この記事は、先行して記事をUPされている「9条の会を応援する有志のブログ」の許可を得て転載するものです。
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九州大学同窓生九条の会と六本松9条の会による共同開催の
「九大生体解剖事件」の真実と憲法九条
講演会が、7月30日午後2時から4時半まで、
早良市民センター会議室で開催され、
主催者の予想を大きく超える68名の方が参加しました。
東野先生のお話の詳細は、今後掲載してゆく予定ですが、ここでは概略と感想を。
東野さんは、その当時まだ10代の学生で、何が行われるかもしらずに“実験手術”に参加することになったそうです。
西部軍監2名が命令執行のために同席確認し、執刀医と腕の立つ軍医の2名で執刀。東野さんは、海水を血液代わりに輸液する実験で、海水の入ったボトルを腕を上げて支える役だったそうです。
二人づつ4回に亘って、8人を生体解剖したということです。
医師たちは、軍の命令によりやむなく“実験手術”を行うことになったようですが、殺害は「血液を抜く」ことにより行われたそうで、その時点では医師たちは場を離れ、軍人が手を下したということ。
回を重ねるに従って、嫌がる医師が増えていったとのこと。
東野さんは、「戦争が普通の医師をこういう事態に追い込む。」「九州大学は場所を使われただけという逃げ腰の態度ではなく、九州大学の医師が実行したという事実について、誤りを誤りと正面から認め、反省の意志を明確にするべきだ」「これをあいまいにしておれば、同じ過ちを繰り返すことになる」と述べられました。
日本国憲法との関係では、戦争が勝ち負けではなく、いずれの心にも大きな損傷を与えること、戦争を繰り返してはならない、「殺されても殺さない」覚悟が必要だと強調されました。
終了後、主催者側と東野さんの懇親会(ごくろうさん会)を行いました。
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転載引用終わり
出席者にアンケートをお願いしていたところ、ほぼ福岡市全域と市外からも参加者があり、主催した「9条の会」以外の、各地の「九条の会」からも参加者があったことがわかりました。
新聞折込のビラを見て来られた方も少なくありませんでした。
感想の中心は
※ 殺すより殺される覚悟を決めることができるかどうか
※ 間違いは、それを誤りと認めなければ「過ち」となる
の二つの言葉に集中しました。
懇親会では、東野さんが講演後の質疑で言われた「今の若い人々には、国語力を付けることが必要だ」との意味について論議が進み、先生の言う国語とは国語・算数・理科・社会というような科目として並立する国語ではなく、もっと深い文化・哲学・思想の大本となる言語の力の意味であることがだんだん解ってきました。
言語の貧困が今の若い人々の状況のベースになっているという意味のようです。
これは塾で小学生を教えている講師の質問に答えた際の、東野先生の回答についての談義のなかでの話です。
ここには興味深い話が豊富に含まれているのですが、ここでは省略します。
どなたか、コメント欄に詳しく書いてください。
2006/7/31 (今回記事担当:JUN)
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九州大学同窓生九条の会と六本松9条の会による共同開催の
「九大生体解剖事件」の真実と憲法九条
講演会が、7月30日午後2時から4時半まで、
早良市民センター会議室で開催され、
主催者の予想を大きく超える68名の方が参加しました。
東野先生のお話の詳細は、今後掲載してゆく予定ですが、ここでは概略と感想を。
東野さんは、その当時まだ10代の学生で、何が行われるかもしらずに“実験手術”に参加することになったそうです。
西部軍監2名が命令執行のために同席確認し、執刀医と腕の立つ軍医の2名で執刀。東野さんは、海水を血液代わりに輸液する実験で、海水の入ったボトルを腕を上げて支える役だったそうです。
二人づつ4回に亘って、8人を生体解剖したということです。
医師たちは、軍の命令によりやむなく“実験手術”を行うことになったようですが、殺害は「血液を抜く」ことにより行われたそうで、その時点では医師たちは場を離れ、軍人が手を下したということ。
回を重ねるに従って、嫌がる医師が増えていったとのこと。
東野さんは、「戦争が普通の医師をこういう事態に追い込む。」「九州大学は場所を使われただけという逃げ腰の態度ではなく、九州大学の医師が実行したという事実について、誤りを誤りと正面から認め、反省の意志を明確にするべきだ」「これをあいまいにしておれば、同じ過ちを繰り返すことになる」と述べられました。
日本国憲法との関係では、戦争が勝ち負けではなく、いずれの心にも大きな損傷を与えること、戦争を繰り返してはならない、「殺されても殺さない」覚悟が必要だと強調されました。
終了後、主催者側と東野さんの懇親会(ごくろうさん会)を行いました。
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転載引用終わり
出席者にアンケートをお願いしていたところ、ほぼ福岡市全域と市外からも参加者があり、主催した「9条の会」以外の、各地の「九条の会」からも参加者があったことがわかりました。
新聞折込のビラを見て来られた方も少なくありませんでした。
感想の中心は
※ 殺すより殺される覚悟を決めることができるかどうか
※ 間違いは、それを誤りと認めなければ「過ち」となる
の二つの言葉に集中しました。
懇親会では、東野さんが講演後の質疑で言われた「今の若い人々には、国語力を付けることが必要だ」との意味について論議が進み、先生の言う国語とは国語・算数・理科・社会というような科目として並立する国語ではなく、もっと深い文化・哲学・思想の大本となる言語の力の意味であることがだんだん解ってきました。
言語の貧困が今の若い人々の状況のベースになっているという意味のようです。
これは塾で小学生を教えている講師の質問に答えた際の、東野先生の回答についての談義のなかでの話です。
ここには興味深い話が豊富に含まれているのですが、ここでは省略します。
どなたか、コメント欄に詳しく書いてください。
2006/7/31 (今回記事担当:JUN)