我が山城にあっても知らない人の方が多いだろう??井手町の田村新田集落、・・・その数約10軒にも満たない。
それも、木津川市の飛び地に成ってる枝在所を含めての話。
ここは井手町中心、町役場から玉川沿いに山懐を縫い約6km、山を越えた隣町和束町から峠を越えて約8km、まったく地元車以外は走らない府道321号線(府道玉水~和束線)有王山懐に在る。
我が家からもそう遠くなく、時々山越え散歩と洒落込んで歩いて出掛けることもある。
有王山は往古、元弘の変の戦いに破れた後醍醐天皇が笠置山から落ち延び、捕らえられたと伝わる処・・・・しかしこの土地に新田開発がされ、人が住み着くように成ったのはずっと後、戦国時代~江戸初期だと言われて居る。
集落入口、府道からすぐのところにまだ新しそうに見える有王分校・・・・・明治8年創立開校、平成元年に現在の校舎となるも、休校、再開を繰り返し、平成17年より休校中・・・ただしもう再開の見通しは無い。
山里で見掛けた子供は3人・・・麓の学校へはどうして通って居るのだろう??田んぼで遊ぶ姿は無邪気に明るかったが。
山懐の緩やかな斜面の小規模な棚田を前に民家がポツポツと建つ・・・・
土日以外の日に訪れても殆ど誰にも出逢わず、たまに出合う農作業の人に話しかけると、他所から来てるから何も知らないと言われたり・・・。
とにかく集落の人に出逢うことなどありもしないのは、車のおかげで10分も走れば麓に降りられるからみんな昼間は留守がちで勤め人が多いのだろう・・・。
その棚田の脇道を走り、有王山の山懐の峠を越えて約2km、木津川市山城町内に井手町の飛び地、「田村新田」の枝集落が有り・・・。
飛び飛びに民家が4~5軒見える。
この枝集落は、生まれてこの方60年程も、この山城住まいなのだが、この歳に成るまで全く耳にしたこともない。
まさしく今に至るも、隠れ里と言う感が強い。
撮影・・最終2014.11