前回紹介の「裏の谷」の地蔵磨崖石仏への進入路直下、新しく建てられた地蔵堂に有る石仏です。
擽原や、この付近に点在する集落は、多分あの山腹を縫うように走る信貴フラワーロードが出来るまでは、人里離れた辺鄙な山間集落だったのだろう。
現在千光寺分かれ道の起点よりすぐ、櫟原トンネルを越え左手、山懐に軒を連ねるのが擽原集落、石仏は、その西外れフラワーロード出入りランプ脇に祀られている。
この場所は各集落間を繋ぐ辻に当り、又生活用水や農業用水を集落へと送る用水の守り地蔵としても大切に信仰されてきたようですが、その景観は跡形も無くすっかり無味無臭なコンクリート置き換えられています。
石仏は峯の腰痛地蔵とも呼ばれ、地域の信仰が篤いがひどく痛んでいて御覧の有様・・・・目鼻立ちも解らず舟形光背も上部で大きく欠けています。
像高約85cm、錫杖宝珠の定形地蔵ですが室町中期を下らぬ造立だと云われています。
集落北外れの墓地入り口には、生駒山系域に多い十三仏板碑
墓地内には妙な配置で江戸期の六体地蔵
十三仏板碑は高さ150cmの花崗岩製で山形の頂部を持つ
像高約20cmばかりの十二仏坐像を三列四段に・・・、最上部にはお決まりの虚空蔵菩薩像を置く。
風化磨耗も少ないと思ったら、享保四年(1719)の銘が有り江戸中期の造立でした。
撮影2008.3.8/2011.6.5