新興住宅に飲み込まれそうな勢野墓地にも十三仏板碑。
信貴山南東山裾、大和川挟まれた三郷町は、斜面に宅地造成されたマッチ箱の様な家並がびっしり建ち並び、見様に因ってはちょっと異常・・・。
進行団地の中を切り裂く様に走る県道脇、高台にある墓地は古墓ながら喧騒のなかに有り、故人にとってはさぞかし煩かろう・・・・。
墓地入口には江戸時代中期の六体地蔵と共に右端に並び立っている。
総高165cm、幅50cmと見るからにちょっと華奢。
三列四段と上部に独尊の虚空蔵・・・・
頂部には最早見落としそうな天蓋を刻み、やっぱり江戸期元禄の銘を持つ。
各尊像は略式化が進んでちょっと粗製。
墓地前、県道脇には土中から掘り出されたという阿弥陀石仏が金網にガードされ、立っている。
何故の金網ガードかは解らない程の簡素な金網、これでは只の邪魔物、全くガードの役目など果たせないように思うが??もう何年もこの状態。
おかげでこんな金網越しの写真しか撮れません。
高さ130cmの花崗岩自然石表面に高さ約1m強の二重光背形を写真の様に深く彫り、蓮華座に立つ独特な印相を持つ阿弥陀立像を詳細に線彫りしている。
顔と体部を左に向け単独尊ではなく、近く春日社にある「一針薬師」の脇侍であったのかも??と考えられて居る。
もしそうだとしたら、これほど深い光背形を彫り沈めることも無いように思われるが・・・。
県道を挟んで対峙する勢野霊苑入口にはちょっと珍しい七観音石仏。
整い過ぎて面白味の失せた像容、 江戸中期、正徳四年甲午の銘が見える。
このあたりは大和文化圏とは一線を画する様な気もしないではない。
撮影2012.6.10:2006.6.18