唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

貞元八年(792年.延暦11年)

2006-10-20 17:29:09 | Weblog
三月、宣武軍節度使劉玄佐が死亡した。朝廷は陝虢観察使呉湊を後任として派遣したが、玄佐の子士寧が自立し入ることができなかった。河北・淄青・淮西などにならい宣武も半独立の状態となった。宣武[汴州]は江南からの租庸輸送の中継地点であり、唐はその回収に苦慮することになる。また山東節度使曹王皐もなくなり軍乱が起きたが、こちらは鎮圧することができた。中央政界では宰相竇参が失脚し、その党が一掃され、陸贄が実権を握ることになった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 貞元七年(791年.延暦10年) | トップ | 貞元九年(793年.延暦12年) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事