森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

真夜中が記憶を揺する・・・秋深まる

2017-10-31 15:32:02 | 人生
 

  

                   札幌は初雪が台風ともに襲来するという気候でした、いよいよ秋が深まって紅葉を味わえる日は、後わずかになって来たようです。
                   先週からノドが痛くなりその内に水物も喉を通らなく(通すと激しい痛み)なって、一週間安静にして文字も読めずでしたが、やっと
                   峠を越え、痛みも和らぎ、やっと文字を書き込めるように元気になってきた状態です。



                    真夜中が記憶を揺する
                    狂人が枯れたゼラニウムを揺するように。
                                      T・S エリオット




                    深夜に過去を思い、悔恨や焦燥に声をあげたくなったことのない人がいるだろうか。
                    生きてしれば、恥をかいたり、失敗したりすることは避けられない。それはだれにも一応は
                   分かっている。

                    それでも忙しい社会の中で、いわばマスクをつけて生きている日中はいい。人との接触の
                   中で自分をごまかしていられるから。

                    だが、深夜、ひとりきりで、それもひと眠りしたあとで目がさめたようなときに、われわれ
                   は否応なく自分と向かい会ってしまう。

                    こういうときに、過去を思うのではなく、明日のことでもいい----将来を思って計画を練り
                   しずかな闘志を燃やせるような時期が、なるべく長くつづけばいいのだが。

                    しかし、悔恨にさいなまれるうちは、まだましなのかもしれない。

                    長い人生の間には、いつか何も考えなくなる時がくるだろう。そうなったら、生きていると
                   は言えないのではないか。

                    反面では、悟りをひらいた静かな心というのもあって、それは希望も抱かず、絶望もせず、
                   一見何も考えてないように見えても、心の在り方としては最高のものだろうが、凡人にはなかな
                   かこんな境地にたっすることはできまい。

                   せめてね何事についても否定するより肯定し、恨むよりは愛する「気力」をもちづけたい。これは
                   「余裕」といってもいいだろう。

                    そのために必要なひとつの性質は、ユ-モアの感覚である。ユ-モアとは、自分自身をふくめて
                   どんなことについても突き放し、距離を置いて、客観的考えられる余裕だと言える。すこし意地悪
                   にものを見るのだ。
                 
                    すると自然に笑いが沸いてくる。自分を甘やかすのは危険である。

                                                      小野寺健著 「心にのこる言葉2」より




                    この書物は、著者がイギリスの著名人の言葉を解り易く、ご自身の経験も踏まえた上での文章です。
                   勿論、部分的には反論したい箇所もなくはないけれども、それらわあら探しするのが、目的ではなく、
                   じっくりと人生を振り返り、あるいはこれからの精神の拠りどころを見付けようとすることにあります。

                    今回「悟り」というある種の精神状態をいう言葉がありました。これまで多くの書物を読んできましたが、
                   学識、見識に優れている先生の多くが、゜この「悟り」ということにあまりにも謙虚になり過ぎて、この言葉
                   を平凡なわれわれから遠ざかされてしまったと思っています。

                    もちろん「悟り」という言葉を簡単な解釈だけで、自己本位に考えることは好ましいことではありません。
                   しかしね仏陀のよな苦行難行をした人だけが得られた境地ではありますまい。

                    悟りというと、山に聳える巨岩のごとく、風雪に動じないもののように思っているふしも無きにしてはあるが、
                   悲しい時には涙を流し、嬉しい時には歓喜の声を素直に出すこともまた、一つの「悟り」といえよう。百人いれ
                   ば百通りの悟りであっていいし、あるべきだと思う。偉大な哲人が教えた精神だけでは決してないはずだ。

                    人生目標の基本に、精神状態のあるべき姿を求めることは、極めて大切なことと思う。これまでの日々、自ら
                   物欲、金銭欲、愛慾に偏った生き方をしてきたのではないかと、1週間の休養の間に改めて考えることができた。 0














 
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自分から逃げる・・・

2017-10-26 07:54:17 | 人生


   





             彼は自分から逃げようとしている-----見ているとかわいそうです。
   
                                       D・H、ロレンス



           ロレンスのフォ-スタ-批判。自分の正直な欲求をごまかしている、というのだ。
           ロレンスなるかな、と嘆息したくなる。自己実現こそ人生の目的だ、とロレンスは
          言うのだが。

           もっと正確には、そういう自己実現が可能な世界にしなければいけない、と彼は言い
          たかったのだろう。

           いや、やはりちがう。そんな抽象的なことを言っていたのでは、そういう世界は永
          久に訪れない、まず、自分から実行せよ、と彼は言いたかったのだ。

           フォ-スタ-に対するこの批判を、彼はそのころ親しかったバ-トランド・ラッセル
          に聞かせようとしたのだった。すべての知識人に、といってもいいだろう。

          野暮なことをいうと、そういう生き方をしたロレンスはつぎつぎに争いを起こし人に迷
         惑をかけた。ふつうの人間は、そうなることがわかっているからがまんして自分の欲求を
          抑えているものだが。

           だが、にもかかわらずというか、むしろ、だからこそ、ロレンスの批判はわれわれの心
          に痛みをあたえるのだ。事実、ロレンスは多くの人を困らせた反面で、それよりはるかに、
          多くの人を感動させ、ひきつけたのである。

           はじめて彼に会った人は、たいていそのやさしさにひかれ、いい人だと思った。やがて
          痛烈な批判を浴びて、離れて行った人もすくなくなかったけれど。

           そう考えると、他人さまは知らず、わたしなどは八方美人ではないかという気になる。
          自分をだましたまし生きているので意気があがらないのだ、という気がしてくる。

           だが、いっぽうでは、え、あれで、という悪口も聞こえてくるような気もするから困る。
          あれでというのは、あれで遠慮しているつもりなんですか、ということだ。ロレンスにな
          ど聞かせられるレベルの話ではない。

                                        小野寺健著 「心にのこった言葉2」より



           自己犠牲を払わなければ、直面している問題が解決しないという時、その問題に真正面に
          向き合って重い決断を迫られる場合があります。そんな時、自分から逃げたくなる時もあっ
          た。時が解決というか、自然の成り行きでいつの日か、ごまかして終わってしまうこともあ
          るだろう。

           どんな問題もすべて決断し解決できることはないと思う。どうにもならないと思ったとき
          あまりそれにいつまでも深く入り込まないことも大切だと思う。 0



             
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偶然の出会い

2017-10-25 07:58:36 | 人生
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浅薄な人生を決意

2017-10-24 08:00:10 | 人生
 

                 昨日は台風と初雪が一度に来ました。これらの紅葉は足早に散ってしまうことでしよう。
                 紅葉の後ろに青々とあるのは、トドマツで雪の季節になっても枯れることはありません。






                 わたしはとうの昔に浅薄な人生を送る決意をして、何かにまきこまれたり、対決したり、
                 かんたんには解決しない問題、燃え上がりそうな友情といったものは避けようときめた。

                                                  アニ-タ・ブルックナ-


                 浅薄な人生といっても、それを自分の意志で選んだとなれば、格好がいい。
                 それなら浅薄な生き方どころではなく、ひとつの人生観にもとづいた、きわめて奥の深い
                生き方ではないか。

                 あえて浅薄さを「選んだ」のだから。

                 かつては、今ではこの考え方の深さも理解され、共感を得られるのではないか。

                 「腹を割って」という言い方をあまり聞かなくなった気がする。これは疎外現象のあらわ
                れだなどといっては野暮だろう。「腹を割る」というのは、建前にたいして本音を吐くとい
                うのにちかいが、これが、往々にして「泣き言をいう」のと、ほぼ同じになる。

                 そういう甘ったれた、べたべたした関係は、もうはやらなくなったのにちがいない。

                 人との関係に距離を置けるのは、自分を規制できる精神力がつよいということであり、自分
                を客観的に見られるからである。

                 「本音は吐いた、さあ、どうにでもしてくれ」という態度は、正直のようだけれど、自分を
                放棄するのとどこがちがうだろう。

                 つねに自分を把握して、孤独に耐え、泣き言をいわない----そういう意思の力が一貫して
                いるところに、ブルックナ-の世界の魅力はある。

                 へたへたしない精神によって、孤独な人生の風景がくっきりした人というのは、昔からこう
                いう人にきまっていた。何でもべらべら喋って秘密のない人間に魅力がないのは、孤独に耐え
               ている陰影や奥行きが感じられないからである。

                孤独に耐え、万人に代って宇宙と対峙している男----格好がいいですね。
                いや、男とはかぎらないか。

                                                  小野寺健著 「心にのこる言葉2」より




                 浅薄という表現が妥当かどうか解りませんが、老人会に集まって来られている人達の中に、確か
                にこのような寡黙的ではあるが、話をしてみると以外に知識人の人がおられる。一見孤独のように
                見えても実は趣味もあり、結構充実した日々を送っているようにも感じます。

                 このような人は男性も女性もおられ、年よりの在るべき一つの姿ではなにいかと学ぶところが多い。
                時間が有り余るほどあるので、その時間を消化するためだけに、老人会に来られる人と、小さくとも
                具体的な目的をもって来られる方に分類できそうです。

                 言い方を変えれば、何か楽しいサ-ビス、思いやりを受けに来ている人、或は、自らが何かお役に
                立ちたいと役割を求めている人がいます。受けたい人も与える人も明確に区別するのではなく、お互
                いに持ちつ持たれることが大事でありましよう。 

                 台風も雨風もそして初雪も大したことはなく、過ぎ去ってくれた、札幌の青空です。 0


 




          
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病を癒せる音楽、それは

2017-10-23 08:00:18 | 人生
 
  

     近所にある自然公園です。ここの紅葉は真っ赤に色づいています。子供たちも良い天気の日曜日で遊んでいます。




          心の奥底にたっしてもあらゆる病を癒せる音楽、それは温かい言葉だ。

                                     ラルフ・ウォルド-・エマソン


          理屈としては陳腐かもしれないが、やはりいい言葉だ。奥が深いからだろう。
          言葉の限界について語ったこともあるので、それとは矛盾するようだが、感情も、言葉にならないと
         わからないという面はむろんあね。ただし、その言葉は真心に裏打ちされていないと効果がない----- 
         ということになれば、やはり矛盾はしないという結論にたっするが。

          このエマソンの言葉がわれわれの心を打つのは、そういう事実を当然の事として内に秘めているか
         らだろう。
         
          つまり、どんな言葉にもまして、人としての温かい思いやりのある言葉こそ人を慰め励ます、と言って
         いるからである。
          心を抜きにした言葉など、はじめから問題にしてはいまい。

          言うまでもなく、言葉は両刃剣である。
          不用意な言葉は深く人を傷つけるが、誠実で善意にあふれた完結な言葉は、失意の人をささえる力と
         なることがすくなくない。ただ表現がしゃれていて気がきいている、上手なだけの言葉では、人は動か
         ない。
        
          ある詩人が、ただ「恋しい、恋しい」と三回くりかえしただけの恋文出したという有名な逸話があるが、
         これだって、効果があったのは、数えあげればほとんど無限にちかい、いろいろな要素が背景に沈んで
         いたからこそで、そうでなければ、そらぞらしいく聞こえただけだろう。あたりまえの話ですがね。

          当の人物がいつもはそんな幼稚な表現とは無縁な、頭脳も緻密なら感情も複雑な人だったからこそ、そ
         して愛情のふかさが自明だったからこそ、意表をついて効果があがったのだ。われわれがまねをしても、
         まあダメでしようね。

          こういうのは、歴史上一回きりときまっているのだ。それでも、応用はきくかもしれない。できると思え
         る人は試してごらんなさい。

                                              小野寺健著 「心ののこる言葉2」より



          私の人生で一番反省しているのが、家族に対する温かい言葉です。ついつい身内との思いのあまりきつく
         言い放すところが多々あったように思います。今一人で住んでいると、そのことがつくづく感じられます。
         なぜもっと温かい言葉、思いやりのある態度をとってあげられなかったのか、大いに反省しているところです。 0




  
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