唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

付帯官 淮南節度使を例として その3

2013-04-10 12:49:22 | Weblog
15.李鄘
経済官僚である。任期中に監軍として赴任してきた有力宦官吐突承璀に評価され、宰相に推された。しかし硬骨の鄘はそれを不満として就任を拒んだ。僕射の左右は両記がある。[検校吏部尙書.御史大夫→検校左/右僕射]
16.衛次公
尚書左丞から赴任.  →卒
[検校工部尚書.御史大夫]

◎.この後、使相となることが多くなった。
17.李夷簡
宰相となったが裴度に押されて活躍することが出来ず、自ら出ることを求めた。右僕射として復帰した。
[検校左僕射.平章事]
18.裴度
宰相陣に敬遠され河東節度使より兵権を解かれて東都留守となったが、諫官の強い批判により兵権のある淮南に移され、すぐ宰相に加わった。赴任していない。司徒は正官であ
[司徒.平章事]
19.王播
経済官僚であり、裴度の代わりに宰相より赴任。諸道鹽鐵転運使を兼ねて巨富を積み、貢献して復帰した。
[検校右僕射平章事.諸道鹽鐵転運使→検校司空→検校司徒]
20.段文昌
皇帝の親近感より宰相に任用されたが任にあらずと自覚して出た。やがて荊南節度使へ移った。
[検校右僕射.平章事]


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