唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

黔中経略観察使 その1

2012-10-16 21:57:31 | Weblog
・黔中は溪獠・南蠻が盤踞する地域であり、開元26年[738年]黔州に五溪諸州経略使が置かれていた、
安史の乱に際して天寶14年[755年]守捉が増領され、蛮族出身の都督趙國珍が兵を動員し淮西魯の
指揮下に活躍した。至徳元年[756年]黔中節度使が置かれ、國珍は功績により寶應元年[762年]に
異例の工部尚書へ栄転した。
・節度使は國珍の転出とともに廃止されたようで、経略観察使[領黔夷費思辰叙播南溱珍錦奨溪涪十四州]
として薛舒が後任となり、大暦10年[775年]まで14年間在任した。
・途中大暦4年[769年]に辰州に辰溪巫錦業五州都団練守捉觀察處置使[観察使李昌巙]が別置された。
これは隣道の湖南観察や桂管観察が動揺している治安対策と言える。大暦12年[777年]には辰錦は廃止され、
領州は黔中に戻った。
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