愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

日野町 上迫の茅葺き民家

2014年08月16日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

日野町、東部山間部に残された豪邸の茅葺き屋根。

日野水口グリーンバイパス、迫(はざま)交差を水口方面から来ると左折、山里の雰囲気が濃い小さな谷筋集落。

そんな上迫集落の真ん中辺り、三叉路を目の前にして、茅葺き母屋を中心に何棟もが建ち並ぶ豪邸屋敷がある。

ステータスシンボルとして威風堂々と建つその姿は周りの民家とはいかにも不釣り合い・・

よく整えられた大きい寄せ棟茅葺きに伊賀風の立派な棧瓦葺き箱棟を載せている。

いかにも豪邸風情が漂い、屋敷内への戸締りが非常に厳重そう・・・。

撮影2013.9.7


名張市美旗 初瀬街道の茅葺き民家

2014年08月15日 | 茅葺き屋根(同)三重県

名張市東部、美旗の田園地帯を抜ける旧初瀬街道に残って居た茅葺き民家。

田圃の中を突き抜けるように行く旧初瀬街道脇に軒を連ねるように続く新田集落は江戸時代、藤堂高虎により開墾された文字通りの農業集落であると同時に初瀬街道沿いの宿場街でもあった。

そんな集落の殆ど南外れ、集落の途切れる辺りに小さな入り母屋造り、茅葺き母屋を載せた民家が残っていた。

街道に向かって平入の民家は表を棧格子で設え、どこか一般農家とは違う趣が窺える。

やっぱり手入れがイマイチ行き届かず、もはや葺き替え時を迎えてる。

一方茅葺き民家の少し手前、伊賀の地域産業、伝統的工芸品に指定された「中内組紐工房」の一風変わった館が有り・・・・

「堤側庵(ていそくあん)」と名付けられた館をギャラリーとして開放、様々なジャンルの作家を紹介されて居る様です。

伊賀組紐の生産拠点として財をなされた名残の民家でしょうか・・・・・

商家の建物としても母屋上に楼閣があり、こんな片田舎に在って、ちょっと風変わりな建物でした。

撮影2013.8.4


伊賀市 千歳の茅葺き民家

2014年08月14日 | 茅葺き屋根(同)三重県

見捨てられ、朽ちるに任された立派な伊賀型箱棟を持つ茅葺き屋根。

玄関先で声をかければまだ今にも家人が元気に出てきそうな・・・・

庭の夏草は刈り取られまだ家人が完全に寄り付か無くなった訳では無さそう・・・

伊賀市南東部、名阪国道脇の小さな集落。

たった一軒残された茅葺き民家もここまで荒れてしまってはお終い。

僕がよく訪れる草深き片田舎ではこうして荒れるに任せた懐かしい茅葺き民家のなんと多いことか・・・

もはや箱棟が砂上の楼閣に見え今にも崩れ落ちそう??

撮影2013.8.4


名張市 安部田の茅葺き民家

2014年08月13日 | 茅葺き屋根(同)三重県

僕が子供の頃に育った家の周りはこんな茅葺き屋根ばかりが並んでいて、そんな茅葺き屋根を葛屋(くずや)葺と呼んでいた。

国道165号線、奈良県境に近い三重県名張市安部田で見かけた茅葺き民家。

軽四トラックと小型スクーターが仲良く玄関先に並び、世代差の大きい家族が同居してるのかと?微笑ましい・・・。

生活感あふれるこんな民家も近頃では物珍しくなって居る。

ステータスの茅葺き屋根じゃなく、肩肘張らないありのままの茅葺き民家は、僕の住む山城ではもう30年ほど前には悉く姿を消した。

若い人も住まわれて居る様だが同敷地に別棟で現代風建物も建っている。

簡素で小さな片田舎の農家風情を彷彿とさせてくれる景観でした。

撮影2013.8.4


旧室生村 大野の茅葺き屋根

2014年08月12日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

この茅葺き民家も以前から何度も見かけて知っていた。

国道165号線、あの磨崖仏で有名な大野寺への進入路、宇田川の清流をのぞむ様にその端正な姿を見せて呉れる。

看板によると葛切りを食べさせるお店だそうですが??殆どお客さんを見かけた事が有りません。

勿論僕は土日以外に出掛ける事が多いからだとは思うのですが・・・・

小さな破風を持つ寄せ棟の茅葺き吹き降ろし屋根・・・・・こういう民家は何か特別な目的が無いと中々残される事がない。

この建物は元々この地に有ったものだろうか??

撮影2013.8.4


宇陀市 榛原の茅葺き民家

2014年08月11日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

国道165号線沿いで見掛けた民家が目に止まったので、ついついパチリ

宇陀市榛原山辺三の旧街道との交差辺り・・・

まるで茶室を思わせる様な瀟洒な茅葺き門・・・

その奥に鋭角に聳える大和棟のよく手入れされた民家・・・残念ながら鉄板が被せられている。

しかし今時、いくら小規模とは言え茅葺き門のある民家など稀有・・・・家人の趣味が窺われる様な揺るぎない景観です。

方や、すぐ近くで見かけた元茅葺き民家・・・・

鉄板を覆い懸けした民家も人が住まず、荒れるに任せた民家も多くなって来た。

撮影2013.8.4


桜井市 岩坂の茅葺き民家

2014年08月10日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

なんとも注文通りの景観の中に建つ茅葺民家。

これで電柱が写り込まなければ・・まるで一幅の墨絵の様にも見えます。

以前、付近の棚田景観を撮影に来てこんな処に茅葺屋根が残って居るんだと記憶の底に残っていた。

今回その時の記憶を頼りに訪ね当てたが・・・・・屋根の傷みが相当進み、もうかなり限界を越えて居た。

国道165号線、「初瀬街道」を橿原方面から東進、出雲の交差を右折、谷沿い道を奥へ詰めると・・・

こんな処に集落が・・・・棚田斜面にポツポツ散在する屋並・・・・・まるで絵に描いたような隠れ里。

付近にも、傾斜の強い大和棟が見えますが、残念ながら全て鉄板で覆い懸けされています。

残されたこの一軒は棧瓦の下屋に瀟洒な入り母屋の茅葺き屋根を乗せている。

綺麗に手入れされ、現在「奈良一刀彫」のギャラリーとなって居ます。

撮影2013.8.4


天理市 天理教教祖生家(旧前川家)の茅葺き屋根 

2014年08月09日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

天理教教祖、「中山みき」の生家、旧前川家の茅葺き大和棟。

天理教本部の有る天理市中心街より約南へ3km、三昧田(三昧田)信号の次の交差を右折すると左手に長屋門の有る大きな屋敷が見える。

ちょうどカーブミラーの有る細い路地が上街道(かみつかいどう)、付近の町並みは古い歴史を彷彿とさせて呉れる。

旧前川家はこの地の豪農、代々庄屋を勤める家柄、そんな家庭で生まれ育った教祖みきは、文化7年(1810)中山家に嫁ぎ、後天理教を興した。

現在屋敷は天理教教祖誕生殿と名前を変えているが建物はそのまま残され当時を良く伝えて居る。

流石に天理教教主の生誕殿、大和棟茅葺き屋根も下屋もしっかり手入れが行き届き微塵の揺ぎも無い。

多分信者にとって、ここは聖地なのだろう・・・・

取ってつけたような酷いデコレーションが無かったのは嬉しい。

撮影2014.7.24


近江八幡市 安土町の茅葺き民家-2

2014年08月08日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

前回に引き続き旧安土町石寺、集落内を行く旧中山道脇に残された茅葺民家。

集落内の旧街道はとても狭くてその上、民家や寺がビッシリ建ち並びとても車では通れそうにない。

現在集落を迂回するようにバイパスが走りそちらがメインの道路に成っている。

多分本来裏だった方が新しい道路に近く、そちらを玄関に変えて居る。

もう随分くたびれた入母屋造りの茅葺き屋根、破風には近江では珍しく細竹で格子を造っている。

この家はまだ住民も住まわれて居る様に見受けられたが・・・このままではもう長くは持たない痛み具合です。

撮影2013.7.21


近江八幡市 安土町の茅葺き民家

2014年08月07日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

申し訳程度、お年寄りの我儘なのか一部分に茅葺き屋根を残した民家。

旧安土町の最東端、旧中山道沿いの鄙びた街道筋の出合いの辻に残されて居た。

元々こんな姿の茅葺き屋根では無かったろう・・・・改築補修で茅葺き母屋を半分に縮小、そこに瓦屋根の2階部分を載せている。

かなり変則的でイレギュラーな茅葺き屋根になって居るが懐かしさは充分に伝わって来る。

撮影2013.7.21

旧五個荘町 茅葺き民家-7

2014年08月06日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

前回、前々回と同じ集落内に残された茅葺き民家。

集落の南東外れ、赤錆たトタンの箱棟が甍の上に突き出しているのが見えた。

入母屋の茅葺き屋根は疲れ果て、箱棟と茅屋根との境に大きな断裂、穴まで空いている。

もはや見捨てられたのか??厳重に戸締りされ、全く生活臭は感じられない抜け殻になって居ました。

片田舎では、こうして朽ち果てるのを待つだけの民家を数多く見かける。

撮影2013.7.21


旧五個荘町 茅葺き民家-6

2014年08月05日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

前回紹介と同じ集落の少し離れた場所に有る茅葺き民家。

大きい母屋の形やその茅葺き仕上げが悉く前回紹介のものにそっくり・・・勿論屋根職人が同じだろうが、それだけでなく良く見ると棟瓦の家紋も同じ・・・

多分この家と前回の家は本家、分家の関係じゃ無いだろうか??

田舎の名家が2軒揃って同じ茅葺き民家でその権勢を誇って居る。

しかしこの茅葺き民家の維持管理には相当な資金が必要だろうと想像するに難くない。 

撮影2013.7.21


旧五個荘町 茅葺き民家-5

2014年08月04日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

五個荘中心部を少し外れた田園の中に軒を連ねる七里町の集落・・・そんな田園集落の入口、大きな寺の屋根と対峙するように建つ茅葺民家。

つい最近補修改装されたばかりの様に見え、不毒する建物は真新しく、茅葺き屋根も手入れが行き届き揺るぎない。

大きい入母屋造りに棧瓦の箱胸を載せ、下屋の樋には赤銅を使い家格が窺われる。

箱棟の鬼には家紋そ設え、前垂れ破風も実に堂々としている。

撮影2013.7.21


旧五個荘町 茅葺き民家-4

2014年08月03日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

旧五個荘町を代表するかのような整然とした素晴らしい屋並みの中に残された茅葺き民家。

金堂町はその名の通り、聖徳太子がこの地に金堂を建立したとの伝承に由来、古代条里制の区画割りを残す古い歴史の土地であると同時に江戸末期から昭和初期にかけて活躍した近江商人の発祥の地でもあり・・・・、

水田風景のなかに商人屋敷と社寺が甍を並べ、広い掘割り水路に錦鯉が泳ぎ、この町並み景観が「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。

そんな一画、この地独特な景観を持つ弘誓寺の対面、生活道路を隔てて洗練された茅葺き民家が残されて居る。

綺麗に改装された棧瓦の下屋、漆喰白壁に近江独特の渋いベンガラ塗の柱や格子出窓が良く映え、上に載る茅葺き母屋も良く整えられて居る。

茅葺母屋は両側入母屋造り、棟は棧瓦葺き、下屋は相当現代風に改装されている。

素晴らしい街並みの素晴らしい景観の中、誇らしげに近江前垂れが破風を飾って居る・

撮影2013.7.21


旧五個荘町 茅葺き民家-3

2014年08月02日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

東近江市旧五個荘宮荘町、五箇神社の杜に生活道路を挟んで対面する茅葺き民家。

片側を棧瓦の落ち棟にし、上に傾斜のきつい右側切り妻の茅葺き母屋を載せている。

ここ湖東ではあまり見かけた事のない茅葺き大屋根ですが・・・屋根の葦は随分痩せ、今にも肋骨が見えそうな程。

反対妻側は入母屋造りで、下屋庇の荒壁納屋に掛けられた木製梯子が、なんとも昔人間には懐かしい小道具です

こちらから見れば良く似たタイプの茅葺き屋根が二棟並び建っているが・・・・奥の母屋は既に鉄板覆いが懸けられ時間も経ちそう??

やがてもうすぐ、この茅葺き屋根にも鉄板が懸けられるかも??

撮影2013.7.21