唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

山南東道節度使 その1

2011-12-26 11:47:43 | Weblog
・安禄山の反乱軍は東都を陥落させ、長安を狙うと共に一部は
劍南と淮南・浙江の遮断をめざしては南下して荊州をめざした。
・唐朝は南陽[州]と襄陽[襄州]に防禦使を置き、魯等が
黔中や湖南・嶺南の兵も動員してこれに対抗した。
・しかし安禄山軍は強く、南陽は陥落し、魯は襄陽に逃れた。
・至徳2年[757]襄州に山南東道節度使が置かれ襄・・均・房・
金・商・唐・安・隋州を管轄し魯が節度使となつた。
・唐軍の反攻と共に魯も北上したが、乾元2年の滏水における九
節度使軍の潰滅においては、軍中に蛮族を多く含む魯軍は最も
惨めな敗走をし、魯は恥じて自殺した。
・その後山東節度使は統制がとれず諸将が節度使を逐う事件が頻発
した。
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