無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

国民の安全について…その1

2008年02月14日 | Weblog
今日は一昨日(2月12日)の続きを書いて締めておく。中途半端は気持が悪いので、産経新聞の記事内容を元にした私の意見を続ける。

(4)日本の平和と安全を確保するには日米安保体制を強化しなくてはならない

産経新聞は「日米安保体制を円滑かつ実効的に運用するには…云々」、と軍事同盟強化を主張している。日米安保という軍事同盟は敵国を想定し戦争を前提とした同盟(戦争の為の協定)である。

前にも書いたが、子供の頃、学校でつかみ合い殴りあいの喧嘩をした時に、先生から“喧嘩両成敗”的に叱られた。私はその時「相手が先に手を出してきたのに、何で?!」「相手の方が絶対に悪い!」「正当防衛じゃないか?!」とその先生の言動を理不尽に感じ反発した。

今の「相手が攻めてきたらそれを迎え撃つのは当たり前、正当防衛だ。」「相手が攻めてきたときに何もしないのか、国が無くなってしまう。」と言った考えと同じで、“子供の考え”をしていた。「自分が殺されそうになった時に何もしないのか」と言った、すぐに考えを極限状態・緊急避難・正当防衛に短絡的に結び付けてしまう“幼稚な”理論だ。

大人になって、社会にはルールがあり、それを守らないと“考える葦”である人間の「品格」を無くした弱肉強食の野獣の世界が展開する、といった理(ことわり)が理解できるようになった。

人間等地球上の生き物には生存本能(死にたくない・殺されたくない)があり、そこから“汝、殺すなかれ”の戒律が生まれ、社会が形成されてきた。(前述)

先の私の例でも、学校で相手から殴られた→先生に報告(大人の社会で人を殴るのは“暴行罪”という犯罪であり警察・裁判所に届け出る、これと同じ行為の“先生にいいつける”ことが悪い行為となったのは何故だろう?この点についてはもう少し勉強してからコメントしたい)→先生はその相手を叱り、それでも言うことを聞かない子は「親に話す」「親を呼びつける」とした。
私の子供の頃は、この“親に言う”という先生の言葉は、子供にとって最も恐い言葉であり「親には言わないで!」と素直になったものである。

恐いもの=「地震・カミナリ・火事・オヤジ」と言われていた時代のことである。

相手が先にルールを無視したのだから自分も(社会の)ルールを無視していいんだ、という考えは、例えば自分がお金を取られたからといって、それならと(自分も)人のお金を取ってやれ、といった行動と同じで、社会を混乱に落とし入れ“無法地帯”を作り出す考え方である。

■第一次世界大戦の教訓から、1920年に発足した地球国家史上初の国際平和機構=国際連盟は、警察機能(連盟軍)を持たなかった(国際法廷での決定を守らせる権威・制裁能力を持たなかった)ために、連盟の決定に不服として脱退する国が相次ぎ地球国家を纏める機能を果たせなかった。(最も、この国際平和機能を提唱したのはアメリカ大統領であるが、そのアメリカ自体が加入しなかったり、ソ連・ドイツ等の主要国も連盟に加入していない最初から弱体化した機構ではあったが…)

第二次大戦後、“連盟”の教訓を生かし、国際裁判機構と共に国際警察機構(国連軍)を備えた国際連合が誕生した。ようやく地球国家の基礎(国際社会ルール)が形なりにも出来上がったのである。

今、この国際社会ルールを無視し、勝手な行動を取っているのがアメリカであり、その「アメリカの戦争」に加担しているのが日本である。

この件に関しては、いつも勉強させてもらっている「天木直人のブログ」がキッチリ纏めてくれているので引用する。

天木直人のブログ~2月13日http://www.amakiblog.com/archives/2008/02/13/

(引用開始)

少女が犠牲にならなければ怒れないのか

95年に沖縄で少女が暴行された時、沖縄では8万人を超える抗議集会が開かれ、それが沖縄の米軍基地縮小の動きにつながった。
ところがその動きもいつの間にか消え去り、なくなるはずの普天間基地も沖縄内部のたらいまわしで、名護市にもっと強固な最新飛行場が建設されようとしている。

かつて私は沖縄で講演に招かれた時にこう言った。「少女が犠牲になった時しか怒れないとすればあまりにも悲しすぎる。大人たちは情けないと思わなくてはならない」と。

今回起きた少女暴行事件によって皆が怒りまくっている。
福田首相、高村外相、石破防衛相、仲井真知事、みんな怒りの言葉を吐いている。
しかしその怒りはよそよそしい。

なぜか。それは、その怒りが米軍基地の存在に向けられていないからだ。

米軍再編を進めようとしているこの時期に「なんと馬鹿な事件が起きたんだ」という、間の悪い事件そのものに怒っているに過ぎないのだ。
そこには少女の犠牲へのまなざしはない。

同様の事はメディアの取り上げ方にも言える。…中略…怒りの矛先は在日米軍の存在に向かわなくてはならない。
しかし在日米軍の必要性を疑う記事は皆無である。

野党の反応も同様である。野党第一党の民主党は米軍再編に反対ではない。テロ特措法反対で懲りた民主党からは声が聞こえてこない。護憲政党の社民党や共産党は国民運動を起こすだけの影響力はもはやない。米軍再編問題、基地問題は政局にならないのだ。ここに今の日本の最大の矛盾がある。

この機会に日米安保体制の是非を国民的議論にまで発展させる政治家があらわれないものか。

冷戦が終わって久しい今日において日本を攻めてくる仮想敵国はもはや存在しない。(無風注:これについては次の(5)を見て下さい。)

仮にそれが北朝鮮であるとしても米軍再編はそのために進められるものではない。米軍再編は米国の軍事戦略の変化によって行われるものだ

その変化とは、米国の唯一・最大の脅威はテロであるという認識から来ている。

場所・時間を予測できない“終わりのないテロとの戦い”に備えるために、米軍をより機動的・合理的に再編する、そのために日本の基地と自衛隊を変えていく、これが米軍再編である。

決して日本を守るためではない

もはや日本を守るためではない在日米軍を維持・支援し続ける合理的理由はあるのか。ない

米軍再編に協力する必要性も意義もないのだ。
それにもかかわらず、米国の言いなりになって協力を続ける政府。
それを許すメディア・有識者・国民。

これは単なる知的怠慢でしかない。

真実を直視しようとしない自己欺瞞だ。

米国従属を“仕方がない”とあきらめる自己喪失だ。

そんな国に明るい将来があるはずはない。

少女の犠牲に私たち大人が報いられるとすれば、戦後63年間続いた不誠実な日米関係を、平和で自立した健全な関係に作り直す決意を国民的総意で行う事でしかない。…引用終り

■よく日米同盟支持派=戦争肯定派から、「戦後日本はアメリカから経済援助を受け、安保により平和が保たれてきた、その恩を忘れて…」といった義理人情に訴える意見が聞かれる。

安保による(在日米軍による)平和維持についてはあとの(5)で詳しく述べる。
ただ一つ、こう言っている人達に考えてもらいたいのは、今、仮にアメリカ軍に日本から出て行ってもらった場合「シメタ」と攻めてくる国があるか?ということだ。日本には世界5指に入る軍事力(自衛隊)があるのである。
それこそ軍事に詳しい人がコメントしてくれたように「北朝鮮が本格的に日本を爆撃しようとすれば、北朝鮮空軍と航空自衛隊の戦闘になりますが、はっきりいって北の戦闘機と日本のF15では勝負になりません(もちろん航空自衛隊の圧勝です)」であり、日本にはアメリカ軍がいなくても“圧勝”出来る軍事力があるのです。

これについては、後に書きますが、肝心の「戦後、日本はアメリカの経済援助のおかげで立ち直った」件ですが、下記資料を見て下さい。

(アメリカの経済援助と特需景気)単位:億ドル

     1946年 1947年 1948年 1949年 1950年 1951年 1952年 1953年
経済援助   2   4    4.5    5    3.5    2
朝鮮特需                      2.5   6.5    7.5     7 

■確かに日本はアメリカに経済援助してもらい、朝鮮戦争・ベトナム戦争の特需景気で世界第二の経済大国にまで復興したのです。
しかし、このアメリカの経済援助(計21億ドル)という恩に対しては、復興後の今までの日本の“協力”で充分過ぎるほど恩返しして既に義理は果たしている、と思います。 前に出たように日本はアメリカ軍基地の「思いやり予算」に13兆2000億円(現在の為替レートで1200億ドル強)や戦争拠出金130億ドルやアメリカ軍のガム移転費用3兆円(何故日本が負担しなければならないのか疑問・約280億ドル)と国民の血税でアメリカの恩に報いているのであり、充分おつりがくる話である。

Cf.朝鮮戦争による特需について

朝鮮特需=朝鮮戦争に伴い、在朝鮮アメリカ軍・在日アメリカ軍から日本に発注された物資やサービスを指す。
戦地で使用される被服・軍用毛布・土嚢用麻袋・各種鋼管鋼材などが主であり、糸ヘン景気・金ヘン景気と言われた。

タイトルに近づけなかったが、次回の(5)日本が置かれた安全保障環境(国民の安全について)に続きます。