前年末には徴税に長けていて宗の信任の厚い裴延齢に逐われ、宰相陸贄が失脚し、その党が一掃された。五月に河東節度使李自良が亡くなり、後任には行軍司馬李説が昇進したが、実権は監軍[宦官]王定遠が握り専権を極めたため七月まで混乱が続いた。また八月には司徒の馬燧もなくなった。九月には河北藩鎭の横海軍で内乱が起こり、節度使程懷直が逐われ、一族の懷信が跡をついだ。河北では節度使の世襲が行われていたとはいえ、その地位は不安定で親衛軍である牙軍の意向しだいで廃立がおこなわれる状況であった。
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