森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

神様が持たせてくれた弁当箱  [10]  第2章 自分の役割を知る人が成功できる その1

2018-03-13 08:02:10 | 神様が持たせてくれた弁当箱

             

                  鎮守の森の神社は、格別の赴きがあります。


                     頼むより がんばりますと 誓いたて 心あらたに 手を合すかな






                神様が持たせてくれた弁当箱 [10]
                            岡本彰夫著


                第2章 自分の役割を知る人が成功できる

                その1 正しい道を歩み、筋道を教えるのが親の役割です

                    ○子に対して親は本なり、その本正しければ子自ら全し。

                   仏教には「因果」という言葉があります。
                  「因」とは「もと」のこと、「植物」でいえば「種」になります。その種が、土や風雨、
                 そして太陽という縁によって芽を出し、縁となって生育し、やがて実を結びます。
                   これを親と子の関係に当てはめれば、「因」が親で、「果」が子となるでしよう。子
                 の「もと」は親です。さの「もと」たる親御さんが正しい考えを持ち、整った暮らしの中
                 で、人として生きていく筋道を教えることで、子は、周囲の環境や友人という縁の中で育
                 てられ、やがて人として実を結びます。つまり人づくりにおいて、出発も途中も、すべて
                 がとても大切な要素なのです。

                   正しい人とは、「わきまえのある人」です。わきまえのある人とは、「術」(すべ)と
                「心得」と「恥」を知っている人だと私は考えています。「術」とは、方法や手段です。
                「心得」とは善悪の区別であり、「恥」とは謙虚なホコリだと思います。この三つを備えた
                 人に、ぜひ、なりたいものです。

                   南北先生も、「親が正しければ子もまた正しい」と説いています。
                  「親と子」について考えるとき、私が大切にしているのは「乳房の報い」という言葉で
                 す。
                   奈良は御宮とお寺の中が良く、皆さんそれぞれに交流をされています。私もある年の
                 正月に東大寺の「修正会」という法会にうかがった際、この言葉を知りました。僧侶がお
                 唱えになる荘厳文にある「百尺に八十石そへて給ひて乳房の報ひ 今日ぞ我がする 今日
                 せずばいつかはすべき 年も経ぬべし早夜も経ぬべし」といあう文言が、胸にしみわたっ
                 たのです。
                   そこで、他のお寺のことも調べてみたところ、法隆寺でも、やはり「修正会」で、
                「百石に八十石副えて給ひてし 乳報 今日ぞする 嘉陽せずば何かはすべき年も経ぬべし
                 さよも経ぬべし 穴賢」とお唱えになっていることがわかりました。
                   さらにいろいろ調べた結果、この「乳房の報い」は「父母恩重経」というお経の中の
                 「計るに人々、母の乳を飲むこと一百八十穀となす」という文言が土台になっていること
                がわかりました。

                 「父母恩重経」は、中国の隋の時代にできた「偽経」といわれるものです。
                  偽経とはねインドでお釈迦様が解かれた仏典ではなく、中国で道教などの教えを加味し
                て新たに作られたものです。日本へも早くにもたらされ、今もって「仏説・父母恩重経」と
                して大切にされていますが、それは何より、内容が真実であるからに他なりません。この経
                文には、今も我々が思い至らねばならないことがたくさん木されております。その一つに、
                我々には、父母からいただく「十種の恩徳」というものがあると記されています。

                   一、懐胎守護の恩・・・母は十か月もの間、重病に患ったような苦しみに耐えて、血
                     を分け、肉を分けて胎内の子供を守ってくださる。
        
                   二、臨生受苦の恩・・・いよいよ出産に臨んでは、体中疼くような一味や、骨節がす
                     すべて砕ける苦しみの中、死と隣り合わせの思いで子供を産んでくださる。
                
                   三、生子忘優の恩・・・生まれ出た子の産声を聞けば、自らも生き返ったような心を
                     抱いてくださる。

                   四、乳哺養育の恩・・・花のような母の美しい容貌も、子を育てることが数年にも及
                     べば、姿容は衰え果てられる。

                   五、廻乾就湿の恩・・・寒い霜の夜も、氷のような雪の暁にも、布団の中で湿り冷た
                     い場所に自分は伏し、少しでも暖かく乾いた場所に子を寝かせ、育んでくださる。

                   六、洗濯不浄の恩・・・子供を抱き、たとえ懐の中で便をされようと、衣服に小便を
                     かけられようと、嫌な顔一つせず、濯ぎ清めて汚れを厭われることがない。

                   七、燕苦吐刊甘の恩・・・食べ物を孤に与える時、母はまず自分の口に含んで確かめ
                     る。そうして苦い物は自らが呑み込み、甘い物は吐き出して与えてくださる。

                   八、為造悪業の恩・・・子供のため、やむをえぬことがあれば、どんな罪を受けよう
                     とも我が身を捨ててくださる。

                   九、遠行億念の恩・・・子が遠くへ出かければ、かえってその顔を見るまで、家の戸
                     口を出たり入ったりして死乾杯され、床に伏していても眠れず、夢にも現にも心
                     を砕いてくださる。

                   十、究竟憐ミンの恩・・・自分が生きている間は、此の身に何かあればすすんで身代
                     わりになることを思われ、死して後は、此の身を永く護ろうと願ってくださる。

                  このように、ほとんどが母親に対する御恩でありますが、このあとに「父母の恩重きこ
                と 天の極まり無きが如し」とあり、父母の御恩も忘れてはならないと木されております。
                  「父母恩重経」に書かれた父母に対する孝養を、我々の祖先は、「乳房の報い」という、
                短く、かつ美しい大和言葉で表現されたのです。
                  南部の僧侶は出家してからも、お母さんから、いただいたお乳に対する御恩に報いるた
                めに、寒い寒い冬の夜、世界の人びとの幸せを願って仏に祈り続けているのです。

                        人は作り上げるもの。
                        子という種が
                        立派な実を結ぶように、
                        心を尽くさねばならない

                              わきまえを知る人になる
                                                   その1 おわり





                  母という存在は確かに偉大というか、言い尽くせぬ恩があります。私の母は、父が42歳
                という働きざかりに仕事中の事故で無くなったために、その後20年余りも父親の変りも努め
                て子供3人を育ててくれました。言語につくせぬ艱難辛苦の日々であったことを子供心に、母
                の背中を見詰めながら私を成人になるまで育てて頂きました。

                  70代の今日まで生きながらえていることは、普通のことではなく特別なことではないか
                と感謝するばかりです。私は次男ですから、位牌はありませんが、祖母、父とともに母の写真
                を仏壇に飾って、毎日お水をあげています。 0           
   

                
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