アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

無意識と死の側-3-マインド・コントロール

2023-12-08 06:37:35 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-03

◎青春期の垂直の道-3

◎耽溺から思考停止へ

 

マインド・コントロールは、昔はナチスや広告会社や軍部や宗教が得意だったが、いまやスーパー・コンビニの買い物から特殊詐欺にまで応用されるとんでもない時代になった。マインド・コントロールというのは、カルト教団や独裁国家だけで行われているものではなく、世界中の日常茶飯で行われている。そして、昨今のITの発達によりマインド・コントロールは、その稠密度、巧妙性において新たな様相を見せている。

大雑把な言い方をすれば、七つの身体論では、人間は肉体で空気を呼吸し、エーテル体で気を呼吸し、アストラル体で感情を呼吸し、メンタル体で想念を呼吸している。それをベースにすれば、マインド・コントロールは、これら四ボディを舞台に展開されている。

イエス・キリストの時代のように自説を主張する人自体が少なく、ある説を唱えれば素直に信じる人が大半だった時代には、マインド・コントロールは容易だった。

また平安時代の空海のいた頃のように、病気は霊の仕業ということが広く信じられていた時代にも、時に不可知なる霊を以って説明すれば、マインド・コントロールは容易だった。

かくして科学が発達し、自己実現を広く唱える自意識を持った現代人の自分の心理を顧みてみれば、政治、経済、教育、商業、文化、宗教、歴史、社会常識、科学、法規範、世間体、地域社会の因習、マスコミの情報、家族知人からの口コミなど、ほとんどが自分の外から来る情報によって成っていることに気づくだろう。これを、現代人は外部情報を除けばほとんど中味が残らないと言い、これが、マインド・コントロールの全体像である。

さらに、いわゆる洗脳情報は何年かたてば消えてしまうが、消える前に繰り返すことで、嘘も真実と信じ込ませる洗脳(マインド・コントロール)が永続される仕組が広く行われている。

 

さらに、昨今のマインド・コントロールで注目すべきものに2種を挙げる。

1.正反対の情報によるプロパガンダ合戦での判断停止

2022年からのウクライナ戦争では、NHK ニュースは、西側のウクライナによる戦争プロパガンダを放送しては、ロシアの戦争プロパガンダを放送する。また、2022年5月のバイデン米国大統領来日時に、アメリカは台湾有事に軍事的関与を示すという発言の一方で、引き続いて中国の反発を流すと同時にNHK の人物がバイデン大統領は失言が多いとコメントをして、視聴者の判断を迷わせる報道になっていた。

また2023年のイスラエルのガザ侵攻では、マスコミがイスラエル支持とパレスチナ支持とに立場が分かれた報道を行っている。

こういう正反対の情報によるプロパガンダ合戦は、昨今多いと言われる「考えない人々」すなわちあらゆるプロパガンダに対し頭を受動的にしたままにする人々をさらに思考停止させる効果があるように見える。

さらに最近は、Covid-19問題などで、SNSとマスコミの主張が正面衝突しているケースが多く、これは長期的に見て新聞発行部数の急減、テレビの視聴者数の激減と相まって、マスコミの衰退とさらなるSNSの隆盛を招くだろう。

だがそれは為政者にとって不都合だから早晩SNSの禁止に始まる思想言論信教の自由の圧迫が起こるだろうと思う。それは、既に70年以上前に出口王仁三郎が予言している。

 

2.スマホという思考停止装置

思考停止は、人が無意識に引き込まれることで起こる。無意識に引き入れるためのメソッドそのものには色がついていないこと、人間の悪意というものを今の文明では社会通念としてあまり問題だとは考えていないこと、テレビ・マスコミなど様々なレベルでの洗脳手法の氾濫、さらに人を耽溺させるメカニズムとして、「言語的、心理的ゲームを繰り返していき、次々に与えられた関門を突破していく仕組み」が、モバゲー、ネットワークビジネスから特殊詐欺などにまで組み込まれていること、そうしたいろいろなことが相まって、偶発的な自己催眠性トランスを多発させているのではないか。

最近多くなったスマホを見つめつつ人ごみを前に注意しないで歩く人達というのは、既にそうした催眠性トランス予備軍であるように思う。

 

スマホが思考を停止させることは皆実感しているだろうが、その効果は、静止画よりは、動画の方が高く、コンテンツで言えば、モバゲーやエロの方が高いと思う。

スマホによる大衆の思考停止は、マインド・コントロール実施者の狙いをより容易に実現せしめる。為政者が民衆に気づかれないように何かろくでもないことをしようとする場合には、恰好の目隠しにはなる。

ところが、平和な日本で電車に乗れば、半数以上の人がスマホ・携帯でゲームなどに打ち込んでいる。食べるもの心配はないかもしれないけれど、異性間での結婚すら所得が低いのであきらめざるを得ない若者(若者は生かさず殺さず?)が多いとか、老人が将来増え過ぎて国では面倒を見切れなくなるとか、中国が日本の領土に攻め込んでくる準備が進んでいるかもとか、将来の不安は尽きないが、それでも、「今ここで」このゲームをクリアするのが至上命題なのだ。

そんなこんなで、国家間ドンパチは周到な準備の後に始まるのだろうから、情報通は、「歴史に偶然の出来事はない」などとのたまう。

         

さて現代人の心理において、大半の情報が外から来るものだが、逆に、本来の自分個人に固有のものは、浮草のように翻弄される原因である我がカルマと永劫不壊なる神仏ということになる。

冥想修行では、よく既成概念を払拭せよとか、先入観をなくせよなどというのだが、それは、神仏にアプローチするためには、まず外部から来るものを排除せねばならぬということであり、それはあらゆるマインド・コントロールを免れよということである。

そうした修行環境として、例えばキリスト教の修道院や仏教の禅堂があるが、そうした場所では、外部からの情報は入らず、沈黙が求められるものであるのは当然である。さらに修行者個人の内面の操作として、観想法、一行専心、マントラ念唱、只管打坐(浮かんでくる思いを相手にしない)などのテクニックが使用される。

修行の前半でまず求められるのは、マインド・コントロールの払拭である。

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