外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

英語教育の前に、言葉の教育という視点を

2014年02月26日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

 「英語教育」という前に、言葉の教育ということを考えたいです

斉藤博のことを書いてきて、問題は、狭い意味での「英語教育」でなく、「言葉」なのだと思います。

斉藤博 家族
「言葉」の難しさ、面白さ、重要さが、「外国語」を学ぶ時、とりわけ、明らかになります。正確に伝える強い意志、 正確に理解したいとという情熱、そのことの涵養なくしては、英語教育は、うすっぺらなものになってしまうでしょう。

斉藤博 パネー号
教育には、社会の必要に習う人を合わせるという、「上からの教育」の面だけでなく、習う人が大きく育つのを助けるという「下からの教育」という面がありま す。英語教育も、国際化の時代だからという「社会の必要」に合わせる側面だけでなく、外国語という他者を理解し、外国語という他者を鏡として自分を理解す る力を養うという側面に眼を向けていただきたいと思います。


educateは「~から引き出す」という意味です。ですから、teachと違って目的語には「人」しか来ません。英語や数学を目的語にすることはできま せん。習う側が育つきっかけを見つけ、引き出すという過程が、英語教育の現場でどのように可能なのか、一緒に考えませんか。

英語の先生たちへ。


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