愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

旧室生村 小原墓地一石六体地蔵

2013年09月15日 | 石仏:奈良

大和高原最深部、旧室生村の小原埋め墓入口に佇む一石六体地蔵。

遥か遠い記憶を辿ると、見たことの有る様な懷かしい景観の中にある、里山小原集落。

集落奥手の斜面には「サンマイ」と呼ぶ「埋め墓」があり、その登り口にこの可愛い一石六体地蔵が立っている。

絵馬型に整えられた板石状花崗岩の上部に枠を残し横幅一杯の方形を彫り沈め、中に「こけし」でも並べたような素朴極まりない六地蔵を刻み出して居る。

石仏の上の朱い柿の実が、素朴な野の仏に色を添えている。

大和高原や伊賀名張方面には多い一石六体地蔵ですが、これ程素朴でコンパクトなものも珍しく、また荒れ野の様な埋め墓に良く似合ってる。

少し先に進むとこんな地蔵石仏・・・・、こんな片田舎にしては大きな「箱石仏」でした。

撮影2012.1.7


三郷町 持聖院の地蔵石仏 

2013年09月14日 | 石仏:奈良

持聖院境内、植え込みの脇に立つ古びた線彫りの地蔵石仏。

「持聖院」(真言律宗 仁和寺末)は一針薬師笠石仏の横の丘にに在ったと言う名刹、「旧補陀洛山惣持寺」の子院の一つ、戦国時代の戦禍により焼失するも江戸時代には再興され、惣持寺の什宝を受け継いで現在に至っている。

地蔵石仏は惣持寺墓地に在ったものをこちらに安置、高さ約50cm、幅30cmの板石状花崗岩に地蔵菩薩を線彫りにして居る。

上部には枘跡が有り、元は笠石が載せられて居た様です。

地蔵菩薩立像は像高約35Cmと小ぶりながら、精緻を極める写実的描写が「一針薬師」と共通しており、作風も全く共通。

「一針薬師」と同じ時期、同じ手に依る造立だと考えられて居る様です。

この石仏は地衣類さえ外せば、像容もしっかりして居そうです。

撮影2012.6.10


三郷町 西勢野墓地の阿弥陀石仏

2013年09月13日 | 石仏:奈良

一針薬師の左側の脇侍が瘡神社の弥勒だとすると、もう一体の脇侍がこの西勢野墓地の阿弥陀石仏だと言われています。

なんの因果か細かい目の金網でぐるぐる巻きされて囚われの身になって居ます。

場所はちょうど春日社裏山の麓、新興住宅団地県道194号線沿い、小さな丘が墓地そのものになって居る。

長らく付近の草叢に埋もれてらしいのですが・・・・・、瘡神社の石仏にウリ二つ、しかしこれではどう見ても二重光背のお化け、おかげでこんな金網越しの写真しか撮れず、肉眼でも全く像容すら見えません。

高さ130cmの花崗岩自然石表面に高さ約1m強の二重光背形を深く彫り沈め、蓮華座に立つ像高84cmの独特な印相を持つ阿弥陀立像を詳細に線彫りしている。

石の大きさ二重光背型の高さ像高までが瘡神社の弥勒石仏にピッタリ同じ。

往時、一針薬師を中尊にし、これらの石仏を脇侍にした三尊形式の石仏が「旧惣持寺」の本尊として崇められていたのかもしれない。

撮影2012.6.10:2006.6.18


三郷町勢野 瘡神社(くさかみしゃ)の石仏

2013年09月12日 | 石仏:奈良

前回紹介の「一針薬師石仏」のあった春日社からすぐ近く、瘡神社境内に有る石仏です。

春日社より、田圃を挟んで直ぐ西側の新興団地内に鎮座する瘡神社(くさかみしゃ)は小さな祠に小さな境内・・・正面は柵で閉じられて居るが鍵は懸けられていません。

境内左側片隅に小さな覆い堂が建ち、中に像容も覚束ない風変わりな石仏が安置されて居る。

正面の扉(柵)には、しっかり鍵が降ろされ思うようには撮影出来ませんが・・・・。

高さ134cmの花崗岩自然石の表面に深く二重光背型を彫り沈め・・・・

中にまるでのっぺらぼうにしか見えないような如来像を線彫りにしている。

像は高さ83cm、蓮華座に立つ室生大野寺の大磨崖仏に酷似しているところから弥勒仏と考えられて居る。

見た目、像容はオボロげながら、その繊細な手法や技巧は、前回の一針薬師そっくり・・・

おそらくは一針薬師が中尊でこの弥勒石仏は左側の脇侍として立って居たものと考えられている。

もしそうだとするとこの石仏も有名人の仲間入り・・・。

覆い堂脇にはこんな表示もありましたが、イマイチ説明不足です。

撮影2012.6.10


三郷町勢野 快慶作の一針薬師笠石仏(再撮)

2013年09月11日 | 石仏:奈良

先日、9月2日の新聞報道に依り、一躍脚光を浴びる事になった一針薬師石仏。

その内に呼び名まで変わってしまうかも・・あの仏師快慶のデビュー作がこの石仏だったとは??

<僕が訪れた時はこの春日神社の裏手に有った>

以前、2006年10月にも、このページで紹介したことの有る一針薬師笠石仏、去年の6月に再訪、写真も再撮してそろそろUPしようかと思って居たところにあの新聞発表。

この笠裏の何処に銘文が刻まれて居たのだろうか??大凡の事は解っていたが、それが今回の銘文再調査により追認される形と成った。

境内脇から裏山への斜面を少し登った石垣の上、アルミの柵に囲まれて安置されて居た大きな笠石仏。

現在石仏は持聖院内に移設安置されて居るとか・・・。

大きい樫の木の根元に寄り掛かるように有った大きな笠石仏は、高さ、幅共に2m、厚さ30cmほどの不整形な自然花崗岩表面に刻まれ、大きい横幅を覆うに充分な笠石を載せて居る。

今回倒壊危険のため解体移設に伴う調査で、快慶が初期の時代に用いた「巧匠アン(梵字)阿弥陀仏」に極めて近似な「アン(梵字)大工匠人」の銘と共に、この地に総持寺を拓いた高僧「貞慶(解脱上人)」の発願で如月二十日に一周忌のため造立されたと解読される銘文も有り、快慶作の石仏とほぼ断定された様です。

貞慶と親しかった僧侶の伝記に、それを裏付ける様な「貞慶の発願に依り、快慶に薬師像を依頼して造った」と言う記述が有り、快慶のデビュー作がこの石仏だった可能性が高い。

しかし、あれだけの有名仏師が刻んだ石仏だとすると、その価値は一挙に跳ね上がってしまいそう・・・。

通常仏師と石工は別だと考えて居たのだが・・・・・、もしこの石仏を「快慶」自らの手で刻んだものだとすると、正しく彼は両刀使い天才彫り師??・・・

まあ、しかし線は細く繊細な彫りだけに、絵画的才にも長けた快慶ならと・・・・納得もする。

もう今じゃ自由にも会えない有名人??に成ってしまった一針薬師笠石仏、今度会うときはどんな処でどんな姿で逢えるのだろう??

<2013.9.2の読売新聞記事より複写>

多分文化庁が認めて重文などに指定されればバシャバシャと自由にシャッターも押せなく成ってしまうんでしょうね。

難しい学術的な事は「一針薬師笠石仏と貞慶」から・・・

撮影2012.6.10


奈良県天理市 福住「西念寺」の茅葺き屋根

2013年09月10日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

奈良県天理市の山里、福住の 蓮台山来迎院「西念寺」(融通念仏宗)本堂の特徴的な茅葺き屋根です。

名阪国道福住ICの近く、旧国道25号線沿いの山裾、木立の間に見え隠れする背の高い独特な姿の茅葺き屋根が有る。

少し前までは庫裡も茅葺きだった様ですが??、黒いトタン懸け屋根に成って居ます。

正面から見ると寺院建築らしく腰高、おまけに棧瓦の下屋根が深く、ちょこんと載せた様な茅葺き屋根がちょっとアンバランス。

少しサイドに廻り込み、見上げてみると・・・、急角度で背の高い寄せ棟茅葺きが様に成って居る。

裏山の墓地から見ると、急角度の寄せ棟が目の前に見え、その棟幅の狭さに改めて見入る。

まるで粋人好みの茶室の屋根の様・・・・

山里福住の鄙びた景観を背に、大きい下屋の棧瓦の上に載る小さな茅葺き三角屋根

方向を変え、濃い緑の中に見る独特な姿の茅葺き屋根は少し幻想的にも見え、深く脳裏に刻まれました。

寺院屋根にせよ、美しい物は美しい。

撮影2013.5.3


奈良市都祁 青龍寺の茅葺き屋根

2013年09月09日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

以前、奈良の石仏で紹介した都祁「青龍寺」の茅葺き屋根の本堂・・・、こうして上屋だけを見ていると全く寺院とは思えない佇まい。

田舎寺のこう言う佇まいも随分少くなりました。

広い縁側周りのため軒は広めに取り、中央で突き出す寺院仕様・・・・、その軒瓦の上に入母屋造りの小さな茅葺き屋根が載って居る。

草深い田舎の集落では無住の荒れ寺とお決まりの様だが・・・・・ここは手入れも行き届き立派な庫裡も建って居た。

茅葺き屋根自身はそろそろ吹き替えの時期も近づいて居る様ですが・・・、この先一体どうなる事やら??

撮影2013.6.8


京都府精華町  山田の茅葺き民家

2013年09月08日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

京都府の南西端、奈良県生駒市と境を接する我が山城、木津川左岸の精華町に大和棟の茅葺き民家が残って居た。

近くまで新興住宅の迫る長閑な田園風景の中、白壁土塀に囲まれ、土蔵や納戸小屋などを従える様に建って居る。

表には大きなモチの樹のある前栽(せんざい)を設け目隠しとし、両袖を棧瓦葺の落棟としている。

特徴ある大和棟の鋭角妻部には白壁小さな庇を配した小窓??が有り、この大和棟茅葺き屋根の美しさを際ださせている。

この木津川流域の山城が京都文化圏では無く、奈良文化圏であるという事実を物語っている。

撮影2013.3.30


京都府旧山城町  綺田(かばた)の茅葺き民家

2013年09月07日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)京都府

広い屋敷の中、瓦葺主屋の脇、、庭木に囲まれ隠れる様に建つ、離れ屋風の茅葺き民家。

山城盆地を縦断する木津川右岸域、丈六の国宝釈迦如来坐像を有する古刹「蟹満寺」近くの家並に埋もれて建っている。

外部の道路からは屋根頂部、桧皮葺きの棟が見え隠れするだけ・・・

声をかけ、庭まで入れさせて貰って撮影して来ました。

僕が子供の頃には山城のどの集落でも見かけた入母屋造りの茅葺き屋根。

庭木の緑が多過ぎ、もうこれ以上の撮影ポイントは見いだせませんが、木津川右岸域では残り少ない貴重な茅葺き民家です

撮影2013.6.4


滋賀県甲賀市 甲南町の茅葺き民家(甲賀流忍者屋敷)

2013年09月06日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

忍者自身の住居として現存する日本で唯一の建物、甲賀忍者の筆頭、「望月出雲守」の旧宅。

観光施設「甲賀流忍術屋敷」として現存し、日々観光客を迎えて居る。

望月出雲守の住居として元禄年間(1688~1703)に建築され、正面の門が無ければ、大きな茅葺き屋根の大庄屋民家そのもの・・・・、しかし内部は忍者屋敷らしく色々工夫が凝らされている。

箱棟を載せた段違いの茅葺き寄せ棟屋根を繋ぎ合わせた様なデザイン。

破風や鬼瓦には甲賀望月氏の九曜紋を掲げ家格を表し、段違いに並んだ茅葺き屋根の景観も美しい。

裏側から見ると大きい屋根ですが、それほど特別な忍者屋敷には見えない。

この屋敷の有る竜法師(りゅうぼし)集落は、その名からも古い由緒所以の感じられる場所・・・・

近くで見かけた酒造蔵と懷かしい風情のトタン懸け民家。

こんなトタン懸け民家さえどんどん少く成って居る。

撮影2013.3.23


滋賀県甲賀市 甲南町の茅葺き民家

2013年09月05日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

甲賀流忍者発祥の地として知られる甲南町、長閑な里山田園風景の中に建つ茅葺き民家。

寄せ棟茅葺き屋根に瓦葺きの箱棟を載せた伊賀風屋根

ここは滋賀県とは言え、峠一つで三重県の伊賀と接している。

現在この建物は「甲賀・忍びのかくれ宿 宮乃温泉」の離れ屋敷として利用されているとか???

古い歴史の鄙びた里山でも残り少ない茅葺き屋根です。

撮影2013.3.23


滋賀県甲賀市 水口町茅葺き民家 

2013年09月04日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

信楽から湖東への国道307号沿い、旧水口町の古い集落に残っていた茅葺き民家。

集落の南外れ、良く利用するR307からちらっと見え隠れした茅葺き屋根・・・・、早速集落へと入り見つけた。

集落内の其処かしこにはトタン懸け屋根が何軒も目に付く・・・・手前のトタン懸けなどは真新しく見えるが・・・・。

未だ葺き替えられて間も無いのか?入母屋のエッジも綺麗に整い、箱棟屋根などは新調された瓦が載っている。

湖東方面の民家らしく破風には割竹で造った前垂れ飾り・・・・。

この茅葺き屋根改修には莫大な費用を要した事だろうと???

撮影2013.3.23


滋賀県甲賀市 信楽の茅葺屋根

2013年09月03日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

国道307号線、信楽の中心街を抜け湖東方面に向かう現れる三連棟の茅葺き屋根。

勿論写真でも分かる様にこの茅葺き屋根の建物は現在民家としては使用されおらず、何処かから移築されたものだと思われます。

信楽から山一つ越えた旧阿山町や伊賀辺りでよく目にする屋根の造りです。

まあ、何処からの移築で、お店の佇まいにせよ、三連茅葺き屋根は人目を惹きます。

お店の駐車場より振り返れば見える放棄されたかに見える茅葺き民家・・・・。

どうしたのでしょう??・・・・、下屋の建物自身はしっかりしているように見えて綺麗にされています。

もしかして何かのモニュメントとして残されて居るのでしょうか・・・下屋と上屋のアンバランスさが尋常ではない。

撮影2013.3.23/2013.6.23


滋賀県甲賀市信楽 「しがらきの里」茅葺き民家

2013年09月02日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

あの陶器の町、信楽の裏山「信楽高原」縦断する県道12号線沿いに突然現れる茅葺き民家。

その景観は、あたかもあの「日本列島改造」に火がつくまで・・・・・、この辺りでは何処でも見られたような里山田舎を彷彿とさせる佇まい。

今時こんな風景が残っているのかと我が目を疑うほどに懷かしい・・・。

ここ「しがらきの里」は、信楽高原に本部を持ち、名だたる美術館を有する新興宗教団体傘下の自然農場だそうです。

もっとも宗教とは無縁な僕なので深くは詮索しませんが・・・・。

小川をを挟んで対峙するかの様な小規模ながらの棚田を目の前にして建つ二棟の茅葺き民家。

当然ここは全て新しく造られた自然農場と言う舞台、この二棟の民家も湖北、旧「西浅井町」に有った建物をここに移築したもののようです。

建物は共に江戸後期、文化・文政時代の物・・・・、勿論、湖北琵琶湖岸なので茅葺き屋根と言っても実際は葭葦葺き屋根だそうですが・・・。

共に「伊香造り」と呼ばれる入母屋の葺き下ろし屋根、旧石井家と岡家のものだそうですがどちらがどっちなのか??までは確認していません。

こちらは事務所を兼ねた建物・・・

こちらは接待用にでも使うのでしょうか??

屋根に空けられた一つ目小僧の明かり窓は移築の際に新しく設けられた様ですが・・・・

しかし移築されたにせよ、新しく造られたものにせよ、こんな日本の原風景の様な景観が見られることは有難い。

因にこの農小屋は藁葺き屋根だそうです。

ちょっと整い過ぎてるのは玉に傷・・・・。

撮影2013.3.23


滋賀県甲賀市信楽 茅葺き民家(放棄家屋)

2013年09月01日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

グーグルアースで見つけ、早速出かけてみたらこの始末。

<この写真は2009.4に撮影分>

信楽の中心地から約20分、名物の垂れ桜が遅い春の訪れを告げる、大津市との境界に近い信楽高原の小さな集落。

風の吹き抜ける茅葺き屋根は、ただただ崩れ去るのを待って居る。

撮影2013.3.23