アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

トースとダンテスの合体-1

2023-05-25 11:13:19 | 現代冥想の到達点neo

◎組織宗教と個人宗教、顕教と密教

(2017-09-11)

 

エジプト神話では、トースは出てくるし、アメンチーの名も出てくるが、何のことかは、想像すらもできない程度に。

ダンテス・ダイジ座談では、アトランティスでは、神の宮という中央官庁兼最高神殿みたいなのがあり、その奥殿がアメンティ。そこにトースを中心とする12人の超人がいて、彼らは組織宗教的を体現していた。そしてもうひとりダンテス・ダイジは13番目の超人としてそこにいたが、彼は遊戯者であり、宇宙を遊び戯れる超人であった。

アトランティス末期に、ダンテス・ダイジは、神の宮を後にして、トース系の12人と袂を分かった。

以後、アトランティス沈没を経て、この中有の如き時代は、自分のわがままを通す、自己主張を強烈に行うのが当たり前みたいな社会通念が年々強まってきた。これは、トースの系流の悪い方の特徴である。

 

トース系は、組織宗教が、教義でもって大多数を縛り、教義という思想・イデオロオギーでもって集団統制・集団教育をやっていく結果として、個々人の自意識の分化が発達し、自分の欲望を実現しようとすればするほど、他との孤立化、分断化が進むというあい路に入っていく。

それが、非常に進展した社会が、現代社会である。この結果、この生き方が、多数の社会的不適応者、つまり薬物依存、ギャンブル依存、モバゲー依存、ひきこもり、うつ病者などを多数出している。

悟りはこうした社会的不適応者への最終的救済とも位置付けられるが、これだけ社会的不適応者が輩出するということは、この文明社会がそれだけ、悟りを希求するほど切羽詰まっているということ。

これに対して、ダンテス系は、行雲流水の如き遊び戯れる者。ただし人間を忘れてはいない。

密教のエッセンスの相承が、肉体でなく、アストラルの師匠から行われるらしいことは、これまでの例で見てきたところではある。密教系では超能力を駆使するがそれは総じて人間を扶けるためである。

西洋錬金術は、キリスト教の影絵として連綿として存在し続け、道教の錬丹は、その本質は内丹にありながら、外丹という薬物服用にみせかけては、命脈を保ってきた。

仏教系の密教では、成就者を何百年に一度は出しながら、観想法、呼吸法、呼吸覚醒、カーマ・ヨーガ、ソーマ・ヨーガなどいまだ世に知られぬテクニックをも含めて、秘密裡に存続してきた。

錬金術、密教系、クンダリーニ・ヨーガ系は、そのあらゆる危険性のゆえに組織宗教の埒内ではできず、どうしても、『寺を出て出家する』タイプの独自の秘密の道を歩まねばならなかった。これがダンテス系。

 

来るネオ・アトランティスでは、トースとダンテスが合体するという。人が神を生きるのに何の憚りもない時代よ。

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万世一系から地上天国へ

2023-05-25 06:42:37 | アヴァターラ神のまにまに

◎言ってはいけないし、言わないと判らないし

 

出口王仁三郎が、神の顕現である万世一系が日本だけから世界全体に広がることを言う。

 

『○経と緯の万世一系

 

天皇は天御中主神の顕現であって、名前が万世一系だ。今までは経(たて)ばかりの万世一系ばかりであったが、これから緯(よこ)の万世一系を拵えて朝鮮、支那というふうにして世界十字に踏みならすのだ。お筆先のことを開祖と自分(王仁)のことのみにとっているのは小さい事で、実はこの事である。

 

火は経であって日本は今まで経で来たのである。火だけではいかぬから緯をつくるのだ。言うてはいかぬし、言わな判らぬし、それで困るのだ。 この事は今までに書いていない。

(昭和十八年)

 

〇天皇

明治天皇・・・・・・天皇と申し上げるのはおくり名であって時代のことである。天皇は御名はないのである。

(昭和十八年)』

(新月の光 (下巻)/木庭次守/八幡書店P92-93から引用)

 

天御中主神の顕現という人間は、以前は社会組織の頂点に一人しか置かなかったが、万人が神知る地上天国の時代にあっては、各国にそれぞれ存在することになることを予言する。

 

天御中主神の顕現という人間のことをアヴァターラ、神人というが、君主として居るのではなく、友人として居る。

 

火は経(たて)で、水は緯(よこ)。火は経(たて)というのは、組織宗教トップの神人が火は経(たて)であって、トース型。一般民草の中に一友人としている神人が水は緯(よこ)であって、ダンテス型。

 

こういうのがトースとダンテスの合体の密意の一つなのだろう。

言ってはいけないとは、現今の社会秩序や将来の世界武装解除に悪影響があるからなのだろう。

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出口王仁三郎の占星術評価

2023-05-24 03:42:32 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎天書と霊線

 

出口王仁三郎は、ホロスコープは書かなかったが、天を見上げることで占断した。

空の星には各人の来るところの星がある。出口王仁三郎は、各人の霊線はその星とつながっているとは言っていないものの、各星は、月日と霊線で結ばれているとする。

 

ダンテス・ダイジは、各人は霊線に沿って神霊界(微細身)からアートマンへと上昇すると述べている(ニルヴァーナのプロセスとテクニックP100など)。

 

出口王仁三郎の説明。

まず占い一般は当たらないこと。

迷信

 

干支、九星、家相、人相、手相、骨相等決して当になるものではない。こんなに色々の種類があつて一致せない事を見ただけでも、すでに確実性がない證拠である。よく艮に便所を設けてはいかぬと云ふが、艮は太陽の上るところであるから、きれいにして置いた方がよいと云ふだけで便所等は成るべく目にたたぬ所に設ける方がよろしい。然し造作の都合でかかる迷信に囚はれてはいけない。年廻りや月日が悪い等と気にするやうでは、すでに其の迷信に征服せられてゐるのであるから、悪く現れて来る様になる。この広い天地に生を享けて、自分から日の吉凶を気にして、自らを束縛して窮屈に渡世する程馬鹿らしいことはない。王仁は今日迄いつも世間で年廻りが悪いと云ふ年程結構な仕事が出来てゐる。月も日もその通りである。』

(玉鏡/出口王仁三郎から引用)

 

次に彼の占星術について

天書

天書とは星の事である。天書を読めば来るべき世の推移が分る。今の世は星がだんだん下つた如く見ゆる、そして光を失つて居る。人の心が正にそれである。星と人とは相対関係がある。だから有為の材の会合などの事を諸星集ると云ふのである。

月宮殿のあの石畳は王仁が寝て空を眺め、天書の意を悟るために予め造つておいたのだ。読む方法を教へよと云ふのか。それは六ケ敷い。第六感、第七感以上の働く人でなくては分らぬ。人事上に起つて来る事などは皆天書に書いてあるから前から分つて居る。王仁はこの天書を読む事が一番楽しみだ。』

(上掲書から引用)

さらに

『幾億万の星の霊線に守られて

月日は空に清くかかれる』

(霊界物語 第75巻〈第6章〉余白歌/出口王仁三郎から引用)

 

『幾億の星の霊線つなぎ合せ

 本まつことに国土をささへつ

 

月も日もこの天界も言霊の

 まことにつなぐ星のかずかず

 

月も日も言霊の水火(いき)につながれて

 おなじ所を行き通ふなり』

(霊界物語第74巻 第23章 意想の外/出口王仁三郎から引用)

各人には各人に対応した星が一個ある。各星は、月日と霊線で結ばれている。

 

また霊線伝いに飛行できる。

天帯

弁財天や、天女達の周囲にある帯の如き布帛は天帯というて飛行の要具である。天人はこの帯に乗つて飛行するのである。勿論天帯といふのは象徴的の言葉で、霊線の事である、霊線をつたうて飛行するの謂である。』

(月鏡/出口王仁三郎から引用)

 

ダンテス・ダイジは、占星術や数秘術などには現代では失なわれたノウハウが多数あり、最盛期にはそれなりにちゃんとした神秘科学であったとして、迷信としては退けてはいない。ただ現代は、それらが当たらなくなる過渡期にあることを示唆している。

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出生ホロスコープを公表しなかったローマ皇帝

2023-05-23 06:55:28 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎奇跡には時を選ばないタイプの奇跡もある

 

5月下旬になっても気温がエレベーターのように乱高下する気候が繰り返されて、農作物の実りが心配な今年。さらに最近は日本全国で毎日のように震度5クラスの地震が連発し、巨大地震の発生も懸念されるところである。

禅の六祖慧能は、幡(はた)がはためくのを見て、幡がはためいているのでもなく、風がはためいているのでもなく、心が揺れているのだと喝破した。心が揺れている人が多いのだ。

 

古代ローマの初期は占星術が皇帝の座の行方を左右する重要なファクターだった。皇帝自身が占星術が大得意だった者も、ハドリアヌス、ティベリウスなど何人かいた。ただし自分のホロスコープをオープンにした皇帝は初代アウグストゥスとセプティミウス・セウェルス(在位193年-211年)だけだった。セプティミウス・セウェルスは、皇帝位につくことを正当化するために占星術を利用した。

 

自分のホロスコープをオープンにした場合、退位時期、病気の時期、死亡時期、結婚時期、離婚時期がわかることになり、無数のステイク・ホルダーによって、邪魔な者は暗殺したり好ましいものは推挙したりなどあらゆる策動が動くものだからである。

 

ただし、すべての占星術師の未来予言が当たったわけではなく、見事はずれて死なないなずなのに暗殺されたり、はずれ予言のとおり動いて失敗したとされる人物も少なくない。当時は秘密警察の犯罪捜査に占星術が積極活用されていたそうだから実情は推して知るべし。

古代ローマ初期のキリスト教がまだ国教でなかった時代、占星術は何度も禁令を出されるほど影響が大きかった。

 

あのレーガン大統領は、女占星術師ジョーン・キグリーに、政治や経済などの重要事項を相談していたという。皇帝や独裁者の孤独はいつの時代も変わらない。それゆえに占星術にまつわる悲喜劇が起こる。

世俗トップとして、彼らこそが神仏を知らねばならないが、それには、まずはわれら平民一人一人が神仏を知っているのが当たり前にならないといけない。

 

また奇跡には時を選ばないタイプの奇跡もあることを承知しておいた方がよいだろう。

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ただ一人生き残った占星術師トラシュロス

2023-05-22 06:49:55 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎はずさない占星術師の危うさ

 

ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(紀元前63 - 紀元14、別名オクタヴィアヌス)は、占星術が大好きで信じてもいた。

 

ある日オクタヴィアヌスは、親友のアグリッパと共に有名占星術師のテオゲネスを訪問。テオゲネスは、先にアグリッパを占い、彼がカエサルの娘と結婚し幸福になると予言した。

これを横で聞いていたオクタヴィアヌスは、アグリッパより運命が劣ることを恐れてなかなか生年月日を明かさなかった。テオゲネスから再三「生年月日がわからないと占えない」と言われ、しぶしぶオクタヴィアヌスは生年月日を明かした。

するとテオゲネスは、惑星と星座の計算が終わるや否やオクタヴィアヌスにひれ伏して、彼を皇帝陛下と呼んだ。

オクタヴィアヌスはすっかりテオゲネスが気に入り、以来腹心として重用した。

 

二代皇帝ティベリウスは、先代に輪をかけた占星術好きだった。ティベリウスは。占星術にふける時は一人で絶壁の突端に立つ城の塔に閉じこもり、彼と話ができるのは無学文盲の屈強な解放奴隷だけだった。

ティベリウスは疑い深い性格で、自分のプライベートや秘め事を知った占星術師は生かしておけなかった。

ティベリウスが占星術の占断を聞く時は、いつもこの奴隷が占星術師を城に案内し、占断が終わって帰途、この奴隷が崖下の海に占星術師を突き落とすのが常だった。

 

トラシュロスも有名占星術師の一人だった。ある日ティベリウスに呼ばれて、彼の未来を的確に予言した。ティベリウスは『それでは自分の未来はどうなんだ』と問い返すと、トラシュロスは自分のホロスコープを書いているうちに恐怖を抑えかね、ティベリウスに命乞いをした。幸いこれがティベリウスに受け入れられ、トラシュロスは、ローマの市民権を与えられた唯一の占星術師となった。トラシュロスの子もネロ帝の占星術師として活躍し巨富を得たが、これらは例外であった。

ティベリウスは殺した占星術師も多かったが、国外追放した占星術師も多かった。

逆に当時は、占星術が当たることで死を免れれば、その占星術師が一流の証拠となって、大いに隆盛となった。

このように古代ローマでは、占星術師は危険な職業の代表格だったが、古代中国で敵国敵陣の様子を軍の先頭で霊感占いする霊能力者もまた危険な職業だった。

 

権門の周辺に存在するスピリチュアル関係者はいつの時代も危うい。また予言をはずしてOKな占いは本来誰も相手にはしないもの。出口王仁三郎のように絶対にはずさない予言者はたまにいるが、そういう人物は求められても語るかどうかは別である。

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岸田首相広島G7で世界武装解除の先行モデルを出す

2023-05-21 07:02:59 | 時代にFace it

◎予言ではなく型出しで示す

 

2023年5月19日、岸田文雄首相をホストとするG7では、広島の原爆慰霊碑に各首脳が一斉に献花して、中国・ロシアを除く第二次世界大戦の主要関係国がわだかまりを解くための象徴的な第一歩となった。これは、将来の核全面廃絶のみならず、世界武装解除の第一歩として後で何回も振り返られるシーンになるのではないか。

 

献花者は、以下

岸田首相、

米国のバイデン大統領、

英国のスナク首相、

フランスのマクロン大統領、

イタリアのメローニ首相、

カナダのトルドー首相、

ドイツのショルツ首相、

EUのミシェル大統領、フォンデアライエン欧州委員長。

 

この献花自体は、民放などの中ロ寄りの解説者などが言うように実効性は当面薄いかも知れないが、植物の種子のようにおよそ物事の始まりには不思議な力が宿っているもの。未来には、刀折れ矢尽きて、核全面廃絶のみならず、世界武装解除時があるのだろうが、その時、このシーンは思い出されるのだろうと思う。

 

さらにアウトリーチ(拡大)メンバーとして

インドのモディ首相、インドネシアのジョコ大統領、オーストラリアのアルバニージー首相、韓国の尹錫悦大統領、クック諸島のブラウン首相、AU=アフリカ連合の議長国コモロのアザリ大統領、ブラジルのルーラ大統領、ベトナムのチン首相。これに加えゲストとして交戦国ウクライナのゼレンスキー大統領も参加した。

 

これは、いわば現今の有力国オールスターであって、これがウクライナ戦争中に一堂に会して、法の支配に基づく国際秩序を守り抜く強い意志を示し、エネルギー安全保障、食料安全保障、気候変動について議論される意義は大きい。

 

今般のG7では宮島を参拝し、2016年伊勢志摩サミットでは伊勢神宮内宮を参拝した。靖国神社を参拝する日もあるかもしれない。なお関東以東に歴史的神社仏閣がもともと少ないということは影をさしている感はある。東京遷都は、先にそういうことを考えるべきだったのではないかとも思う。

 

首脳達の聖地参拝は、先行モデルの実現という意味で価値が高い。だが首脳の参拝もわれら平民個々人の参拝も神仏の側からすれば等価値だが、地上天国の実現はまず自分が神仏を知ることから始まる。

日々の冥想を。

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アリマタヤのヨセフ

2023-05-20 07:05:25 | キリスト者の秘蹟neo

◎金持ちが天国に入るのは、らくだが針の穴を通るよりむづかしいが

(2022-09-02)

 

イエスの磔刑前夜、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。そうした中で、イエスの弟子の中に逃げずに済んで、かつ磔刑後にピラトとイエスの遺体の引き渡し交渉を行いえた人物がいる。それが、アリマタヤのヨセフという、善良で正しく、身分の高い議員で、金持ち。ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となった。彼は誰も葬られたことのない新たな墓を用意し、そこにイエスの遺体を運び入れた。

 

古代でも近世でも死刑において、遺体の埋葬場所、埋葬方法、墓を作ることを認めるかどうかまで、しばしば刑罰の一部として規定されることがある。

 

イエスの側から見れば、アリマタヤのヨセフは、弟子たちが彼の復活を「見て信じる」舞台をセッティングした人物である。一方ユダヤ人の側から見れば、ユダヤ人はイエスを刑死に追い込んだとしてディアスポラ(世界流浪)になったが、その当のユダヤ人であるアリマタヤのヨセフがイエスの埋葬を主導した功徳がその過酷な運命をいささか緩和したと見れるようにも思う。

 

さてその岩の洞窟の墓では、遺体が既になくて、イエスの遺体を包んだ亜麻布だけが残っていた。これはチベット密教などで屍解をよく知っている者にとっては、遺体は空中に煙のように分解し、跡に服や毛髪だけが残るという屍解の定番の進行に似ていると思い当たる。

 

そういう目で見れば、イエスは死後三日間で屍解を行ったのではないかと思われる。そうであれば、イエスは、クンダリーニ・ヨーギだったのだろう。槍を刺され釘を打たれ体液が相当に流出した中での屍解は相当に困難だったのではないか。

 

イエスの悲劇については、洗礼のヨハネ、愛人であるマグダラのマリア、密告したイスカリオテのユダが全貌を承知していたとみているが、最後の最後のイエスの屍解の場所まで提供したアリマタヤのヨセフも全貌を知る者のひとりだったのではないか。

 

そこで西洋では、アリマタヤのヨセフは、イエスから流れ出た水と血を聖杯に受け、フランス、スペイン、イギリス、ポルトガルで布教したという伝説(聖杯伝説)までできたのは、アリマタヤのヨセフの事績の重さをわかった人物が少なくなかったからだろう。

 

イエスに「金持ちが天国に入るのは、駱駝(らくだ)が針の穴を通るよりむづかしい。」などと批判されても、アリマタヤのヨセフは為すべきことをしたのである。

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救われるリッチな者は誰か

2023-05-20 06:50:28 | イエスと救世主たち

◎アレクサンドリアのクレメンス

 

スーパーリッチであることが、尊敬や賞賛を呼ぶ微妙な時代。政府にとっては、スーパーリッチな者は必ずしも多額納税者ではないので、昔と違ってスーパーリッチだから歓迎するということはない。

 

しかし、不思議なことにキリスト教の支配する西洋世界では過去二千年、リッチな者は天国に入りにくいと言われてきた。

 

アレクサンドリアのクレメンスは、2世紀の教父の一人。彼もリッチな者は天国に入りにくいとする。

 

ただし、彼の言う悟りとは、永遠の生命を得ること。イエスが持ち物をすべて売り払えと言っているのは、外形的な財産をすべて放棄せよといっているのではなく、霊魂が情念から解放されることを言っている。リッチになると倨傲、虚偽、虚栄、他の人を軽蔑することに陥りやすいのだ。

 

また以下のマルコによる福音書は、リッチな者は天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しいと言っている有名な部分だが、字義どおりなら、人間の求める究極はあの世で天国に入ることだが、アレクサンドリアのクレメンスは、そうではなく、神を知り、永遠の生命をこの世で得ること。つまり悟ることが究極とする。

 

マルコによる福音書10-17-31による「富める若者の物語」

『(4)「イエスが旅に出ようとすると、

ある人が走り寄って、跪いて尋ねた。〈善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか〉。

イエスは言った。〈なぜ私を「善い」というのか。神おひとりのほかに善い者は誰もいない。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ〉。

 

(6)すると彼は〈先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました〉と言った。

イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。 〈あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい〉。

 

(7)その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産をもっていたからである。

 

(8)イエスは弟子たちを見回して言われた。 〈財産のある者が神の国に入るのは、なんとむずかしいことか〉。

 

(9)弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスはさらに言葉を続けられた。〈子たちよ、神の国に入るのは、なんとむずかしいことか。金持ちが神の国に入るよりも、駱駝が針の穴を通るほうがまだやさしい〉。

 

弟子たちはますます驚いて、〈それでは、誰が救われるのだろうか〉と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。〈人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。

 

(10)ペトロがイエスに、〈この通り、私たちは何もかも捨ててあなたに従ってまいりました〉と言い始めた。

イエスは言われた。〈はっきり言っておく。私のためまた福音のために、家、両親、兄弟、財産を捨てた者は誰でも、それを百倍受けることであろう。今この世で迫害を受けながら、畑、財産、家、兄弟を有したところで何になろうか。来たるべき世での生命は永遠のものである。しかし先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になるであろう〉」〔マコ一〇:一七:三一〕。』

(中世思想原典集成  1  上智大学中世思想研究所/編訳・監修/平凡社P424-425から引用)

 

山上の垂訓で、「幸いなるかな心の貧しき者、天国は彼らの者である。」の心の貧しき者とは、「霊魂が情念から解放された人」のことであって、OSHOバグワンの言い方では、マインド(頭)がない人、ノーマインドの人のことである。

 

誠に21世紀になっても、心の貧しいということは、人間の生き方の重要なテーマではある。

 

なおイエスのグループには、アリマタヤのヨセフというリッチな支援者もいたことも忘れられない。

 

また富、財産は、それ自体白でも黒でもないが、白として扱うことが極大化したゆえの反作用はある。

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無知なる釈迦が前世で覚者に足を触ってもらう

2023-05-19 06:28:39 | 人と神の「実際のところ」

◎ジャータカ釈迦前生譚

 

ジャータカ釈迦前生譚は、釈迦の無数の前世のエピソードを描いた話。

 

釈迦がまだ無知だった前世において、さる悟った人間の噂を聞き、逢いに行って、話をすることができた。

釈迦が悟った人の足に触れ身を起こすと、なんと悟った人が釈迦の足に触れているではないか。

 

釈迦が悟った人に「なぜ、無知で悟っていない私の足に触れているのですか。」と問うと、

悟った人は、「あなたの内部に隠れている本質は、既に悟っているから、それに触れているのだ。」と。

 

後に釈迦は、「当時悟った人の言うことが理解できなかったが、今ならわかる。彼は、真の私に礼拝したのだ」。

(参照:ヴィギャンバイラブタントラ(9生の神秘)OSHO P233-234)

 

ジャータカは、大部なものであり、このジャータカ上の出所を捜し当てられなかった。私が小学生の時に近所の寺の住職が子供何人かを集めて、ジャータカから話をしてくれる機会があった。それはインドという亜熱帯のエキゾチックな国のことだったが、とても心惹かれる話だった。

 

これと類似のエピソードは、イエスが弟子の足を洗う話。

 

現代でも心ある悟った人なら、別れ際に未悟の人を礼拝して、どぎまぎさせることがあるのではないか。

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大梅法常

2023-05-18 03:48:28 | 達磨の片方の草履

◎道元のお気に入り

 

道元が五台山から天童山に帰る途中に寧波の大梅山護聖寺に泊まったが、夢に大梅法常禅師が現れた。大梅法常禅師は開花した梅の花一本を道元に与えた。この花の縦横は一尺あまりだった。この梅の花は優曇華であった。

 

なお、優曇華を受けた者は悟っているということ(拈華微笑の故事)。道元は、この夢について、夢の中も覚めている時も同じく真実であると述べている。

(参照:正法眼蔵の嗣書篇)

道元は、大梅法常のことを気に入っていたようだ。道元はこういうところが人間くさい。

 

さて、大梅法常は、馬祖に参禅し、「仏とは何か?」と問うた。

馬祖、「即心是仏」。

大梅法常は、これを聞きたちまち大悟した。

 

以後約40年間、大梅法常は大梅山にこもって独り草庵を結んで聖胎長養を行った。この間松の実を食べ蓮の葉を着物として暮らし、世間のことは見聞せず、ただ四方の山が春には青く秋には黄色くなることだけを見て暮らした。

そんな中、馬祖の弟子筋の塩官が、山から出てきて説法するように依頼したが、ついに大梅法常は山を下りることはなかった。

(参照:正法眼蔵の行持 上篇)

 

また、正法眼蔵の行持上篇には、以下の話もあるが、私は嘘だと思う。

『大梅法常は頭頂に八寸の鉄塔一基を置いて落とさないことを、眠気覚ましとして坐った。この鉄塔は今も大梅山にある由。』

禅では、錐を腿に刺しては眠気を払った慈明の逸話もある。眠気の問題も大切だが、もっと重要なポイントがあるのではないか。

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エクソシスト稲生平太郎

2023-05-17 14:09:43 | 超能力・霊能力neo

◎稲生物怪録

(2021-06-03)

 

稲生物怪録は、江戸時代、広島県三次市を舞台に、様々な妖怪が次々と登場し、16歳の稲生平太郎が、妖怪軍団をついに打ち破るというもの。これは内容が奇抜でバリエーションに富んでいることから、最近では、モバゲーのモンスターとして頻繁に登場している他、平田篤胤、泉鏡花、稲垣足穂、折口信夫、荒俣宏、京極夏彦らに採り上げられている。

 

だが、実際に稲生物怪録を読んで見ると、稲生平太郎と家族、親戚、近所の人が盛んに怪異に悩まされるが、稲生平太郎は、騙されずに正体を見破り続けたところ、特に物の怪側に攻撃をしたわけでもないのに、物の怪側が敗北のしるしとして木槌を平太郎に渡し、いづこともなく去っていったという、カタルシスという点では物足りない物語に仕上がっている。

 

クンダリーニ・ヨーギは大体エクソシズムの心得はあるものだが、日本の有名エクソシストと言えば、出口王仁三郎と本山博。本山博の著作を読むと各地で浮かばれない霊をどこかに逐うのでなく言い聞かせ、解脱させている。出口王仁三郎も無数の不成仏霊を言向け和し、改心させているが、中には苦労させられる手合いもあった。

 

出口王仁三郎の、稲生平太郎への言及は筑波山の一箇所のみであって、多くを語ってはいない。マントラにしても作法にしても、悟っていない人物が使えば良い結果にならないことを知っていたせいだろう。

 

カルロス・カスタネダのシリーズでも、霊界のどこかに何百年も取り込められている人を見かけるシーンがあったりするのだが、普通の人は、そういうものに関心を持つことは百害あって一利なし。

 

釈迦でもイエスでも大悟の直前に悪魔が登場する。稲生平太郎のケースでは、沢山の悪霊が登場して最後の魔王との対面の際、冠装束をした人の半身(昔の一万円札の聖徳太子みたいな)が稲生平太郎の背後に見え、平太郎自身は彼を守る氏神だろうと認識した。

 

だがこの際に稲生平太郎は、大悟したのではないか。ダンテス・ダイジのニルヴァーナのプロセスとテクニックでは、クンダリーニ覚醒時に1~3人の神霊がやってきて一人が本人の頭の封印を切る、とある。氏神と見えたそれが、そうだったのではないだろうか。

 

大悟して初めてイエスも釈迦も平太郎も悪魔を超えられたのだ。

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田中陽希GreatTraverse-3

2023-05-17 10:55:32 | 修験道neo

◎登ってはいけない山-1 

(2021-05-27)

 

山には聖山もあるが、人間が登るのを戒められている山もある。それが、丹波大江山と筑波山。

 

田中陽希は、大江山は、登っていないようだが、筑波山は登ってしまっていた。

 

筑波山神社由緒によれば、山下の南面中腹(270m)に拝殿があり、これより山上の境内地「筑波山」を御神体として拝する由。

 

出口王仁三郎は、

『筑波山は兇党界の大将山本五郎右衛門が本拠である事は度々話した通りである。平太郎によつて封じ込まれて柔順しくなつては居るのであるが、それでもあの山に登ると憑依されて狂態を演ずるやうになる。丹波の大江山も悪霊の本拠であるから登つてはいけない。押して登れば憑依される。』

(玉鏡/筑波山の悪霊/出口王仁三郎から引用)

※平太郎:稲生物怪録の稲生平太郎か。

 

ところが筑波山には、今ではロープウェーもケーブルカーもあり、登ってはいけない山どころではないのだろう。筑波山山頂近くには、弁慶の七戻り(ギロチン型の巨石であって、今にも頭上に落ちてきそうなもの)や、他にもガマ石など奇岩巨石が多い。

 

GreatTraverseの番組では、田中陽希が筑波山頂で、筑波山に5千回登ったと称する人物に出会い、ぎょっとさせられた。

 

こうして見ると、山岳などの結界あるいは、女人禁制というのは、ジェンダー差別に由来するものではないのだろうが、重要な因縁を有するものであろうことが想像される。山であれば、何でもよいというものでもあるまい。

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田中陽希GreatTraverse-2

2023-05-17 10:51:26 | 修験道neo

◎修験道との関わり、大峯山など

(2021-05-24)

 

日本三百名山で選定しているのは、必ずしも修験道の山ではない。だが、山頂には、亡くなった人を供養する積み石や、祠などが置かれており、時に蠅の飛ぶ音が聞こえて、山頂巡錫のリアリズムを感じることができる。

 

大峯山では、田中陽希は、快適に森林地帯を進んでいたかに見えたが、山上ヶ岳の「西の覗き」という行場で、命綱を肩にたすき掛けして岩壁の上から身を乗り出す行をやった。彼も終わった直後は放心状態だったが、久しぶりに腹の底から声を出していたそうだ。

 

バンジージャンプとは異なり、スリルを味わったり、好奇心でやったりするものではないが、いわゆる「本気でやる」ということの重要さを知る行である。禅語録で、よく弟子が生半可な解釈を師家に咎められ、棒で殴られたりして、本気を求められるが、本気には実は何層もあり、最深の本気を求めるというのも、宗教修行ではメイン・テーマの一つである。

 

大峯山では、例の大峯千日回峰行のルートとは別のルートを進んだ。持っている杖の長さも全く異なる。

 

伊吹山は、これが白隠が大岩に乗って坐っていたところ、山の主か何かに脅かされた山かと、目を見張って見ていた。織田信長が中腹に広大な薬草園を作っていたとは知らなかったし、山頂付近は荒涼としていて、修験道とは、苛酷な自然環境でやるものだと感じさせられた。出口王仁三郎も伊吹山は、伊吹は【息を吹く所】の義で、地球上に伊吹戸は無数あるが、伊吹戸中の伊吹戸ともいうべきは近江の伊吹山であるとする。(霊界物語第39巻大祓祝詞解)

 

両神山は、鉄道で近くまで行けるので大したことはないのかと思っていたが、あれほど峻険な山とは知らなかった。

 

富士山は、山頂に近づくにつれて、登山路にうずくまったり横になったりして高山病になる人が続出していたのには驚いた。富士登山ブームとは言うが、4千メートルに近いところは甘くは見れない。

 

水も食料も携行しなくてはならず、なおかつ全身運動となる修験道。大峯千日回峰行では、ポイント、ポイントで礼拝の連続だが、足でこれだけ山頂を巡るのでは、感得するところもあるのではないか。だが、山には聖山ばかりでなく、そうでない山もある。

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田中陽希GreatTraverse-1

2023-05-17 10:46:44 | 修験道neo

◎日本のピラミッド説など

(2021-05-23)

 

これは、田中陽希が、日本3百名山をひと筆書きで、下界の道路も徒歩で行き、三百名山も登ろうというプロジェクト。

こうしたツーリズムものは、せいぜい火野正平の自転車ツーリング番組をたまに見る程度だった。私は登山はしないが、2か月ほど前からこの最初のシリーズの百名山のダイジェスト番組(NHK)を見始めた。田中陽希は、常人の2倍以上のスピードで山に登り山を降りるのだが、これで感じ入ることがいくつかあった。

 

まず日本のピラミッド説に関して。これは昭和の初めに酒井勝軍が広島県の葦嶽山はピラミッドである説を唱え、出口王仁三郎もこれを否定はしていない。だが酒井勝軍の著書「太古日本のピラミッド」という著書はおよそ科学的とは言えない本であって、日本のピラミッドのある山頂の多くを巡るには、アストラル・トリップで見に行くしかないと思って、半ば真相に迫るのをあきらめていた。

 

ところが、田中陽希がグレイト・トラバースで実際に登っているところを見ると、音に聞く山頂のピラミッドと呼んでもよいような巨石は、意外にあるものだということを知った。

 

だが、巨石であれば何でもよいかということではなくて、修験で古くから霊場とされているところがそうなのだろう。

 

それと火山。島村英紀氏によれば、火山学会では、さる火山予知の失敗をきっかけに日本では活火山、休火山、死火山という分類をやめたそうだが、田中陽希のグレイト・トラバースでは、山頂周辺で活発に噴煙を上げている山は少なくない。磐梯山、吾妻山などでは、火山性ガスで生命の危険があるのではないかとはらはらして見ていた。

 

要するにその山頂がパワースポットであったとしても、火山の大噴火でパワースポット自体が存続しなくなったり、新たに発生することもあるのだろうと思った。

 

野口英世の伝記で、明治時代の磐梯山の大噴火が出てくる。これは、1888年の大噴火で山頂がまるごと吹き飛んで消失したもの。そういう事象が日本では、1792年の島原半島眉山など時に見られる。

 

日本は火山国家であり、民心の動向がセンシティブに地震と火山活動に出る。民心が悪に振れれば地震と火山活動は活発化し、逆に民心が善に振れれば、地震と火山活動も収まり異常気象も起こらない。古来そういう操作は、修験者や超能力者だけがやっていたが、今や民衆の心的パワーはそういう少数人のコントロールを超えているところがあるのではないか。

 

富士鳴戸の仕組みも富士山大噴火と連動していないとも限らぬ、地球のマニピュラ・チャクラの覚醒、爆発。

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単独行遭難

2023-05-17 06:54:07 | 冥想いろいろ

◎遭難の理由と変性意識の隙

 

登山に良い季節になった。『ドキュメント 単独行遭難/羽根田治/山と渓谷社』を読んだ。

 

登山には、グループで登るのと単身で登るのがある。警察庁の統計では、全遭難者中の3~4割が単独行。登山は冥想修行と同じで、他の誰かが登ってくれるわけではなく、自分で登らなければならない。

 

この本に上がっている遭難例は、ほとんどが50代から60代であって、泊まる可能性がある登山をできるのはほぼ中高年だけに限られることがわかる。

 

また遭難した山岳は、

奥秩父・唐松尾岳、

北海道・羅臼岳、

秩父・両神山、

北アルプス・徳本峠、

加越山地・白山、

北アルプス・奥穂高岳、

尾瀬・尾瀬ヶ原(豪雪時)

である。

 

遭難の理由は、やや無理をしてその日の踏破距離を伸ばそうとしたとか、ちょっと別ルートに入ったとか、道に迷ったとか、予定ルートを進んでいたが、足を踏みはずして転落滑落したというのが多い。一律ではないが、生還例だけが挙がっていることに注意。

 

道迷いについては、迷った後で『迷った』と気がつくもの。

 

足を踏みはずして転落滑落ということについては、Great traverseの田中陽希が700名山を踏破しても足を踏みはずして手指を骨折したのが1回きりであるということを思うと、田中陽希の心肺機能が凄いとか、筋力が凄いということもさることながら、目に見えない浮石の踏み方、目に見えない滑りやすい草の踏み方が精妙であって、ほとんど何年も転落滑落がない一歩一歩を履めるからこそ名人なのだと思う。

だが、それを名人と言えば判断停止しがちだが、変性意識のブレ(隙間)を防ぎつつ歩くことが何年も何秒も継続してできていることこそ見逃せない。

 

また、ちょっと別ルートに入っても必ずしも遭難するわけではない。

 

そして日本の山岳では、標高8千メートル以上の死の地帯という呼吸が苦しくて異常心理になりがちなエリアはない。だが標高数十メートルの低山や平地であっても、夜に単独で歩けば、狐や狸を人と認識して化かされるような変性意識状態はあり得る。

この本には、いるはずのない人物を認識した話はいくつか出ている。

 

大悟覚醒は、トランスとも呼ばれる変性意識状態の近所にあるわけだが、聖者覚者はそれを心理と見ることを戒める。最終的には現実そのものなのだ。

 

単独行遭難は、生還した事例ばかりだが、バス転落事故で亡くなった方たちの死以後のルートを霊視した丹波哲郎の「霊界旅行」という本もある。

 

瞑想修行でも単独行遭難は無数の例があることはご承知のとおりである。

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