだされていく筋書きであり日本国の末路の姿である。

余談であるが、マスメディアが大々的に取り上げて騒いでいる“新党ブーム”の「新党」も自民党補完勢力に過ぎないことを国民は肝に銘じておくべきだ。選挙後の再編で旧勢力が一体化するのは目に見えている。国民は「憲法改正」を掲げる政党を支持しないことだ。憲法が改正されたら国民は国家の奴隷になってしまうと認識しておくべきだ。こんどの選挙では国民は惑わされずに「憲法改正」を打ち出している党か、また、私が言っているように、その党が「企業献金全面禁止」を打ち出して選挙に望む党か否かを投票の基準に置くと良い。…余談終わり

国民は次の植草氏の言葉に早く気付いてほしい。

(引用開始)
日本はいま、独立戦争のさなかにある。

これまでの65年間同様、米国支配=対米隷属のまま進むのか、対米隷属から脱却するのか。

同時に官僚支配、大資本と政治の癒着構造を今後も容認してゆくのか。

主権者国民が判断しなければならない。


判断の材料とするべきマスメディア情報が完全に歪んでしまっていることを認識し、ネットから真実の情報を吸収して、この重要事項を判断してゆかねばならない。
マスメディアが作り出すムードに従って、小沢一郎氏の影響力排除に加担することは、主権者国民の自殺行為であることを認識しなければならない。…引用終り

最後に「検察審査会」が「起訴相当」をだした理由の一つと思われる記事(ブログ)を載せておく。

(イザヤ2さんのブログ引用)
私は10年ほど前に、検察審査員をしたことがあります。

審査会では、警察官の書いた調書と、検事の書いた調書の両方を読みました。
同じ件の取調べで、同じ事を被疑者は言っているのに、微妙に言葉のニュアンスが違う。
警察官のと比べて、検事の調書は有罪の印象を強める言葉になっていることが多かった

又、警察官の調書では「第3者の目撃者を発見できなかった」と明記されているのに、検事の調書では、その1文は削除されている…他の部分は全て警察官の調書から書き写したと思われるほどそっくりなのに…。

全体として、警察官の調書は取り調べ内容を忠実に記録している印象が強かったです。
それに対して、検事の調書は”恣意的と思われる削除や追加”が散見されました。
その恣意的追加や削除で、随分、文章全体の印象が変わって、被疑者の有罪性を印象付けるようになっていました。

ある町の町長(自民党系)が公金を自分の選挙資金に不正流用した嫌疑の事件では、11人の審査員全員が「これは絶対起訴すべき」と断言するほど容疑は確かと思われるのに、検察は不起訴にしていた・・・やはり政治家がらみでは、検察は信頼できない。

審査員は検事の調書を頼りに事件を理解するので、検事の調書の影響が極めて大きいです。…引用終り


今日はここまで、またね。