森にようこそ・・・シャングリラの森

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神様が持たせてくれた弁当箱 [18] 第2章 自分の役割を知る人が成功 その9

2018-03-21 10:22:23 | 神様が持たせてくれた弁当箱


                    
                

                  郊外のためまだまだ雪が溶けていないと思いますが、3月も後半になってきますと、森に行きたい思いが増してきます。

                  待てばとて 深き雪にて 閉ざされし 想いが焦る 晴れの弥生よ




             神様が持たせてくれた弁当箱 [18]
                        岡本彰夫著

             第2章 自分の役割を知る人が成功

             その9 人が見ていないところで積む徳は、
                 天が認めてくださいます。

○先ず悪因を解くことは陰徳の外はあらじ。

               「徳を積む」ことは非常に大切なことです。皆さんはこの徳に「陽徳」と「陰徳」の
              二種類があることをご存じでしようか。
                陽徳とは人前で行う善行です。お年寄りに電車で席をゆずってあげるなど、なかな
              か気恥ずかしいものですが、人の手本となる行動は見ていて、スッキリいたします。人
              の前で行った善行はこの世で報われる。人にも褒められ、賞賛されることも多い。本人
              の信用にもつながる。しかし誰も見ていないところで、いくら善い事をしても、誰も褒
              めてくれないし、誰も知りはしません。しかし、その行為はすべて目に見えない世界で
              観ておられるのです。これを陰徳と申します。
               「陽徳はこの世に老いておく徳行、陰徳はあの世に持っていく徳行」といえるかもし
              れません。

                20数年前、四国の金毘羅さんへ参りました。
                実は金毘羅さんのお神楽は明治の初年、春日の神官であった富田充美という人が伝
              えられたものです。
                元来春日様のお神楽は相当な曲数が平安時代以来伝えられてきましたが、戦争中そ
              の指導をれたされていた旧・神人(こうど)の子孫である神原秀子という先生が急にお亡
              くなりになって、三分の二の曲が失われてておりました。そこで古く全曲をお教えした
              金毘羅さんのお神楽を調査させていただくため、数日逗留をさせてもらい、録画・録音
              聞き取りをしたのです。

                その際、毎日ご神前へお参りして旧社務所へと下るのですが、本殿横の絵馬堂へ立
              ち寄りますと、金毘羅さんの不思議なお蔭で海難事故を救われた人々のお礼の絵馬がた
              くさん掲げられています。
                ある人は大嵐の中、舟が傾いて海へ投げ出され、必死にもがいていると大きな木片
              に手が触れて命からがらしがみつきました。そうして気を失い、フト気が付けばその板
              を抱えて岸辺に打ち上げられ、九死に一生を得た。その板わひっくり返してみると、金
              毘羅さんのお札だったとか。

                ともかくにも不思議なご加護を記した絵馬が多いのです。海の民の信仰は強烈なの
              です。我々のような大和盆地で暮している者はたとえ農作業に出ても夕方には何の問題
              もなく元気に家へと戻ってきます。しかし、海の民は朝出かけても夕方無事に帰れる保
              障はどこにもありません。「板子一枚下は地獄」というように、生業と死が隣り合って
              います。時化(しけ)に遭い、突風に遭って沈没すれば二度と再び家路に帰り着くことは
              ない。だから祈りも強烈なのです。
                そうして本当に命を助けられた感謝というものは、まさに筆舌に尽くし難い。金毘
              羅さんの賛同には大きな石柱がいくつも建てられていて神仏への寄進が彫り付けられて
              います。昔は神社仏閣への寄進は徳行として世間の人びとからも高い評価を受けました
              から、堂々と碑に彫り込んで標示する。それが当たり前でありました。

                しかしその中の大石柱に何本か「金壱封 某氏」と刻んだものがありました。石柱
              のおおさからし相当の金品を捧げられたと思われますが、あえて金額と名前は伏せてあ
              りますが、昔は徳行として誇らしげに掲げることが当然であった時代にもかかわらず、
              あえて示していない。つまり、これが「陰徳」を目指したものであるからです。
                一命を落とすところを、どう考えても理解できない不思議な現象がおこって助けら
              れたなら、よくも得も何もない。ただひたすらに感謝以外はない。きっとそんな人々が
              捧げられたに違いないと、一人納得をしたことでした。

                それからぜひ皆さんに紹介しておきたい、金毘羅さんの佳話があります。それは
             「樽の金毘羅参り」です。
                昔の人びとの心が美しかった。とある港から空き樽の中にお供えのお金を入れて栓
              を閉め、「金毘羅参り」と書いた札わつけて流す。するとこの樽は海流に乗って流され
              ていく。途中ひっかかっていたら、誰かが舟を沖に出して流してくれる。また、四国へ
              向かう舟ならばこの樽を拾い上げて積荷と一緒に運んでくれる。最寄りの港へ着いたら
              、また誰かが神社のおお石柱を何百段と担ぎ上げて、上まで届けてくれる。それを受け
              取った神社の人は入れたお供えの金子をお供えし、そのしるしとしてお札をまた樽の中
              へ入れてくれる。そしてこの樽を港まで運んでくれる人がいて、無事にこの樽が流した
              人の手元まで戻ってきたというのです。

                途中でお金が盗まれることもなく、どこのどなたがお世話をされたかわかりはしな
              いが、すべての人々が神仏を敬い、そして陰徳を積むひとを願っていたからではないで
              しようか。何と日本の国は美しい心を持った人々がいたのかと感動させられるお話しで
              す。
それから、こんなお話しも思い出しました。元禄年間に東大寺の大仏様の再建の用に
              立ててもらおうと大阪の戸売る人が銅のかたまりを家の前に置いておき、「東大寺へ運
              んでください」と立て札を立てておいたところ、いつのまにか一つも失わず材料が東大
              寺に集まっていたといいます。

                そて、「樽の金毘羅参り」わお話ししましたから、「犬のお伊勢参り」も申してお
              かねばなりません。犬の首にお供えのお金わつけて旅に出す。途中途中で犬は沿道の人
              から食べ物をもらい、あるときはお伊勢参りの旅人と一緒に参宮する。首につけていた
              お金は盗まれたり減ったりするどころか、逆に増えたと申します。増えすぎて重くなる
              と、誰かがちゃんと両替をしてやって、歩きやすくしてやる。そうして無事にお参りを
              果たし、首にお札をつけてもらって帰ってくる。帰りも道々お賽銭を首につけてもらっ
              て帰ってきたと申します。このことは近年詳しく研究された「犬の伊勢参り」という本
              が出されています。

                また、歴史としての事実を研究することもたいそう大事なことですが、嘘でありな
              がらも人を益する小説のような事柄もたくさんあります。たとえばね「忠臣蔵」の「南
              部坂雪の別れ」や「赤垣源蔵徳利の別れ」というような講談や浪曲にある、忠実ではな
              いが、長年にわたって人檜ドが「こうありたいものだ」「こうあらねばならない」との
              思いが話を作り出し、付け加えられたことがたくさんあります。
                史実はどうであれ、こちらのほうがむしろ大切だと近頃思えるのです。義理や人情
              というものは、常に日頃から自分に言って聞かせ、心に留めておかないと実行はできな
              い。私は浪花節ほど教育に役立つものはないと思っています。利益を捨てて、なさねば
              ならんこと、人のなすべき道は時代が変わっても同じです。

                さて、ここまで史実かどうかわかりませんが、陰徳について大変為になるお話しが
              あります。伊勢でおきた話です。

                伊勢の内宮と外宮はイノこそ参宮道路で一直線につながっていますが、その昔は間
              の山という小高い山一つを超えねばなりませんでした。そこに寂照寺というお寺があり
              ました。その寂照寺の院主が付月僊(げっせん)というお坊さんです。このお坊さんは実
              に有名な人で、幕末の有名な画家・丸山応挙の優れた弟子十日との中の一人に数えられ
              る人です。世に「乞食月僊」と呼ばれるのも、月僊の描く人物の顔つきが悲しいからだ
              とか、我の揮毫料が高くて守銭奴のようだからだといわれていますが、月僊はとかく画
              料には厳しかったのです。

                そこでこんな話が伝えられています。日ごろ欲深い月僊をこらしめてやろうと伊勢
              の旦那衆が古市という色街に一席を設け、その座敷に撞き僊を呼び出しました。呼び出
              された月僊は「どこに絵を描きましよう」という。お客の一人が女郎さんを呼び出して
              着物の袖をめくり上げさせ、下着である紅い腰巻に「牡丹の花を描け」と命じました。
                月せんは黙々と牡丹の花を描きあけました。すかさず客は「画料はいかほど」と問
              い、すぐさま銭箱から座敷に銭をばらまいてねそれを拾い歩く月僊に「この欲深坊主め
              が」と罵声を浴びせつつ、それを肴に一献傾けたのだと申します。
                あれほどまでに金に執着した月僊はひとかどの財をなしていたはず。没後伊勢の人
              びとはそのことを知りたがつたのです。しかし、月僊の手元にはお金はありませんでした。

                そのお金は、一つ目は雨漏りする寂照寺の堂の修理をすること。二つ目は全国から参
              宮に訪れる多くの人々が間の山のぬかるみに足をとられて難渋する姿を見るに忍びず、
              道路の改修工事の費用としたこと。三つ目は身寄り、頼りのない老人の治療代や孤児の
              養育費に充てるためのいわゆる「月僊金」の創設でした。月僊は己が徳行を一切口にせ
              ず、人に嘲笑されつつも、密かに集めた金子を人々のために集めるのは、ひとえに上人
              の徳行を追慕するからに他なりません。

                   この世に置いておく徳は陽徳、
                   あの世に持っていくのは陰徳

                      人のなすべきは、不変の道
                                          その9 おわり




                奉仕活動なり、寄付行為については、どなたか相手の為になるからとの行為であり
              ますが、此のことを突き詰めれば、総て自分の気持ちの赴く処のものでありたいと思っ
              ています。陽徳も陰徳も特に考えることなく、自分ができる範囲で、寄付も奉仕活動も
              淡々と行っていくことが私は理想を描いています。大変意識過剰になることもあります
              が、人のため、世の為と思わず自らの素直な心になるべく忠実でありたいと、このごろ
              想うようになりました。 0       
                        


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