ここは家から約車で10分弱のところにある古社で、この3月12日新しく木津川市として出発した旧山城町に鎮座しており、正式には和伎座天乃夫岐売《わきにいますあめのふきめ》神社といい、俗に涌出宮と呼ばれています。
社伝によると、天平神護《じんご》二年(766年)伊勢国(三重県)渡会《わたらい》郡五十鈴《いすず》川の舟ケ原から天乃夫支売神を勧請《かんじょう》したのが起こり。「夫支」は「吹き」で、風雨をさすといわれ、雨をもたらす神として古代農耕民に崇敬されたといわれています。
涌出宮は、毎年2月の第3土曜日と日曜日にわたって執り行われる「居籠祭り《いごもりまつり》」(国指定重要無形民俗文化財)でも
知られています。
涌出の宮四脚門
居籠祭りは南山城地方最古の祭りとして知られ、「居籠る」とは外出を慎み、心身を清める意味で、かつて、村人たちは居籠り祭神事の間は、家に居籠って一切音を立てなかったといわれ、室町時代中期の農耕儀礼やお田植え行事をよく伝承していると考えられています。
祭りそのものの発生は農耕がはじまった時代にまでさかのぼると考えられ、起源については崇神天皇の御代に、豪族、武埴安彦が朝廷に対して反乱を起こした時の戦死者の霊を鎮めるためにはじまったともいわれています。
居籠祭りの一連の神事の中に勧請縄の儀と言うのがあって、ここの勧請縄は他の勧請縄とはその性質を異にしているようにおもう。
座の人たちが作った勧請縄は、先ず、神社の境内まで運ばれ、四脚門横の、立ち木に渡され宮司によるお祓いが行われ、そのまま翌日まで置かれ、すべての神事が終了後四脚門の束にまきつけられ、そのまま来年まで放置される。
ここでも縄は雄の大蛇だと言われていて、直径20センチ、長さ約4メートル、藪肉桂の葉をづらづらと吊り下げている。
面白いのは、江戸時代には藁細工の「リンガ」が3箇所に取り付けられていたが、明治の初めには官からの注意があって取り止めと成ったが今でもこぶのようなものを3箇所に作って名残を留めているという。
飛鳥のように今でも平気でリンガを吊り下げているところもあるのに??
聞いた話によると、稲作農耕にとって1番の大敵は、実った稲穂を一毛打尽にする台風、その山から吹きおろす強烈な風を古代大蛇に見立て、その大蛇を閉じ込めるために、この四脚門に巻きつけ暴れないようにと願ったものだという。
ミニチュアの弓矢も付けられているらしいが、それもこの大蛇を退治するためのものかも知れない。
もしこれが当たっているなら、この勧請縄は道切りとしての意味は殆ど持っていないのかなあ??
撮影2007.2.17