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預言者伝【番外編】17

2016年03月11日 | 預言者伝関連

教えの強固さを守ることとその精神と教えへの情熱:

アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、想像出来ない位の穏やかさ、物腰の柔らかさ、忍耐強さで人々の間違いや失言などに応じていらっしゃっていたと同時に、教えの強固さを守ることに厳しく、その精神と教えへと唯一神信仰への情熱に燃え、共同体が過ちや度を越してしまうことや個人の神聖化や無明時代への逆戻りに巻き込まれてしまう危険に晒されることに大いに注意を配っていらっしゃいました。彼がこれらを容赦することは決してなく、また指導的利益や政治的配慮がこのような事柄を断固否定することを制することもありませんでした。これらにおいて彼がその他の指導者や政治家と大きく違っていたことは明らかです。

 

その中の分かりやすい例を見てみましょう。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の息子様のイブラーヒーム様が亡くなった時のことです。彼の亡くなった日に日食が起き、人々が言いました:イブラーヒーム様の死を機に日食が起きた、と。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は説教なさっておっしゃいました:まことに太陽と月はアッラーのお印の中の一つである。誰かの死や生のために日食・月食が起こることはない。もしおまえたちがそれらを目撃したなら、アッラーに祈り、アッラーを偉大さを称え、礼拝を捧げ、喜捨しなさい。(アル=ブハーリー、ムスリム)

 

もし、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)のこの悲しい出来事の中での立場が他の宣教者や指導者などのものだったら、出来事に対する反応はきっとこの発言よりも位の低いものだったはずです。それはおそらく「沈黙」です。なぜならそれが彼らの活動に有利で、自分と家族の役に立つものや賞賛を与えてくれるからです。これらは民衆を引率する人や国や政府の設立者が望んでいるもので、彼らはそれを得るためにあらゆる作戦を講じます。アッラーはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)に目に見えない形で用意し給うているので、彼(アッラーの祝福と平安あれ)が沈黙してもお咎めはないのですが、彼はかの言葉を聞いて黙っていることはできず、信仰の腐敗を招くであろうこの幻想を払拭するためにすぐ行動に出られました。自然現象や被造物におけるアッラーの諸慣行と人間の個々人に起きることを関連付けてしまうこと。その人が預言者や預言者の子孫や親族で彼らの出生や死去や健康や病といったことと関係がある、とするのは、古いです。こういった考え方は、過去の文明にあった多神崇拝や人の神聖化が由来していますが、彼(アッラーの祝福と平安あれ)は無明時代からこれらを払拭し、そして真実を解明し、そういった現象には特別な礼拝ー日食・月食の礼拝ーをお定めになりました。そうすることで、至高なるアッラーとしもべたちの繋がりを強くし、無明時代の悪の芽を精神と理性から摘み取るのです。

 

またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、ある男が「アッラーがとあなた様がお望みになられた」と言った時に黙っていませんでした。彼(アッラーの祝福と平安あれ)は答えておっしゃいました:おまえは私をアッラーの同位者に仕立て上げたのか、と。また他の男が演説しながら「アッラーとその使徒に従う者は正道を歩んでいる。しかし両者に背けば正道を踏み外したことになる。」彼(アッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました:「おまえは悪い演説者だ」。(アブー・ダーウード)

 

このようなシーンに、「預言者的立場」、そしてその他の指導者や偉人たちを超える預言者たちが特徴的に持っている性質がはっきりと現れます。エゴイズムであったり、度を越していようが賞賛や褒めちぎりを許容したりということがないのです。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は、これらにおいての預言者たちのリーダーであり、完璧な模範者でいらっしゃいました。彼は次のようにおっしゃいました:キリスト教徒たちがマルヤムの子を湾曲させたように、おまえたちは私を湾曲してはいけない。まことに私は彼のしもべなのだから。人々は:(あなた様は)彼のしもべであり、彼の使徒でいらっしゃいます、と言いました。

 

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