永らく流れの中に在ったのか?すっかり磨耗が進み、マーブル模様の班入が目立ち、殆ど像容も覚束無い地蔵さんですが・・・。
三重県伊賀市の東部、旧大山田村中村集落の地蔵堂に祀られている地蔵菩薩立像。
伊賀市街から約10km、国道163号線で木津川支流の服部川沿いに遡れば川沿いに広がる田園景色の中、左手山裾に中村集落が有る。
集落外れの田圃に囲まれた四辻に古いながら立派な辻堂が建ち、長閑な里山風情を演出するのに一役かって居る。
傍には小川を挟んで辻堂古墳が白日の下晒され、内部も顕わにされている。
お堂に掲げられていた掲示板によると、元々古墳内に立って居たが水路の付け替え等により、移動すれば大いに祟ったので堂を建て大切に祀った処、霊験があり以後村人は念仏井手地蔵と唱え帰依したと云う。
石仏は高さ約1.5m程の山形自然石の表面に70~80cm位の地蔵菩薩立像を中肉彫りで刻み出したものであろうが・・このような有様です。
宝暦12年(1762)には、お堂を茅葺屋根から瓦葺に再建したと記録にも残り、幾何学的に省略されたような蓮弁の様子などから察するに江戸初期頃の造立かと思われる。
石仏としては余り見るべきものはないけど、このマーブル模様石に彫られた石仏がなんとも妙で・・・。
元からこういうマーブル斑の自然石の刻み込んだのだろうか??
わざわざ、こういう特別な石を探して来て、石仏を刻みこむ理由は一体何なのだろう
撮影2011.3.13/2012.3.7
結構大きな物なので大山田村史には載っているかも・・・
今度図書館へ行った時調べときます。
曰く因縁は結構書かれて居たんですが・・・まあ、あんまり読み辛かったので良く解らなかった。