関西では「丹波篠山山鹿の猿が・・・」の囃子唄で知られる兵庫県篠山市、篠山城址脇に連なる武家屋敷群です。
篠山市街の中心、篠山城址西外濠から一筋挟んで南北に約400mに亘り、茅葺き武家屋敷を中心とした風情ある建物が達並んで居る。
南側通り入口から歩を進めると、茅葺き門とその奥に建つ茅葺き屋根の主屋に、ちょっとしたタイムスリップ感が味わえる。
<武家屋敷鈴木家>
慶長15年(1610)篠山城が完成と同時に、この武家屋敷群「御徒士町(おかちまち)」が形成され、その後江戸時代後期の天保元年(1830)の大火災により大部分が焼失、現在残って居るのはその後の建物だと言われています。
こちらは裏側jからの撮影・・・、見えない下屋は痛みが激しい。
隣家鈴木家と軒を連ねる佐藤家・・・・白壁土塀は間新しいのですが脇差ちょんまげ姿の武士が出てきても、そのまま納得出来そうな佇まいです。
一軒置いて隣の茅葺き屋根。
小じんまりとした入母屋造りながら、棟抑えの黒い千木がこの地の茅葺き屋根を象徴する。
道の向かい側には覆い懸け屋の被ったこんな武家屋敷も・・・・、ここはしっかり民家として住まわれて居るようでした。
通りの一番奥には史料館として解放されている安間家の茅葺き門と茅葺きの主屋。
豪壮さは有りませんが質実剛健さがそのまま感じ取れる様な佇まいです。
この日は月曜日で休館日、しょうが無いので門外からの撮影のみで辛抱しておきました。
撮影2013.10.21