九州南部、薩摩半島や大隈半島には以前から「田の神さま(たのかんさぁ)」と呼ばれる土俗臭豊かな石像がたくさん有ると言う事は以前から良く知っていて、これらを訪ねることも今回の気まま旅の目的のひとつにしていた。
巨樹や磨崖仏を巡りその途中途中にあるだろう「たのかんさぁ」に巡り遭えたら良いなあと言うほどの軽い気持ちで、余り下調べもしないままに出かけ帰ってから大後悔、近場まで行って居たのに殆ど出遭わないで帰ってきたことに気付いた。
後悔先に立たず、どうやらまたまた薩摩地方までの長距離を走るはめに成りそうです。
「田の神」は幕藩時代島津氏領内であった九州地方南部の薩摩、大隅、日向にだけ見られ、その像容もバラエティーに富み、コミカルなものや大らかな物も多く、五穀豊穣、子孫繁栄などを願う気持ちが良く伝わって来る。
明治の廃仏毀釈ではまさかこんな石像までは餌食には成らなかっただろうと思って居たが・・、そうでも無かったようで顔の潰された「たのかんさぁ」にも何体か出遭った。
むしろ僕は野面の地蔵などが廃仏の標的になり農民はその代償として「田の神」信仰に心を傾け、造立も急激に増えたのではないかと思っていたのだが??。
薩摩地域での初日は薩摩川内市内のホテルから・・・。
市内郊外の東郷町で磨崖仏の撮影を済ませ、市役所支所にイラストマップでも有るかと問い合わせるが余り要領を得ず、2~3口頭でありかを聴き取り、敢えず現地までと走る。
地理不案内、初めての地域では右も東も解らなく、この道の先が何処に続いて居るのかさえ解らない手探り状態・・・、これが非常にまどろこしく、つい近場に居るのに大事なものを見逃し勝ち。
東郷町石堂集落センター近くで出遭った親切な叔母さんに同乗して貰い出逢った、僕にとって最初の「田の神」はこれ、なにやら真新しく、まるで子供の玩具の様で意には染まないけど・・・
説明板に拠ると平成10年10月、地域のシンボルとして10体の「田の神」を建立したそうです。
真新しく、一寸有難味には欠ける気もします。
陽物?を掲げ持ち、なにやら嬉しそうな・・・、五穀豊穣と共に子孫繁栄も祈る明日香の勧請縄にもどこか似通うような・・・胸に掛けられた真新しい藁苞( わらづと)は収穫の感謝の印。
ほんの直ぐ近くに昔ながらの「田の神」が在ったのを帰ってから知ったが後の祭り。
宍野の「田の神」より約5分、石堂集落辻奥にあった石堂の「田の神」、あいにく道路工事中で如何も撮影し難い状態でした。
これは所謂「旅僧型」?と呼ばれる田の神さぁ・・・左手に飯椀・・・
甑簀(こしきす・シキ)を頭に被り、多分左手には飯げ(めしげ)と呼ばれる杓子をもっていたのだろうが??断裂して欠損、鼻柱も欠けています。
撮影2011.12.19
宍野の「田の神」
石の堂田の神