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94章解説

2011年01月18日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
94章解説
1. われは、あなたの胸を広げなかったか。
2. あなたから重荷を降したではないか。
3. それは、あなたの背中を押し付けていた。
4. またわれは、あなたの名声を高めたではないか。
5. 本当に困難と共に、安楽はあり、
6. 本当に困難と共に、安楽はある。
7. それで(当面の務めから)楽になったら、更に労苦して、
8. (只一筋に)あなたの主に傾倒するがいい。

 この章は、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の地位と彼の名声の高さについて語り、一つの困難と共に多くの安楽があることを彼と信者たちに吉報として伝えています。だからこそ、人はアッラーの慈悲から失望するべきではありません。

 まずアッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に語りかける形で章を始め給います:「われは、あなたの胸を広げなかったか。」ムハンマドよ、われは導き、アッラーへの信仰、真実を知ることのためにあなたの胸を広く大きくしたではないか、そしてその胸は預言に際する数々の苦難に耐えたではないか、となります。この節は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がイスラーム宣教という重荷から来る精神的苦しみにあったことを感じさせます。彼の民がイスラームを拒んでいたためかもしれないし、啓示が彼に下る前に感じていた焦りが原因だったかもしれません。次のアーヤがこのことを指しています:「あなたから重荷を降したではないか。それは、あなたの背中を押し付けていた。」ウィズル(وزر)とは重い荷を指し、ここでは罪を意味します。アッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の背に乗せられた、イスラーム宣教というその重荷を確実に下ろし給うたのです。またアッラーは、人々の心を彼に惹きつけることと人々の心を支配することにおける成功で彼から重荷を軽減し給いました。

 続けてアッラーは御自身の預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する恩恵を明確にしつつ仰せ給います:「またわれは、あなたの名声を高めたではないか。」高める、とは上昇という感覚的な現象ですが、同じように地位が上がるなど抽象的にも使われ、ここは後者の意味となります。名声の上昇における預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の価値は、アッラーが彼を使徒として選び給い、彼の名をアザーン、イカーマ、タシャッフド、クルアーンの各箇所におけるアッラーへの呼びかけに結び付け給うた中に見い出すことができます。

 これらの諸節は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する語りかけであると同時に、信者たちにアッラーの恩恵であるイスラームの恩恵を思い出させる語りかけでもあります。イスラームの恩恵は信者の胸を広げ、彼らから当惑の誤りを消し、信仰と導きが欠けた心が生む彼らが感じている精神的苦しみを和らげてくれます。

 この後、章は人生のあらゆる苦難に立ち向かっている人全てに対する吉報の話題に移ります。困難の直後に安楽は訪れること。全ての苦しみは助けに繋がっていることです。平安を広げ、疲労した心の苦しみを軽減する吉報のなんと素晴らしいことでしょう。これこそ、クルアーンが明確にしたことです:「本当に困難と共に、安楽はあり、本当に困難と共に、安楽はある。」クルアーンは困難と共に安楽があることを「インナ(إنّ)」によって強調しており、また繰り返しの表現も強調に役立っています。

 アッラーが御自身の預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する恩恵を数え上げ給うた後、彼に、感謝し、崇拝行為に専念するよう指導し給うています:「それで(当面の務めから)楽になったら、更に労苦して、」つまり、現世の仕事から自由になったら礼拝に立て、という意味です。もしくはお前に啓示されたメッセージを人に述べ伝える任務から解放されたら、アッラーに与えられた恩恵に感謝するために崇拝行為に勤しみなさいという意味になります。「(只一筋に)あなたの主に傾倒するがいい。」つまり、お前の意志と願望をアッラーのためにと純粋にしなさい、という意味になります。

 信者も同様に、空いた時間は崇拝行為に没頭するべきです。崇拝行為は人に良識と英知与え、試練と困難の前にした者の心を堅甲にします。また信者は意志と願望を主が満足するものにすべきです。そうすることで信者は安堵感と幸福に満たされ、アッラーの御満足と来世における至福を勝ち取ることが出来ます。


(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP131~133)


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