唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

付帯官 淮南節度使を例として その5

2013-04-28 17:29:49 | Weblog
28.崔鄲 元宰相で、李裕派であった。西川節度より転任 → 卒
[検校僕射.平章事]
29.李珏 元宰相で李裕に逐われて配流されていたが復活 → 卒 平章事は付帯せず御史大夫を帯びている。
[検校僕射.御史大夫]
30.杜悰 再任である。まともな統治をせず遊びまくっていたため、宣宗皇帝ににらまれ太子太傅に左遷される。
[検校司空]
31.崔鉉 宰相より、杜悰の失政の後始末を命じられた。→山東節度へ転任
[検校僕射.平章事→検校司空・司徒]
32.令狐綯 宰相として専権を振るっていたが宣武節度を経て赴任。徐泗龐の乱に南方より討伐を命じられたが失敗。太子太保に貶せられた。
[検校司空.平章事→検校司徒]
33.馬擧 武官であり龐の乱に対応するための一時赴任
[検校司空]
34.李蔚 後に宰相となる。旧記では付帯官が「検校吏部」となっているが、前任の宣武節度では検校僕射であり誤記と考えられる。乱で乱れた淮南道の復興にあたって功績があった。
[検校吏部? 検校僕射]
35.劉鄴 宰相より赴任したが、黄巣等の動乱に対処できず武官の高駢に代えられる。
[検校僕射.平章事]
36.高駢 対雲南蠻戦で功績を上げた武将であり、西川→荊南→鎭海→淮南と転任してきた。黄巣討伐の主将となったが、すでに老耄しており成果を上げられず、やがて部下に捕らえられ殺された。
[検校司徒.平章事→侍中→(僞)太尉.中書令]

以降は自立・遥領となり付帯官の意味はなくなるので略す
37.秦彦 38.朱全忠 39.孫儒 40.楊行密 41.楊渥
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