もうちょうど1年前、念願の千日墓地に行ってきました。
12月19日、2~3日前に降った雪が薄っすらと残る、山里の道をデジカメ片手に歩きました。
当尾小学校のある辻の集落から、岩船寺方面に向かって最初の辻を右手に、チョッと下り坂、直ぐに道路につきあたる。
その右手に小さなお堂があって、中に不動と地蔵の刻まれた磐がある。
この辺りにはそこかしこに、こうした石造仏を見ることが出来る。
突き当たりの道路は車道で地元の人の生活道路で車でもOK
この道路を右手にとっておよそ10分程度で左手に石碑のたった三叉路に出会う、左手に小川も流れているので間違うことはない。
この三叉路を左手側に進んでいくと小さな橋があって右手おくの空き地に小さな地蔵石仏や無縁石塔などが集められている。
ここから少し上り坂になっており、歩く事10分ばかしで待望の千日墓地に到着。
一目見るなり、この墓地の古さと言うか特異性というか、田舎に住み慣れたぼくの目にもかなり特異なものとして写った 。
墓地正面の石積み階段の奥に石の鳥居、其の直ぐ脇には十三重の石塔永仁六年(1298)、これもかなり大きく立派な物で ,鎌倉期のもの、基壇の四方仏もなかなか立派な物で、ただの墓地の物とは思われません。
石塔の先右手には双体地蔵石ガン仏、笠石も完存していて南北朝時代 室町期像立、このての物としてはかなり大きく立派な物です。
また、基礎部分には、臍穴があって下は扉がつけられていた物だと考えられています。(笠石も現存していてほぼ完璧)
「種子十三仏板碑」も 永禄三年(1560)
「受け取り地蔵」は天文十七年(1548)
六地蔵と共に「六字名号板碑」 永禄六年(1568)と「阿弥陀石仏」 天正八年(1580)
他にも見るべき石仏が多くあり、石仏ファンならずとも嬉しいところです。
但し墓地を忌み嫌う人にはオスメできません。
撮影2006.12.19