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79章解説【2】

2012年02月16日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
15.おまえにムーサーの話は届いたか。
16.彼の主が聖なるトゥワーの谷で彼に呼びかけ給うた時のこと。
17.「フィルアウンの許に行け。まことに彼は無法を極めた」。
18.「そして、言え、『あなたには(不信仰などから離れ)清まることの方に(向いたいという願望)はあるのか』」。
19.「『そして、私があなたをあなたの主に導き、あなたも(彼を)慴れるようになる(ことに向いたいという願望はあるのか)』と」。
20.それから彼(ムーサー)は彼(フィルアウン)に最大の印を見せた。
21.だが、彼(フィルアウン)は嘘と否定し、(アッラーに)背いた。
22.その後、背を向け、(ムーサーの妨害に)奔走し、
23.それから(人々を)集め、そして呼びかけ、
24.そして言った、「われは至高なるおまえたちの主である」。
25.そこで、アッラーは彼を捕え給うた、後者と前者の見せしめの懲罰として(懲らしめた)。
26.まことに、そこには懼れる者への教訓がある。
27.おまえたちの方が創造に関してより難しいか、それとも彼(アッラー)が打ち建て給うた天の方か。
28.その高さを高め、そして、それを均し、
29.そして、その(天の)夜を暗くし、その(天の太陽の)光を出し給うた。
30.そして、大地を、その後、押し広げ給い、
31.そこ(大地)からその水とその牧草を出でさせ給うた。
32.また、山を停泊(固定)させ給うた。
33.おまえたちと、おまえたちの家畜の慰楽(活計)として(アッラーはこれら全てを創造し給うた)。

 続いてクルアーンは訓戒を得られるよう、ムーサーとフィルアウンの物語に移ります。クルアーンの中で最も出番の多いお話がムーサーの物語ですが、なぜなら彼はユダヤ人の預言者であり、アラブ人の隣人である彼らはアラブ人に預言者たちの物語を伝えていたためです。その一人が、トーラーにも記載のあるこのムーサー(平安あれ)なのです。

 物語におけるクルアーンの目的に、アラブ人に彼ら自らの生活環境や思考方法から得られるものに基づいた影響を与えることと、ユダヤ人が陥ってしまった自分らの宗教に対する間違った理解を正し、見失ってしまった諸真実と不可視の知らせを齎しつつクルアーンがアッラーの啓示であることを顕現させイスラームに彼らを導くことが挙げられます。

 クルアーンの各章の中で、ムーサーの物語は様々な表現で、ときに簡潔にそしてときに詳細に渡って登場します。ここではムーサーとフィルアウンの物語が短く纏められた形で訓戒を与えつつさらりと述べられます。訓戒は:『フィルアウンがその背徳のために滅ぼされる』です。この中には預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の心を堅甲にし、アッラーがフィルアウンを負かしてムーサーに勝利を授けたように、信仰者たちを迫害した不信仰者たちに対する勝利の約束が含まれます。アッラーは仰せになります:

 「おまえにムーサーの話は届いたか。彼の主が聖なるトゥワーの谷で彼に呼びかけ給うた時のこと。「フィルアウンの許に行け。まことに彼は無法を極めた」。」

 つまり:ムハンマドよ、清らかで祝福された、トゥワーと名付けられた谷でムーサーの主が彼に呼びかけ給うた知らせがおまえに届いたか。トゥワーは、シナイ山のふもとに位置し、「「フィルアウンの許に行け。まことに彼は無法を極めた」。」とアッラーがムーサーに仰せになった場所です。つまりフィルアウンは背徳と不信において度を越したという意味です。アッラーは無法を極めることを嫌悪し給いますが、なぜなら現世の生活におけるアッラーの慣行に反するものであり、大地を汚してしまうからです。また人間は主を忘れるか否定してその導きから外れてしまうときだけ、背徳に陥るのです。

 アッラーはその預言者であるムーサーにフィルアウンを諭すよう命令し給います:「「そして、言え、『あなたには(不信仰などから離れ)清まることの方に(向いたいという願望)はあるのか』」。」ここでの質問文には、優しさと柔らかさがにじみ出ています。意味は、不信の穢れとあなたが神であるという主張や背徳行為、イスラエルの民に対する迫害行為から清まりたいと思っているのか、です。「「『そして、私があなたをあなたの主に導き、あなたも(彼を)慴れるようになる(ことに向いたいという願望はあるのか)』と」。」また私があなたを主が御満悦される道に導き、あなたに課せられた義務を全うし、禁じられた諸事項を避けることで死後を懼れるようにしたいと思うのか、という意味です。

 アッラーに対する懼れは、導きの後にしか現れません。なぜなら主に導かれることで主の偉大さを知り、人間はアッラーの偉大さを知らずしてかれを懼れることなど出来ないからです。

 続いてクルアーンは、ムーサーとフィルアウンのやり取りを述べます:「それから彼(ムーサー)は彼(フィルアウン)に最大の印を見せた。だが、彼(フィルアウン)は嘘と否定し、(アッラーに)背いた。その後、背を向け、(ムーサーの妨害に)奔走し、それから(人々を)集め、そして呼びかけ、そして言った、「われは至高なるおまえたちの主である」。」

 ムーサーははっきりとフィルアウンに教えを示し、その真実性を示す奇蹟を見せました。それは蛇に変身する杖で、ムーサーの使命を最大限に援護しているため「最大の印」と表現されました。しかしフィルアウンはムーサーを嘘つき呼ばわりし、アッラーの命令に背きました。そしてムーサーが脅迫している事柄に立ち向かおうと急ぎながらムーサーを否定しました。また人々がムーサーを信じないように立ちはだかり、魔法使いたちを集めて言いました:「われは至高なるおまえたちの主である」フィルアウンの自惚れが自らの神性の主張を生みだしたのですが、彼はそれが嘘であることを心の底では十分に理解していたのです。

 しかしアッラーの慣行が、神性を主張する人間に厳しい復讐を与えないわけにはいきませんでした:「そこで、アッラーは彼を捕え給うた、後者と前者の見せしめの懲罰として(懲らしめた)。まことに、そこには懼れる者への教訓がある。」つまりアッラーはフィルアウンを来世では火で罰し、現世では海で溺れさせ給いました。この事実の中には、アッラーを懼れ、その罰を懼れる者が得る確実な訓戒があります。

 続いてクルアーンは、人が死んでその骨がボロボロになってしまった後に生き返ることを不可能であるとして甦りを否定する人たちに対する呼びかけに移ります:

 「おまえたちの方が創造に関してより難しいか、それとも彼(アッラー)が打ち建て給うた天の方か。」

 意味:人々よ。おまえたちの創造の方が天の創造に優っているのか。まことに天を打ち建てた御方にとっておまえたちやおまえたちのようなものを創造すること、また死後に生き返らせることは容易である。またおまえたちの死後におまえたちを生き返らせることは、アッラーにとって天の創造よりも難しいことではないのである。

 クルアーンはこの意味を別の御言葉でも繰り返しています:「諸天と地の創造は、人々の創造よりも偉大である。だが、人々の大半は知らない。」(40章57節)

 アッラーは天の創造を、建てる、と表現し給いました。「それとも彼(アッラー)が打ち建て給うた天の方か。」アラビア語で建てるという動詞は、ばらばらのものを結合させて一つにすることを指します。このようにアッラーは惑星や星で御創りになったのです。各部分それぞれに軌道を与え、特定の引力によってそこを回り、またその軌道を邪魔するものはありません。以上が集まって一つの世界、つまり天という名の、私たちの上にあり、また私たちを覆っている世界が存在しているのです。

 またアッラーは天の創造を「その高さを高め、そして、それを均し、」と表し給いました。つまり大地からの距離を高いものとし、天それぞれの形を似通わせて、欠陥の無いものとし給うたという意味です。またアッラーは天の外見のいくつかを次のように表し給いました:「そして、その(天の)夜を暗くし、その(天の太陽の)光を出し給うた。」

 アッラーは大地を描写し給います:「そして、大地を、その後、押し広げ給い、」天の創造後、大地を広げ、大地の住人たちのためにそれを平らにした、という意味です。「そこ(大地)からその水とその牧草を出でさせ給うた。」これらの少量の言葉でクルアーンは大地の上での出来事のすべてを描写しています。それは水と植物です。描写において、修辞的にそして繊細さについても、クルアーンの文章にまさる完璧な表現はありません。

 そしてアッラーは山を描写し給います:「また、山を停泊(固定)させ給うた。」大地に山がしっかりと据えられていることを指しますが、これはアッラーの御力の顕現の一つです。大地の広がり、そこからの水と牧草の出現、山の固定。以上の現象はアッラーの御力の印でもあります。そして同時に人間と動物にとって有益なものでもあります。「おまえたちと、おまえたちの家畜の慰楽(活計)として(アッラーはこれら全てを創造し給うた)。」

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP25~28)

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