撮り散らかし鉄の記憶

撮り散らかした鉄道写真の中から記憶に残るシーンを

阪急 正雀(2011.5.8) 116+900 構内入換

2020年05月30日 11時16分01秒 | 阪急
9年前に、阪急京都線 正雀駅で阪急レールウェイフェスティバルの終了後に入換中の100形+900形を撮りました。
1枚目は、入換中に正雀駅構内に停車中の116です。
有難いことにイベント終了後でしたが、「特急 大阪~京都」の運行標識板が掲出されたままです。
この様式の運行標識板は雑誌の白黒写真などで見たことは有りますが、実際に使用されているのは見たことが有りません。



2枚目は、車庫内に向けて折返し待機中の900です。
登場時には、布製の行先表示幕が設置されていたようで、右書きの表記された「戸神」が時代を感じさせます。



今年は中止されてしまいましたが、例年、阪急では5月連休の終わった頃に春の阪急レールウエイフェスティバルが開催さます。
最近は行ってないので分かりませんが、以前は116+900の動態保存車での体験乗車が行われていました。
イベント終了後に車庫内に戻るため、正雀駅2号線ホームで待っていると入換中の編成を撮ることができました。

100形は、1927~29年に京都線の前身である新京阪鉄道時代に制御車、付随車の500形とともに73両が登場しています。
新京阪鉄道当初の形式称号P-6としても親しまれていると思います。
日本初の本格的長距離高速電車として登場し、19m級大型車体に200馬力(150kW)級の主電動機を装架され、最高速度120km/hrhでの高速運転が可能だったそうです。
後に、制御車の電動車化やその逆の改造もおこなれ、1950年には神宝線車両との車番の重複解消のため、付随車の500形は1500形に改称、改番されています。
1948~53年に20年更新工事、1959~69年に第2次更新工事が行われました。

自分が幼稚園に通っていた1960年代の後半は優等列車での運用は殆ど見られず、京都線、千里線での普通運用が主体でした。
1970年の大阪万博での観客輸送でも活躍しましたが、1971~72年に全車引退しています。
116は、1972年の引退後に20年更新工事当時の仕様に復元されましたが、後に静態保存されました。
1988年には大規模な車体修繕が実施され、1997年から動態保存に再復元されています。

900形は、1930年に神戸線の前身となる阪神急行電鉄時代に特急用の両運転台の全鋼製電動車として20両が登場しました。
先に紹介した600形は車体重量が重い割に出力が低い課題が有ったため、全鋼車ながら車体の軽量化設計を行い、150kWの主電動機を搭載することで100km/hrを超える高速運転が可能となりました。
腰の高い2扉車体、フリーストップの1段下降窓、切り抜き文字による車両番号の貫通扉への配置、マルーンの塗装、車内の木目塗装など、その後の阪急の車両にも採用されるスタイルが確立されました。
1934年以降は、2両固定編成の920系に移行したので少数世帯でしたが、その後も920系とともに特急運用に充当されました。
1954~58年に更新工事が実施され、さらに神戸線の長編成化対応のため、ブレーキ装置の改造の際には運転台の奥行きが920系に比べて若干狭かったことから、運転台艤装を断念して全車中間車扱いとなりました。
さらに神宝線の架線電圧1500Vへの昇圧対応工事の際には、運転台が撤去され、900~909は中間電動車、910~919は電装解除の上、付随車化されました。

自分が幼稚園に通っていた1960年代の後半には、中間車として活躍していました。
手入れは良いものの、子供心にも920系より古風な印象がありました。
920系より早く、1977~78年に全車引退しました。
900は引退後も正雀車庫で保管され、阪急の創業80周年を記念して1987~88年に技術遺産として新造時の状態に復元されるました。
電装品が電圧600V仕様のため自走は不可能とのことですが、116と連結されて体験乗車としてイベントで活躍していました。
116、900とも阪急の歴史を伝える貴重な遺産ですので、今後も長く保存していただければと思います。

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