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文系、理系の垣根を越えて、というけれど…

2019年07月26日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

文系、理系の垣根を越えて、というけれど…

「今はもう文系、理系の垣根にこだわる時代ではない」とはよく聞かれる言葉です。しかし、よくこの言葉を聞いていると文系と言われる諸君は数学、科学を勉強したまえ、という言葉に聞こえます。理系の諸君は文学や歴史を学ぶべきだということはあまり聞いた覚えはありません。

C. P. スノー最初に文系 - humanities-と理系 -science-の対立が言論界で論争の的になったのは、1959年、英国で、C.P. スノーが『二つの文化と科学革命』(The Two Cultures) という論文を発表したときのことでしょう。スノーは著名は物理学者で、かつ推理小説なども書いていました。この論文では、以下のようなエピソードが挙げられているそうです。伝統的な教養人とされる人々の集まりにでたら、科学者はものを知らないという話をしていたので、彼が「熱力学の第二法則」を知っていますかと訊いたら、はっきりした答えが返ってこなかった。スノーに言わせれば、シェイクスピアの何かを読んだことがありますかと同じレベルの質問をしたつもりだったそうです。文系、理系ということが話題になるのは、このころから理系の立場の人の不満表明として表れていました。一言で文系といいますが、欧州では中世以来の伝統的なラテン語教育に基づく文系教養主義が制度化し、不動の権威を持っていたのです。それに対し、一矢を報いるという性格の発言だったのでしょう。発表された年月にも注意していただきたいです。原子力の力で世界の命運を握るのは一握りの核物理学者だということが分かってきて、「文系」の学者の土台が揺らぎだしたころのことです。この文脈で初めてスノーの論文の歴史的価値が分かります。

では、日本ではどうか。1868年の明治維新以来の工業化の流れの中で西欧以上に、文系と理系の違いが際立った来ました。なぜか。西欧の場合、分かれたとはいえ、文系の伝統から理系が派生してきた記憶がありますから、文系と理系の交流は皆無とういわけではないのです。ところが日本の場合、明治以降の工業化が理系学問の主流となり、原理へ遡って考える動機が少なかったのです。手っ取り早く爆弾やラジオを作ること=理系だったのですね。そのため、西欧では、数学と理学(science)が工学(technology)より重んじられる傾向がったのに対し、日本は理学部より工学部の方が学生の人気が高い状態が続いています。一方、文系ですが、西欧の人文学(humanities)、あるいは文献学(phylology)と言っていいでしょうか、に対応するのが、江戸期までの漢学でした。西欧でラテン語、ギリシャ語がその存在を主張しつづけているのに対して、これは維新とともにすっかり滅びてしまったのです。明治の最初期は中江兆民がルソーの『社会契約論』を漢文に訳したということもありましたが、まことにいっときのうたかたでした。では日本における「文系」とは何か。それは西欧の文献を訳すことでした。そのことがhumanitiesの大半の役割を代替してきました。つまり、日本においては、理系は実用と同義語、そして、文系は西欧の借り物という性格が強くなり、西欧以上に両者の交流は乏しい状態が生じたのです。

「文系、理系を越えて」というとき、以上のような文脈が前提に語られなければなりません。しかし、掛け声だけはあっても、じっさいはどうだったのでしょう。40年前ごろ、大学でこれからはコンピュータを国文学に応用するのだと息巻いていた人たちがいましたが、源氏物語の語彙の統計を取るというぐらいのもので、なんだ、と思った記憶があります。その後も、文理を越えるというと、文系の諸君も科学を知るべきだということと同じ意味で言われてきました。

たしかに、文系の側にも反省すべき点は大いにあります。それは論理と事実への軽視です。これについては、木下是雄さんについてのエッセイなどに譲りましょう。ただ、木下さんの最初の啓蒙書は『理系の作文技術』であって理系の人が対象であったという点は注意したい点ですが。文系における論理と事実の軽視は、西欧思想崇拝のもとでとてもおかしなことをあたりまえのように引き起こすこともありました。友人のフランス語講師から聞いた話ですが、フランスの哲学者サルトルが来日し講演を行ったときのことです。当日は通訳なし、満場の学生は講演が終わると割れるような拍手で見送ったそうな。昔は、私なども「ミロのヴィーナス」を見に美術館をぞろぞろぐるぐる回って有り難がったこともあります。では、このようなことは今日では笑い話で済ますことができるか、というと少し疑わしい。サルトルのようなカリスマはいなくなりましたが、文系=権威主義という土壌は消えてはいないように思います。「文系の諸君は数学と科学を学ぶべし」という言葉が説得力を持つ所以です。

扨、ここで、やっと、理系の側の人が越えるべき垣根はなんだろうかという主題にたどり着きました。私の念頭を去らないのは、オウム真理教事件です。事件を起こした人のなかには「理系」の秀才が多かったようです。なぜエリートと言われる人が残虐な犯罪に手を染めたのか。危険な化学物質を製造する精密な頭脳を持った連中に欠けているのは何か。数学と科学だけでは不十分なものがあるのではないか。とりわけ「実用」ということだけ考える日本の理系風土に欠けているものがあるのではないかと考える必要があります。

それは何か。このエッセイで初めて登場する語彙です。それは歴史と常識という言葉で表されるもの。文学と言ってもいいかもしれません。歴史も常識も定義したり計算したりすることができないので、「理系の人」は不得意かもしれません。歴史も常識も知らないでも理系の世界でいくらでも出世できます。でもちょっと考える必要があります。精密な理論が出来たとしてもそれをなんのために使うのか。輪郭がはっきりしないものかもしれませんが、全体のなかの意味、価値があって初めてその理論も意味を持つのです。輪郭ははっきりしませんが、十代、二十代のころ、読書、つまり過去の優れた人とのつきあいを通して身につけるのが「歴史と常識」です。証明することができるようなことでないので、失われやすい。しかし、オウム事件のような事件が起きる背景には、理系の秀才たちが「歴史と常識」を身につけていなかったからではないか。そうだとしたら、今後も似た事件が起きるかもしれません。

最期に、少し前、1995年に起きた、『マルコポーロ事件』に触れておきましょう。ナチスのガス室がなかったという記事をある医師が『マルコポーロ』という雑誌に掲載したのですが、廃刊に追い込まれた事件です。その後、在ったのないの、の議論が続きました。著者はその後の主張を変えていないそうです。しかし、在ったかないかだけ追いかけているのは、なんだかおかしいと感じませんか。ドイツ文学者の西尾幹二さんは、一つの事件ばかり捉えて、ナチスが行った行為全体を歴史的に見る視点を失っているという点を指摘していました。事件のことは遠い日本では分かりません。ギリシャ、ローマからゲルマン、ドイツの現代史のなかでの人々の営みから切り離して、その事件を計算問題のように解いて喜んでいる愚かさ、危険を西尾さんは指摘したのでしょう。「文系と理系の垣根」にはこういう垣根もあるのです。







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