いつも寝不足 (blog版)

動物園・水族館へ行った記録が中心(?)。
他の話題はいつも寝不足 (信州FM版)で。

こういう話がピンと来る人は少ないだろうが。。。

2005年06月23日 | 雑記
まずはうちの先祖について概略しておく。

父方の祖父の家は、今年の西武の新人投手とはおそらく関係がない。あったとしても遅くとも室町、早ければ鎌倉時代に分かれた流れのようだ。

祖父の家系は遡ると鎌倉時代の北条時茂(六波羅探題北方を16年間務めている)まで行くそうで、750年くらい前の人だ。もう、このあたりになると全くピンと来ないね。本当かどうかも分からないし。

さて、そんな昔の話はおいておいても、祖父の実家が庄屋階級であったことは確かで、御一新の折りには小作のうち何人かがうちの名字をもらったという話も残っている。そのため、血縁関係はないが同じ名字という家が結構ある。

また、薩摩島津家の娘が輿入れした家とも姻戚関係があったそうだ。何か、ややこしい言い回しだが、外様の雄藩島津家と婚姻関係のある家から嫁を取っているって事だ。紛れもないお姫様が来る家の娘を嫁にしているのだから、往事の権勢の大きさが偲ばれる。もっとも、この島津の姫様の血統は私には繋がっていないらしい。

さて、そんな祖父の実家がいかにして零落したかだが、私からすると曾祖父の伯父に当たる人がどっぷり女遊び(遊郭だな)にはまりこんで、とんでもない借金をこさえるわ、自分は梅毒にかかって廃人同然になるわで零落への口火を切る。本来の総領であった曾祖父の伯父は廃嫡されて、その弟が跡を継いでいる。

その流れが私まで繋がっているのだが、祖父の父が結核か何かで早死にしてしまい、ついに二進も三進も行かなくなったらしい。仕方ないので祖父を含めた子供たちは丁稚奉公へ出されるハメになる。祖父は自転車屋へ行ったのだが、ここの親方は優しい人だったが、職人に学は不要という考えの人だったらしく、祖父は尋常小学校2年に行ったかどうかで学業を終えている。そのため、祖父は文盲となり、これがかなり詰まらなかったらしく、後の子供たちに対する教育費を惜しまないという事へと繋がっている。

祖父は三男で、いずれは外へ出なければならなかったのだが、上記のような経緯で工業関係へと進んでいく。後に、インディアン(バイクの名前、エンジンを2台積んだ化け物マシン)を試運転やレースに参加したなんて話も残っている。ちなみに、祖父の実家(=大本家)は今でも続いていて、葬式婚礼の際くらいには交流がある。

続いて、母親の祖先。実はここもしっかり没落している。江戸時代はやはり庄屋階級で、和宮降嫁の際、宿次の責任者か何かをやった人もいたらしい。この件については、いとこが詳しく調べたので、聞けば教えてくれると思うが面倒なのでパス。

さて、母親の曾祖父の兄に当たる人がなかなかに有名な人で、長野県内に初めて○○工場を作った人として名を残している。ただ、まだ資本の集積や社会環境の成熟が不十分だったために、○○工場は2年ほどで潰れている。長野県内で○○工場が盛んになるのには約10年後であったことを考えると、時代を先取りしすぎていたのだろう。

工場が潰れればできるのが借金で、この借金が母親の祖先を苦しめることになる。工場を潰した母親の曾祖父の兄は隠居となって、弟が家督を相続している。この流れが私へと繋がっているわけだ。

母方の祖父が懸命に働いたお陰で母親の生活はそれほど大変なものではなかったらしい。ただ、祖父に限って言えば、爪に火をともすなんてものじゃ済まなかったみたいだ。とにもかくにも、少なからぬ財産をなくしたとは言え、ちゃんとした土蔵は残ったし、かなり広い田畑も残ったところを見るとものすごい頑張ったんだろうな、ということは分かる。

さて、最後に控えるは祖母の実家。ここは没落していない。と言うか、つい最近まで非常な土地持ちで、洪水に際して代地として田畑を率先的に手放したり、町長が堤防を人為的に切る際の相談役をしていたりして、その町の中では小さからぬ力を保有しているようだ。

没落した2件の庄屋と、最近まで力を保持していた庄屋がくっつくとどうなるか。言うまでもなく、後者が権力を握ることになる。つまり、祖母は祖父を馬鹿にし、また、母も馬鹿にしていた(orしている)。

祖母の正確な学歴は知らないが、高女は出ていそうな感じ。その上、看護婦で職業婦人のはしりだ。対する祖父は尋常小学校もまともに終わっていない。読み書きそろばんはそろってダメ。ただ、骨身を惜しまずに働く事だけが取り柄という状態。

家の中に女天皇がいるような状態。"I'm the law"とか"I rule"なんて叫びはしないが、意識としてはそういった感じだろうと思う。

単純な嫁姑問題にとどまらない、格式やら身分やらの問題が実家では残っていて、私としてはアホくさいことこの上ないのだが、祖母が生きている限り、この問題から解放されることはないだろう。祖母と話すと、今でも自分が一番という考えが顕わでげんなりする。

ハッキリ言って、私たちは祖母が死ぬのを待っている。嫌な言い方だが事実だ。本当は、祖母が時代の変化などを受け入れ、自分を変えることが望ましいのだが、それを希望することは絶望に他ならない。

それでも、祖母と血が繋がっているのは事実で、好き嫌いで言えば嫌いだが、肉親の情は絶ちがたく、叶うなら少しでも祖母が幸せな余生を送れること、そして、私たちが祖母を受け入れることができることを願っているのだが、二階から針穴に糸を通すのよりも難しそうだ。

機種変更しようかと思っているのだが。。。

2005年06月23日 | 雑記
IDOのケイタイを使用中(トラックバックの練習)」に書いた通り、私の携帯電話には未だに「IDO」の文字が入っている。

バッテリがへたりだしていることをのぞけば、電話として使う分には何の不便も感じない。ただ、移動機利用月数が61ヶ月目になったので、いい加減新しいのにしようかなという気がしないでもない。

今まで、出先のインターネットはノートPC+Air H"だったのだが、Air H"は値段の割に使わなかったり、回線品質に不満があったので解約してしまった。そこで、新しい環境として通常のWebサイトも見られるケータイを物色中。

現在の候補はCASIOのW21CAII。画面の大きさとPCサイトビューアーがポイント。

AH-K3001V(通称京ポン)の次が長らく第一候補だったのだが、年1回の新作発表が新色の登場なんて形で、お茶を濁されてしまったのも解約の一因。

ポイントもたまってるし、ちょくちょく変えるつもりもないから、ここらで一発行きますか?

RAID障害復旧苦戦中

2005年06月23日 | PC・電気機器
やっぱりちゅうか何ちゅうか、引っ越しで運んでもらったPCのディスク装置に障害発生中。

前回も前々回も引っ越しに際してディスクが壊れる経験をしているので、ディスクだけ別梱包にしようかと思っていたのだが、荷造りしているうちに気力が萎え、どうにでもなれとばかりにディスク込みで運んでもらったのだ。

ある程度覚悟はしていたが、840GBのRAID-5(120GB×8で構成)で障害が発生したのは痛いかも。こちらで動かし始めてから数時間は問題なかったのでなおさら。

おまけに、RebuildすべきところをMake Onlineしてしまってとどめを刺した気配が濃厚。これさえ間違えなければ、時間はかかっても復旧できたかもしれない。まだ試行錯誤を重ねている最中なので諦める気はないのだが、どこまで粘れるかなぁ。

ちなみに、RebuildすべきところでMake OnlineをかますというのはRAID-5で最も多い人為的ミス。特に、複数ドライブ障害(Multi Drive Failure)が発生した際に後でこけたドライブを取り敢えずMake Onlineして、縮退状態でデータを拾い出すという小技を使ったことがある人がやりやすい。