◎天国と地獄を超えるという方向性
今日で、前身のブログのアヴァンギャルド精神世界スタートから満二十年を数えることになりました。その間休んだのは8日ほど。継続できたのは、ひとえに神仏の助けがあったことと読者の皆様のお蔭です。
人間の成長、成熟と言えば、思春期になること、二十歳で成人になることが代表的だが、悟りを開くのも成熟の一種で、神人合一だから人間を卒業すること。満二十年だが、この間大悟覚醒できなかったのは残念である。
さて、ダンテス・ダイジの詩集『老子狂言』やOSHOバグワンの『瞑想-祝祭のアート』などもそうだが、40年前意味がわからず7,8割読み飛ばしていたものでも次第に読めるようになってきたものもある。一方でチベット密教の秘密集会文献のようにほとんど歯が立たないものもある。秘密集会文献では、精液、経血などがばんばん登場するが、似た情景が道教の朝鮮の神人姜甑山によく登場するのは知っている。宗派は異なれど、クンダリーニ・ヨーガ系は似たようなことをやっているのだ。
ここ数年の事績と言えば、『ジェイド・タブレット』を完成させたこと。これは、人間には、各々霊線(クンダリーニのエネルギーコード)があって、これを根源までさかのぼると、自分がすべてのすべてである神仏であることに気がつくことができるという、いささかオカルティックな基本線からニルヴァーナを展望しているもの。
横軸、縦軸は、それぞれ水平の道、垂直の道だが、最後のステップは、何だか共通している。
西欧近代文明は、男性優位文明、火力文明だが、世界を席捲している。その象徴としてほぼ全員がスマホを持つことで、半ばデジタルで造られた牢獄に居るのは、この世紀末のシンボルである。特に共産中国は、多数の監視カメラと戸籍に付随した思想管理、WeChatアプリによるデジタル通貨の徹底普及(反共の人は電車の切符も買えず、乞食もスマホで布施を受ける。)と強制収容所と、最先端にいる。中国は、不動産バブル崩壊と、戦浪外交の結果としての外資撤退により、向こう百年経済浮上はないとも見られるが、今後の極限まで発達したデジタル牢獄社会の末路は注目される。
デジタルも生成AIも人工物。OSHOバグワンは、1970年代に、「人工は、利己主義である。」と喝破。デジタルも生成AIも、利己主義を発展助長させるだけで、結局は人間相互の奪い合いや争闘を巧妙に激烈に迅速にするだけのものだということ。
こうした中で、人間意識の隙間にはニルヴァーナが刹那刹那に垣間見えているのだから、自分が神仏であったことに気づく人が続々と出て来てくれる趨勢にあることは間違いない。
そのためには、正しい坐り方、坐相、冥想姿勢で坐ることと、悟った師匠との出会いは欠かせない。そして行住坐臥における善いことをする、悪いことをしない。
昨今ブログを書いて思うのは、これまでの宗教があまりにも天国、極楽、快適、幸福偏重だったものだから、今後は一見現実離れしているかに見えるかもしれないが、「天国と地獄を超える」というのを正面のテーマに据えてみせることが必要だと思う。
その点で、ダンテス・ダイジの老子狂言は貴重である。ダンテス・ダイジに出会った人の中には、彼が覚者であることがわかった人もいた。だが周囲が浴びせる質問は、「悟った人でも怒るのか、悲しむのか?」、「超能力を使ってみせないのか?」、「悟っている有名人や芸術家は誰か?」などという初歩的な質問も多かった。
これから万人が悟る時代になるにあたり、真摯な冥想修行者が聞きたいテーマは、覚者の世界観、日常感覚、その透徹した孤独感、神人合一の実感、感慨なのではないだろうか。そうしたものは、聖書にも禅語録にも載っているが、凝縮されて並んでいる点では老子狂言は、貴重なものだと思う。
厳寒の冬ですが、今後とも宜しくお願い申し上げます。








