念誦窟と書いて「ねづき」と読むと言う・・・・、なんとも意味ありげな文字に読みなんだろうか??
<西国名所図会の念誦窟紫蓋寺>
此処は前回紹介の不動入り口から道なりに200mばかし進んだ処、往時この地には談山神社の前身である多武峰妙楽寺奥之院、念誦窟紫蓋寺(ねづきしがいじ)跡だという・・・。
多武峰妙楽寺中興の祖である天台高僧「増賀上人」が長保五年(1008)六月八日、切り石をドーム状に積み上げた石屈内??で念仏三昧の中「即身成仏」・・・所謂これが念誦窟のもとだろうか??
読みは・・・・この地が元々、根槻(ねつき)と呼ばれていた土地でも有ったからのようです・・・・・。(長い前振りですみません)
そんな紫蓋寺も明治初年にはすっかり廃絶、かくして「増賀上人墓」と「寺僧墓」が残されただけ・・
そんな墓地入り口に立つ二体の石仏と二基の石造物が存在感をもっている。
とりわけ目を惹くのはこの阿弥陀石仏、160cmの舟形光背、像高120cm足らず
来迎印阿弥陀如来・・・・安土桃山期、天正十一年(1583)の造立
傍らの地蔵石仏は室町末期、弘治四年(1558)の刻銘があり、155cmの舟形光背、像高120cmの定形地蔵。
ちょっと珍しい五輪角板碑は高さ95cm
この石段先には、あの石積み上人墓・・・。
撮影2011.5.4
記憶から消えていた物・・・
自分で撮影しているにも拘らず、これ何処の石仏??
と、言う歯がゆい思いをした事が何度も・・・(笑)
この辺りも探索し甲斐がある所ですね。
まあ、この辺りも大物が多すぎて・・・。
やっぱりあの談山神社の多武峰妙楽寺の勢力が強かったのでしょうね・・。
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大分以前、念誦窟のお不動さんに行った時に撮影していましたが
お不動さんは覚えていたのに、これはすっかり忘れていました(笑)
明日は何処かな~~
は~~い、座布団10枚・・・・。
予想通りの予定通りです。